新型コロナワクチンは人間改造兵器

このままじゃ、本当に日本が無くなってしまう。
みんなに伝えて下さい。
「期日前に行かず、油性ペンで当日投票する!」

広島長崎原爆の真犯人は天皇

2018年11月21日 15時00分04秒 | 日記
以下、広島・長崎原爆の真犯人は天皇より抜粋し転載する。

英国生まれの原爆原理
広島で爆発したウラン原爆の原理はイギリスで生まれた。ウランの核分裂を最初に指摘したオットー・フリッシュがイギリスのバーミンガム大学にナチスから逃れてやってくると、そこにはドイツから帰化していた理論物理学者のルドルフ・パイエルスがいた。フリッシュとパイエルスは、ウランが核分裂の連鎖反応を起こす臨界量を求める計算をした。
ウランの核分裂の連鎖反応は
(a)ウラン238に高速中性子を衝突させた場合
(b)ウラン235に低速中性子を衝突させた場合
(c)ウラン235に高速中性子を衝突させた場合
の3つの場合に起こる可能性があります。ウラン238に低速中性子を衝突させ中性子を吸収させても核分裂しない。
(a)の場合は天然ウランとほとんど同じだが、臨界量は数トン以上となって、飛行機に積める爆弾とするには重すぎた。
(b)の場合は、ウランの核分裂で生ずる高速中性子を低速にするために、黒鉛や重水のような減速材を用いなければならないのでかさばる。さらに、低速中性子がウラン235の原子核に吸収されて次の核分裂を起こすまでに百分の1秒から千分の1秒の時間がかかる。これだけ時間がかかると、連鎖反応で生じたエネルギーによってウランの塊が膨張したり、蒸発したりして、連鎖反応が十分に継続する前に途中でストップし、普通の爆薬の爆発程度にしかならない。
唯一、ウラン原爆になりうるのは、(c)の場合です。

日本は第2次世界大戦中に原爆の実物試験に成功
アトランタコンスティチューション紙
日本は原爆を開発した。第二次世界大戦中、実物試験に成功。ロシアが科学者達をつかんだ。


爆撃機に積載できない原爆
第2次大戦当時、B29などの爆撃機に搭載できるような大きさの原爆を製造できなかった。巷に喧伝される原子爆弾はフィクションである。

アインシュタインのルーズベルト大統領への手紙
「新しいタイプの非常に強力な爆弾が作られるということは --- 確実というほどでないにしても --- 十分に考えられることでもあります。このタイプの単体爆弾がボートで運ばれ、港で爆発すれば、それは港全体を破壊してしまうばかりでなく、その周辺地域をも破壊してしまうでしょう。しかし、この爆弾は、飛行機での輸送には、重すぎることも明らかになるでしょう。」

広島・長崎の原爆は地上起爆
前述のとおり、「爆撃機から投下された原爆」はフィクション(作り話)である。 実際は、地上に設置された原爆が爆発した。
戦時中に米国が設置できるわけもない。では、誰が設置したのか?

広島原爆
1945年(昭和20年)8月6日午前8時15分
広島原爆は、ウラン原爆である。下の写真から地上で爆発していることがわかる。



引用:https://www.youtube.com/watch?v=eaMpGtYyLik&feature=youtu.be

「私、空中から爆弾を落としたとは思ってないんですよ。下から爆発」
元第343海軍航空隊 少尉 本田稔氏の証言


長崎原爆
1945年(昭和20年)8月9日午前11時02分
長崎原爆は、プルトニウム原爆である。


原爆特許所有者は天皇
原爆特許
特許計画が始まった1942年から、米国の原子力施設が原子力委員会に引き継がれた1947年1月まで、マンハッタン計画の特許部門は、原爆に係る5600以上の異なる発明の報告書を、最終的に米国特許庁と共に秘密裏に整理するための2100件別々の特許出願を目録にした。
マンハッタン計画の特許計画は、戦時中に開発された原子力全分野において、米国政府のための総合的な法律上の所有権を取得する計画的な試みだった―その特許は、「採掘されたままの原石から原爆まで」の技術の異なる493科目分類に及んだ。

日本は、広島長崎の原爆の人体や遺伝子への影響を調査し1947年1月2日に米国に提出した。これは、マンハッタン計画の特許出願範囲日(1947年1月まで)にぴったり符合する。

自国民をモルモットにする理由
特許になるためには原爆の効果(遺伝子破壊兵器)を立証する必要がある。
自国民ならば、子々孫々にわたる遺伝子破壊を追跡調査できる。

第2次大戦中も、昭和天皇は英国陸軍元帥
天皇裕仁は英国ウラン爆発軍事応用委員会MAUDの会期中、英国アーミーリストに正規の英国陸軍元帥として掲載されている。
また、第2次大戦中の1942年1月14日英国の新聞タイムズが、「昭和天皇は英国陸軍元帥のリストから除名する必要無し」という英国陸軍省事務官のコメントを掲載している。


英国王室の忠実な隷(しもべ)
国民を疑い、英国王室を賞賛した裕仁天皇は、日本を第2次大戦に導いた。
大英帝国と日本の悪の枢軸」で記述の通り、明治以降の天皇は全て大英帝国の忠実な隷である。


最新の画像もっと見る