2ちゃんねるとネット右翼(ネトウヨ)ウォッチング&その分析

「ネット右翼(ネトウヨ)≒ニートやフリータ等の恵まれない人達(底辺層)」説の証左収集&ネトウヨ観察を主目的とするブログ

「好き←→嫌い」(一次元・二元論)から「無関心」も含めた多次元へ(追記×2)

2013-02-11 23:40:41 | 脱“ネット右翼”応援情報
少しつぶやいてみます(一応、脱ネット右翼応援にカテゴライズさせてみました)。


ネット右翼の方々は非常に頻繁に「在日は日本から出て行け」と叫びます。
どうみても在日の人達とトラブった経験がなさそうなのにもかかわらずです。

要はネット右翼の方々が「在日を嫌う・憎む」という感情の中でグルグル回っている訳ですね。

で…よく「好きの反対は嫌い」という事が言われます(いわば二元論な訳で「好き←→嫌い」的な感じで一次元的な感じというか…)
で……ブッタとシッタカブッタ〈1〉こたえはボクにある http://www.amazon.co.jp/dp/4840107718 という本では
「スキとキライ 2つに分ける心 実はそれが病気。その病気に勝つ方法?
そんなものないよ。勝ち負けじゃないただスキとキライを2つに分けて見ることが病気なんだと知ること。
知るだけで勝ち負けじゃなくなるよ」
「スキの反対はキライ?ちがうよ スキとキライは別のものじゃない スキの反対は無関心」

と、まことにもっともな事が書かれてあります。

しかし…書かれている事は間違っていないのですが、どうも「スキ←→無関心」という感じに見えてしまいます。
それで図形的に順を追って書いて見ました。
それが以下の様な感じになります。

まず…好きと嫌いは対立概念の様な以下の様な直線上に乗った感じの“誤解”がある訳です。


しかしそれらは実は「好きだろうが嫌いだろうが相手に関心を持っている」という意味では本質的に同じな訳です。
つまり以下の様に有関心でひとくくりに出来ます。


で…無関心は「好きと嫌いをひとまとめにした有関心」に対する対立概念として以下の様に記述出来ます。
つまり「好き←→嫌い」だけの線上だけの見方(一次元的な見方)から無関心も含めた二次元へと飛び出せる(飛翔)する訳です。
いわば「面」の見方な訳です(もちろん無関心以外の要素を更に付加する事で3次元以上にも出来ます)


で…上↑の絵をコミカルに描いたら以下↓の様な感じになると思います。


つまり「スキの反対は無関心」という書き方や言い方が結構ネット上だけでもあります。
それだとどうも「スキ←→無関心」みたいに見えてしまうので一応書き直してみた訳です。
もっとも…上の絵に挙げた新垣あやせは好き嫌いに関して過剰反応しすぎですしアキラは逆に無感情無関心にもほどがあります…なので
もう少々「無関心そのもの」よりは「関心度が少しは高い」キャラにつまり現実的な無関心に置き換えてみれば、例えば長門有希辺りが「人間的な無関心」でしょうか



実際、好きと嫌いは結構簡単に転換しうるのですね。
以外にもバランス的なもので成り立っている訳です。
実際「関心を持っている」という意味では好きも嫌いも本質的には同じな訳です。


例えば
「セントビンセント及びグレナディーン諸島在住のルイス・クレストさんが亡くなられた」
「アンチグアバーブーダのキャニオン・ドレスラーさんが亡くなられた」
といっても普通の日本人なら「で…?」となる筈です。無関心だからです。
ところが…アップルのスティーブジョブスが亡くなって、悲しむ人喜ぶ人色々いるとは思いますが
無関心という事はあまりありません。有関心だからです。つまり好きも嫌いも本質的には同じです。


ネット右翼の方々はヘイトにまみれているので
「俺たちの敵か味方か」つまり「好きか嫌いか」
だけで考えているのでどうしても「好き嫌い」の二元論の範疇から
逃れられない訳です(0←→1に囚われている1bit脳とでもいいますか)
いわば「“好き←→嫌い”の線上に囚われている」のがネトウヨという訳です。

「在日朝鮮人は日本から出て行け」とヘイトにまみれているネトウヨな方々は
「正しく無関心でいる事」
を覚えましょう。世の中はどうでも良いことが大半なのです。
そして世の中の殆どの人はあなたには関心がありません。

つまり(ネトウヨな方々は特に)図で書いてきた「無関心」のカテゴリを正しく扱いましょう。
つまり二元対立脳(あるいは1次元脳)から脱出して、どちらでもない
「好きでも嫌いでもない何か」への理解が必要なのです。
いわば一次元から二次元以上の多次元への飛翔です。

もちろん、そういうのには多大なエネルギーが必要だったりします。
そういう時は(こういう感じでもいいので)栄養↓をとって休息も必要です。


「好き←→嫌い」から「無関心」も含めた(直線から平面への)新たな心理的地平への飛翔は、いわば
直線上の数(実数)から平面上の数(複素数)への脱出と言い換えられるかもしれません。
複素数とは下図の様に実数(実根)では表せない数「虚数」を導入した数です。

