書きたいことを書くブログ

わたくしT.Nが気になったことを記事にします。
コメント受付中(承認制です)

内田良平と講道館

2014-01-28 22:59:46 | ニュース
引用開始

https://www.jstage.jst.go.jp/article/budo1968/39/Supplement/39_39/_pdf

大韓帝国における講道館柔道の移入過程に関す る研究
内 田良平 と大韓帝 国講道館 柔道 の関係(1894-1938)に― 着 目して―

○朴 鍾鎭(国 士舘大学大学院) 杉山重利(国 士舘大学)

1.本 研究の動機及び目的

大韓民国柔道の競技力向上は、近年 の国際舞台での活躍 をみれば明 らかであり、その背景 には国家的取 り組みが うかが える。 この よ うな近年 における大韓 民国柔道の発展の要因として、戦前の日本による36年 間(1910年 から1945年まで)の 植民地統治時代を無視することはできない。その植民地統治時代に おいて 日本か ら講道館柔道 が大韓帝 国にもた らされたのだが、その移入過程 に ついて検討す ることは現在 の大韓 民国柔道 を語 る上で重要 なことである と思わ れる。
これ までの大韓帝国時代 の柔道史 において、講道館柔道の普及段階 に注 目し た研 究はい くつか存在す る。 しか し、講道館柔道 を最初 に大韓帝国 に移入 させ た人物 の一人である内 田良平 に注 目し、その移入過程 に関す る研究 はみ られない。
そこで本研究は、 日本 で講道館柔道 を学んだ内 田良平が大韓帝国 に入 国 した 1894年(明 治27)年 か ら、 日本 帝 国末 期 の1938(昭 和13)年 ま で の44年 間 の大韓帝国にお ける講道館柔道 の移入過程 についてなぜ移入 させ、移入 当初の 様子 は どの ような ものであったのか とい う視点か ら明 らかにす るこ とを目的 とする。

2.結 論

大韓帝国における講道 館柔道 を最初 に伝 えた人物 については青柳 喜平説 と内田良平説 がある。 このこ とついて検討 した結果 、東学党の乱 に内 田良平 が参加 し、その時大韓帝 国に渡 っていた とい う事実か ら本研 究では内田良平が大韓帝国に講道館柔道 を最初 に伝 えた人物 と判断 した。 日本で講道館柔道を学んだ内田良平が大韓帝国に入国し1894(明 治27)年か ら、日本帝国末期 の1938(昭 和13)年 までの44年 間の大韓帝国における 講道館柔道の移入過程 について検討 した結果、大韓帝国にお ける講道館柔道の 普及は内田良平によるもので あった。 しか し1894(明 治27)年 に渡韓 した 内田良平は講道館柔道を普及する目的より、実際は東学党の乱に加担する目的 のほ うが強かった。つま り、 内田良平 は純粋 に講道館柔道 を伝 えるので はな く 韓 日併合 の仕掛人 と して渡韓 し、 日本 による植民地統治化 に深 く関わった人物 である と考え られ る。

引用終わり

参考まで
http://ja.wikipedia.org/wiki/内田良平_(政治運動家)

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。