鈴木英之句集『北山時雨』
本日は「詩あきんど」メンバーの鈴木英之さんの句集『北山時雨』から数句を鑑賞させていただきます。この句集は『帰農して』48句、及び『北山時雨』48句、そして『大海へ』24句、総句数120句をまとめた句集となっております。
「あとがき」には「昨年(令和4年)大病を患い一命をとりとめた。」という冒頭の書き出しがあり、続いて「あと何年生きられるかわからない気がして、終活の一つとして今まで詠んだ句を百余りまとめたみた。」と。
七十余生の人生を振り返りつつ、「すべてを語るのはむずかしいが、この句集で少しでも表すことができたらと思う。」とも書かれております。
それでは鑑賞させていただきます。
北山時雨(令和元年~2年)48句
赤塚不二夫
向日葵や天才に生き馬鹿と死す
ギャグ漫画の王様と言われて、我々の世代では知らぬ人がいないほどの漫画家。太陽のような、向日葵が発する時代のオーラとして活躍したが、「馬鹿と死す」という表現が、なんだか哀惜の情と憐憫を誘う。
ぐるり花独り占めして昼の饗
訓読みで「饗」は「あえ」と読ますと思われますが、桜の花にぐるりを囲まれて、豪華絢爛の独り占めの舞台装置が用意されているのですね。羨ましい!
帰らざる北山時雨友二人
タイトルにもなった北山時雨とは、学生時代を過ごした京都の北山あたりから降り渡るしぐれだと思われます。京都大学だから哲学の道も連想され、友情を育んだ良き友人との出会い、そしてついに二人の友を失ったのであろうと思われます措辞「帰らざる」の悲痛な気持ち、無念の思いに、時雨がしばしささやきかけ慰められているような気配。
大海へ(令和3年~4年)24句
豆腐屋も菓子屋も消えて梅雨静か
豆腐屋のラッパの音が懐かしい。またワタクシの家の近所にあった駄菓子屋も、もうない。ワタクシと同世代の英之さんの昭和(戦後)の思い出。坐五の「梅雨静か」が効いています。
冬銀河渡る石橋壊しても
近景の石橋と遠景の冬銀河の配置が面白い。昔からある石橋が、壊してもその存在は確かに脳裏にあるのだ。
死に金を凛々しく使え実千両
なにかワタクシが叱咤されているような錯覚を覚えてしまった。「凛々しく使え」という命令形が、終活という己の最後になる「金」を「いかにして使おうか」という、その答えが「凛々しく」なのだ。
プロフ―ィ―ル
1951(昭和26)年 小田原市早川のミカン農家の長男に生まれる
1970(昭和45)年 早川小学校、城南中学校を経て小田原高校卒業
1974(昭和49)年 京都大学農学部卒業、神奈川県庁に就職
1981(昭和56)年 結婚、一男一女
2006(平成18)年 退職して帰農 地域活動(農協・農業委員会)にも関わる
2012(平成24)年 『詩あきんど』に入会(熱海句会に参加)
2019(平成31)年 ミニ句集「帰農して」発行
2021(令和 3)年 ミニ句集「北山時雨」発行
2023(令和 5)年 隠居
🔷2020年7月15日に以下を記事にいたしました。
【鈴木英之】『帰農して』52句集 - 『詩あきんど』詩あきんど年を貪る酒債哉 (goo.ne.jp)
※典比古
「あとがき」の最後には「・・・知人も含め昭和・平成と活躍した人の訃報を聞くことも多く、残念な気持ちになることもある。でも、時代は変わらざるを得ず、新しい時代の萌芽も見受けられるので、次の世代の活躍に希望を持って期待するものである。」と。
同世代の鈴木英之さんですが、ワタクシも最近ちらほら知人の訃報を聞く。
ところで「終活」という言葉は、今では一般的になってはいますが、辞書で調べたら「就活のもじり。週末活動の略か」 また「平成21年(2009)に週刊朝日で連載された現代終活事情により広く知られるようになった。」(デジタル大辞泉)
死は平等であり必ず訪れるものでありますが、なんとしても「死の恐怖」というものを克服しないと、「生まれてきた理由」がわからないと若き頃より常々思っていましたが、以前神道でいうところの「中今(なかいま)」(神道における歴史観の一。時間の永遠の流れのうちに中心点として存在する今・・・・)という言葉に出会い、なんだか身心が軽くなり、腑に落ちてしまったのです。要は「イマイマ」を生きるということだろうと思っています。
「隠居」という言葉から来る語感がいいですね!
どうぞこれからもご健吟、そしてご自愛を!
令和5年3月発行 製本 吉澤朋子