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髙木 頌平 ブログ

たまに投稿します🙏

伝道、奉仕について思った事、写真は大塚国際美術館。

2025-01-07 | Weblog
ミケランジェロはシスティナ礼拝堂の天井画を描き終えたとき目を失明した。
絵の具が目に入って。(一回とかじゃ無いと思う。)

約四年でこの絵を描き上げたそうです。
信じられない。

奉仕って一体何だろうって?
最近考えてました。
みんな命がけ。
伝道も礼拝もカッコいいし憧れるけど、
同時にヒヨコの自分には理解できない部分がある。

その大変さを側で見聞きしてるから、情熱や思いはすごく伝わる。
でも、そのモチベーションは皆どこから来るんだろうか。
皆それぞれ違う働き、どうしてそこまでするの?って思う。

人の考えではうーん。
理解できない。
理解したいと思うけど、何かが根本的に違う。

伝道。この絵もそう。
今も多くの人の胸を打っています。
美術館の入口にあって皆礼拝堂の椅子に座って天井見たり、通り過ぎたり、ウロウロ歩く。
椅子でグーグー寝てる人もいる。

怒られないんです。
ここ。

大塚美術館の絵は転写されたものだから、
どれも触っても怒られない。

話戻すけど、そいでずっと考えてた。
奉仕について。
絵を見てもわかんない。
涙出たけど。
わかんない。

伝道や奉仕ってなんなのか。
わかんない。
寝た。わかんない。

バイブル読んだ。
そしたら聖書の箇所が目に入ってきて、
僕にとってはすごく譜に落ちた。

Jesusありがとう🙏

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"御使いはみな、奉仕する霊であって、救いを受け継ぐことになる人々に仕えるために遣わされているのではありませんか。"
ヘブル人への手紙 1章 14節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

ヘブライ人への手紙 1:14 新共同訳
[14] 天使たちは皆、奉仕する霊であって、救いを受け継ぐことになっている人々に仕えるために、遣わされたのではなかったですか。

https://bible.com/bible/1819/heb.1.14.%E6%96%B0%E5%85%B1%E5%90%8C%E8%A8%B3

お祈り

2024-11-18 | Weblog

ハレルヤ天のお父様

私は祈ります。


夜、目の前には荒野が広がり、

どこに行っていいのか わからない時。

主よ あなたの言葉はカンテラのようです。

いつも正しい道を示します。


心が疲れ枯れ果て、

何をしても、

何を得ても 虚しい夜。

主の決して枯れない泉に ふと出会えますように。


日々様々な困難が押し寄せます。

どうか、この方々を覚えて下さい。


喜びや楽しみが訪れますように。

この方々の重荷を取り、あなたが休ませて下さい。


主よ。

私はあなたと共にここにいます。

私に出来ることは、今は小さく少ないです。


しかし、主よ あなたは違います。

奇跡を今も起こされます。


私を又、他の方も用い、

与えられた場所で強めて下さい。


愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、 柔和、自制をお与え下さい。


あなたの道から私が誘惑によって、それないようにして下さい。


主よ

消えかけた心に火が灯ります様に

薪が燃え盛るよう

あなたが息を吹きかけ続けて下さい。

決して燃え尽きることのない柴の様に

主への 思いを燃やし続けて下さい。


愛する主イエス・キリストの名前によって

Amen🙏


髙木 頌平


ヒマワリ

2024-08-31 | Weblog

主よ

あなたをみました。

ひどい雨で
風で折れたり、切れてしまったり、頭を垂れたり、何とか咲いている者もいます。

夕方には皆どんよりとしていました。
朝が来て、皆を主が照らします。

どのヒマワリも輝いていました。

"私たちは愛しています。神がまず私たちを愛してくださったからです。"
ヨハネの手紙第一 4章 19節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

たかぎ しょうへい

#Jesus


You are never alone

2024-08-14 | Weblog
お父様
私は祈ります。

今日、目覚めたこと、食事がある事に感謝致します。

海には
潮溜まりも、
遠くまで流れいていく黒潮もあります。

主の愛は
そのどちらにも注がれ命が芽生えています。

船は
津波の時も、嵐の時も、雪の時も、凍った海も、
ゴミだらけでも、正面から波を受け越えていきます。

どんな波も、
主は私と共に越え、
人や、物事を通して教えて下さいます。

やがて船が沈み、
凍てつく海に投げ出されても、
私は暖かい気持ちで主に会えます。
主がいつも側におられますから。

どうか、今日。
その愛に気づいて、
受けとれる日となりますように。

あなたは愛されています。
決して一人ではありません。

尊いイエス様の名前で感謝してお祈り致します。
Amen🙏

"神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。"
ヨハネの福音書 3章 16〜17節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