つまり直線上だけで表せる数(実数)から直線を飛び出さなければ表せない数(虚数)を導入する事で
平面的な数に複素数はなっています。

そしてこの複素数(あるいは平面上で記述される数)を導入する事によっておどろくほど
複雑な事、例えばマンデルブロー集合(フラクタルの一種)が計算出来ます。
下はngc2497自身が少し計算したものですが二次元で書くだけでこういうおどろくほど
複雑な図形が簡単なコードで計算出来ます(fortranコードです。汚いコードでお見苦しいですが…)。
program mandelbrot
!Mandelbrot set drawing prototype
implicit real*8 (a-h,o-z)
dimension xmandel(501,501)
character*90 flname
parameter(flname='mandel.dat')
nx=500;ny=500
xleft=-2.2d0;xright=1.5d0
bottomy=-1.5d0;topy=1.5d0

dx=abs((xright - xleft))/(nx*1.0d0)
dy=abs((topy - bottomy))/(ny*1.0d0)
uplimit=100.0d0
open(32,file=flname,form='formatted')
write(32,*)'Title = "Mandelbrot set"'
write(32,*)'Variables = "X","Y","Div"'
write(32,*)'ZONE T = "ONLY ZONE" ','I = ',nx+1,'J = ',ny+1,' F = POINT'
do i=1,501
write(*,*)'i=',i
do j=1,501
xinit=xleft + 1.0d0*(i-1)*dx
yinit=bottomy + 1.0d0*(j-1)*dy
rinit=xinit**2+yinit**2
cr=0.36d0;ci=0.33d0
! xr=0.0;yr=0.0
xr=xinit;yr=yinit

do k=1,100000
x2r=xr**2 - yr**2 + cr
y2r=2.0d0*xr*yr + ci

x2r=xr**2 - yr**2 + xinit
y2r=2.0d0*xr*yr + yinit

r2=xr*xr+yr*yr
r3=r2/rinit
if(r3 .ge. uplimit) exit
end do
xmandel(i,j)=r3
if(r3 .ge. uplimit) then
xmandel(i,j)=uplimit
else
xmandel(i,j)=r3
end if
write(32,600) xinit,yinit,xmandel(i,j)
600 format(3f12.6)
end do
end do
end


コードを実行して可視化すると下図の様になります。


こういう複雑な事が可能なのも実数(一次元的な並びの数)から複素数(二次元的な並びの数)に飛び出したからの事なのです。
そして一次元から二次元へ飛び出す事はそう難しい事ではありません(物理的にはです。心理的には結構な壁があったりしますが…)
単に心理的な姿勢を変えるだけなのです。
(ここでは二次元を多次元と表現しましたが、もちろん無関心以上の更なる高みの概念を含んだいわば三次元以上の
心理的地平も考えられます)


(ちなみに、フラクタルに関するもっと専門的な事は例えば以下があります。
http://www.math.nagoya-u.ac.jp/~kawahira/courses/mandel.pdf
http://msdn.microsoft.com/ja-jp/library/jj635759%28v=vs.85%29.aspx
下の方が易しいです)

ネット右翼な方々へ言いたい事は
「一次元上に縛られていた2元対立項から抜け出し平面上に記述されるもっと広い考え方へ移行した方が良い」
という事をお勧めする訳です。

御武運を祈ります。

<追記2月27日>
「無関心」という事についてはこういう↓示唆に富んだ言葉もあります。
http://ch.nicovideo.jp/shuhosato/blomaga/ar98913
「なかよし」付録の漫画家セットをやってみた
(中略)
何か違うなぁ…。

鼻に斜線を入れてみたら、口とのバランスが悪くなってしまったようです。
で、唇に影を入れたら、ヒゲのようになってしまいました。

まぁ、いいか。
気にしなければ、問題自体が存在しません。

この
気にしなければ、問題自体が存在しません。
という言葉こそがまさに(佐藤氏が)正しく無関心を扱っていらっしゃる事の一例です。
(ngc2497自身もまだまだ正しく無関心を扱えていませんが…)


では有関心と無関心の両方を含んだ「何か」はなんと記述すればいいんでしょうかね…
私には分かりませんが。


<追記3月10日>
あえて、三つ目の軸を考えてみました(3軸目は人によって色々と答えが異なると思います)
とりあえずngc2497は「知識があるか否か」で3つ目の軸を考えてみました。
本来は三つ目の軸は画面を越えて(3次元なので)書くべきなのですが…ブログですから
無理矢理に二次元に三つ目の軸を落とし込んで書いて見ました。それが以下↓です(無理に3次元を2次元に書いたので横長になってしまいましたが)

上の図に関して説明を補足すると、世の中のよろずの事に関して普段我々がいるのは右の、状態R、知らぬが仏な状態です。
何故なら「知っている事は有限ですが知らない事は無限・無尽蔵にある」のですから。
そして何かに関して知識を得ると状態Rから状態Lへと遷移します。
状態Lの中でどこに落ち着くかが人によって異なります(量子力学で言う「収束」に近い感じでしょうか)
状態Rから状態Lへと遷移した結果、状態Lの中では
  状態LAが「知識はあるがどうでもいいや」という状態
  状態LLが「知識があって“好き”」な状態(いわゆる普通に言う好きな状態です)
  状態LDが「知識があって“嫌い”」な状態(いわゆる普通に言う嫌いな状態です)
という事になります。どこに落ち着くかはその人次第という感じでしょうか。


3軸目(三次元化)を自分なりに拡張してみました。無論三つ目の軸は人によって色々異なっていると思います。


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