たかぎ しょうへい

アーサー・ホーランド牧師のDaily Messageをシェアしました。

2024-07-31 | Weblog
GREAT MEANING
生きることの意味

自分の思い通りにならない...
それは悪いことではない。
実は良いことである。
思い通りにならないことが
己を知ることにつながる。

人生それ自体に何かがあるのではなく、
人生はあなたが何かをする機会なのだ。
人生に人生の意味を問うのではなく、
人生があなたに人生の意味を問うているのだ。
生きるということは問われることであり、
生きるとはその問いに答えていく責任が
あるということなのだ。

人生に起きること全ては
この世に存在する意義を
考えさせてくれる。
故に、挫折も失敗も
試練も病気も
苦しみも絶望も
何一つ無意味ではなく、
意識次第で意味あるものとなる。

THE BIBLEの中でパウロは
「そればかりではなく、
患難さえも喜んでいます
それは患難が忍耐を生み出し、
忍耐が練られた品性を生み出し
練られた品性が希望を生み出すと
知っているからです。」
と述べている。

ピンチはチャンスであり、
絶望は希望への入り口なのだ。
ジーザスの愛弟子ヨハネは、
「光は闇の中に輝いている。
闇は光に打ち勝たなかった。」
と書いている。

試練や患難から逃げないことだ。
それらに背を向けるのではなく、
むしろ向き合い、対峙するといい。
悲しい時、苦しい時は
その悲しみや苦しみを
認めることだ。

ジーザスは
「悲しむものは幸いである。
その人は慰められる。」
と説いている。

詩編の歌人は、
「苦しみにあったことは
私にとって幸せでした。
私はそれであなたの掟を
学びました。」
と証している。

今日という日が
十字架上であなたの
救いのためにご自身を捧げて、
蘇られたジーザスに
心を開くことができる日と
なりますように。

「様々な試練に会う時は
この上もない喜びと思いなさい。」
ヤコブ1:2

2024年7月31日
アーサー・ホーランド

アーサー・ホーランド牧師のDaily Messageをシェアします🙏

2024-07-29 | Weblog
FINGERPRINTS OF THE ALMIGHTY
大いなる方の指紋

「星の王子さま」で有名な
A・サンテグジュペリは
著書、「人間の土地」のなかで
「大地は万巻の書よりも
人間について多くを教えてくれる。」
と述べている。

300年ほど前に書かれたと
言われているアメリカ先住民の
祈りがある:
「美の中を歩かせてください。
赤と紫の夕日を見させてください。
私の手にあなたの造ったものを
愛させてください。
あなたの声を聞かせてください。
あなたが岩や葉っぱの影に隠した
教えを学ばせてください。
私は力を求めます。
それは兄弟より強くなるためではなく、
一番手強い敵、自分自身と戦うためです。
いつでも清い手と、素直な目で
あなたの元へと行けるように
準備させてください。
消えゆく夕日のように
私の人生が消えていく時、
私の心が、また、たましいが
恥じることのないように。」

本の中の本と言われている
聖書には、
「神の、目には見えない本性、
すなわち永遠の力と神聖は
世界の創造された時からこの方、
被造物によって知られ、
はっきりと認められるのであって
私たちには弁解の余地は
ないのです。」
とある。

沖縄の喜屋武岬から
北海道の宗谷岬の3000キロの
旅の中で創世記の冒頭のことばを
噛み締めて歩く。

「地は形がなく、
闇で覆われていた。
大水の上を神の霊が動いていた。
神は仰せられた、『光よ、あれ。』
すると光があった。」

自然界の全て、そして
私たちの存在さえも
創造主、全能者のおかげなのだ。

その方が人となり、
救い主となって
私たちの元に来てくださり、
十字架にかかり、
死なれ蘇られた。

今日という日が、
心の闇に光を与える
たましいのロッカー、
ジーザスを心に歓迎できる日と
なりますように。

「天は神の栄光を語りつげ、
大空は神のみ手の技を告げ知らせる。」
詩編19:1

2024年7月29日
アーサー・ホーランド

2024/02/23 アーサー・ホーランド牧師のメッセージ。

2024-02-24 | Weblog
MEANING OF EXISTENCE
存在価値

目は見るためにあり、
耳は聞くためにある。
手や足は仕えるためにある。
人生は旅であり、
人それぞれが歩み進むべき
道がある。

人は人生において
一度は、
「自分はどこから来て
何のために生き、
どこに向かっていくのか」
と自問することがある。

神が人となったジーザスは、
「私が道であり、真理であり、
いのちなのです。わたしを
通して出なければ
本質なる方と繋がることは
できません。」
と言われた。

人生は自分探しの旅と
いえよう。
自分と向き合うことは
ご自身のすがたに似せて
創造してくださった
大いなる方と向き合う
ことを意味する。

それはあなたが
天上天下唯我独尊、
神の傑作であることに
目覚めることであり、
あなたには
生きる意味があり、
責任があり、
使命があることに
気付かされることである。

「夜と霧」の著者、
V・フランクルは、
「体験にまさる
教えはない。知識は
経験によって
裏付けられる。」
と述べている。

THE BIBLEには、
「このキリストのうちに
知恵と知識との宝が
全て隠されているのです。」
とある。

今日という日が
あなたにとって
知恵と知識の宝なる
ジーザスと出会える日と
なりますように。

「わたしの目には
あなたは高価で尊い。
わたしはあなたを
愛している。」
イザヤ43:4

2024年2月23日
アーサー・ホーランド

マルコの福音書 12章

2024-01-10 | Weblog
マルコの福音書
12章

 1,それからイエスは、たとえで彼らに話し始められた。「ある人がぶどう園を造った。垣根を巡らし、踏み場を掘り、見張りやぐらを建て、それを農夫たちに貸して旅に出た。
2,収穫の時になったので、ぶどう園の収穫の一部を受け取るため、農夫たちのところにしもべを遣わした。
3,ところが、彼らはそのしもべを捕らえて打ちたたき、何も持たせないで送り返した。
4,そこで、主人は再び別のしもべを遣わしたが、農夫たちはその頭を殴り、辱めた。
5,また別のしもべを遣わしたが、これを殺してしまった。さらに、多くのしもべを遣わしたが、打ちたたいたり、殺したりした。
6,しかし、主人にはもう一人、愛する息子がいた。彼は『私の息子なら敬ってくれるだろう』と言って、最後に、息子を彼らのところに遣わした。
7,すると、農夫たちは話し合った。『あれは跡取りだ。さあ、殺してしまおう。そうすれば、相続財産は自分たちのものになる。』
8,そして、彼を捕らえて殺し、ぶどう園の外に投げ捨てた。
9,ぶどう園の主人はどうするでしょうか。やって来て、農夫たちを殺し、ぶどう園をほかの人たちに与えるでしょう。
10,あなたがたは、次の聖書のことばを読んだことがないのですか。
  『家を建てる者たちが捨てた石、
  それが要の石となった。
11, これは主がなさったこと。
  私たちの目には不思議なことだ。』」
12,彼らは、このたとえ話が自分たちを指して語られたことに気づいたので、イエスを捕らえようと思ったが、群衆を恐れた。それでイエスを残して立ち去った。

 13,さて、彼らはイエスのことばじりをとらえようとして、パリサイ人とヘロデ党の者を数人、イエスのところに遣わした。
14,その人たちはやって来てイエスに言った。「先生。私たちは、あなたが真実な方で、だれにも遠慮しない方だと知っております。人の顔色を見ず、真理に基づいて神の道を教えておられるからです。ところで、カエサルに税金を納めることは、律法にかなっているでしょうか、いないでしょうか。納めるべきでしょうか、納めるべきでないでしょうか。」
15,イエスは彼らの欺瞞を見抜いて言われた。「なぜわたしを試すのですか。デナリ銀貨を持って来て見せなさい。」
16,彼らが持って来ると、イエスは言われた。「これは、だれの肖像と銘ですか。」彼らは、「カエサルのです」と言った。
17,するとイエスは言われた。「カエサルのものはカエサルに、神のものは神に返しなさい。」彼らはイエスのことばに驚嘆した。

 18,また、復活はないと言っているサドカイ人たちが、イエスのところに来て質問した。
19,「先生、モーセは私たちのためにこう書いています。『もし、ある人の兄が死んで妻を後に残し、子を残さなかった場合、その弟が兄嫁を妻にして、兄のために子孫を起こさなければならない。』
20,さて、七人の兄弟がいました。長男が妻を迎えましたが、死んで子孫を残しませんでした。
21,次男が兄嫁を妻にしましたが、やはり死んで子孫を残しませんでした。三男も同様でした。
22,こうして、七人とも子孫を残しませんでした。最後に、その妻も死にました。
23,復活の際、彼らがよみがえるとき、彼女は彼らのうちのだれの妻になるのでしょうか。七人とも彼女を妻にしたのですが。」
24,イエスは彼らに言われた。「あなたがたは、聖書も神の力も知らないので、そのために思い違いをしているのではありませんか。
25,死人の中からよみがえるときには、人はめとることも嫁ぐこともなく、天の御使いたちのようです。
26,死人がよみがえることについては、モーセの書にある柴の箇所で、神がモーセにどう語られたか、あなたがたは読んだことがないのですか。『わたしはアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である』とあります。
27,神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神です。あなたがたは大変な思い違いをしています。」

 28,律法学者の一人が来て、彼らが議論するのを聞いていたが、イエスが見事に答えられたのを見て、イエスに尋ねた。「すべての中で、どれが第一の戒めですか。」
29,イエスは答えられた。「第一の戒めはこれです。『聞け、イスラエルよ。主は私たちの神。主は唯一である。
30,あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。』
31,第二の戒めはこれです。『あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい。』これらよりも重要な命令は、ほかにありません。」
32,律法学者はイエスに言った。「先生、そのとおりです。主は唯一であって、そのほかに主はいない、とあなたが言われたことは、まさにそのとおりです。
33,そして、心を尽くし、知恵を尽くし、力を尽くして主を愛すること、また、隣人を自分自身のように愛することは、どんな全焼のささげ物やいけにえよりもはるかにすぐれています。」
34,イエスは、彼が賢く答えたのを見て言われた。「あなたは神の国から遠くない。」それから後は、だれもイエスにあえて尋ねる者はいなかった。

 35,イエスは宮で教えていたとき、こう言われた。「どうして律法学者たちは、キリストをダビデの子だと言うのですか。
36,ダビデ自身が、聖霊によって、こう言っています。  
  『主は、私の主に言われた。
  「あなたは、わたしの右の座に着いていなさい。
  わたしがあなたの敵を
  あなたの足台とするまで。」』
37,ダビデ自身がキリストを主と呼んでいるのに、どうしてキリストがダビデの子なのでしょう。」
 大勢の群衆が、イエスの言われることを喜んで聞いていた。

 38,イエスはその教えの中でこう言われた。「律法学者たちに気をつけなさい。彼らが願うのは、長い衣を着て歩き回ること、広場であいさつされること、
39,会堂で上席に、宴会で上座に座ることです。
40,また、やもめたちの家を食い尽くし、見栄を張って長く祈ります。こういう人たちは、より厳しい罰を受けます。」

 41,それから、イエスは献金箱の向かい側に座り、群衆がお金を献金箱へ投げ入れる様子を見ておられた。多くの金持ちがたくさん投げ入れていた。
42,そこに一人の貧しいやもめが来て、レプタ銅貨二枚を投げ入れた。それは一コドラントに当たる。
43,イエスは弟子たちを呼んで言われた。「まことに、あなたがたに言います。この貧しいやもめは、献金箱に投げ入れている人々の中で、だれよりも多くを投げ入れました。
44,皆はあり余る中から投げ入れたのに、この人は乏しい中から、持っているすべてを、生きる手立てのすべてを投げ入れたのですから。」

マルコの福音書 12章 1節〜44節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会




出エジプト記 25章

2024-01-10 | Weblog
出エジプト記
25章

 1,主はモーセに告げられた。
2,「わたしに奉納物を携えて来るように、イスラエルの子らに告げよ。あなたがたは、すべて、進んで献げる心のある人から、わたしへの奉納物を受け取らなければならない。
3,彼らから受け取る奉納物は次のものである。金、銀、青銅、
4,青、紫、緋色の撚り糸、亜麻布、やぎの毛、
5,赤くなめした雄羊の皮、じゅごんの皮、アカシヤ材、
6,ともしび用の油、注ぎの油と、香り高い香のための香料、
7,エポデや胸当てにはめ込む、縞めのうや宝石である。
8,彼らにわたしのための聖所を造らせよ。そうすれば、わたしは彼らのただ中に住む。
9,幕屋と幕屋のすべての備品は、わたしがあなたに示す型と全く同じように造らなければならない。

 10,アカシヤ材の箱を作り、その長さを二キュビト半、幅を一キュビト半、高さを一キュビト半とする。
11,それに純金をかぶせる。その内側と外側にかぶせ、その周りに金の飾り縁を作る。
12,箱のために金の環を四つ鋳造し、その四隅の基部に取り付ける。一方の側に二つの環を、もう一方の側にもう二つの環を取り付ける。
13,また、アカシヤ材で棒を作り、それに金をかぶせる。
14,その箱を棒で担ぐために、その棒を箱の両側の環に通す。
15,その棒は箱の環に差し込んだままにする。外してはならない。
16,その箱に、わたしが与えるさとしの板を納める。

 17,また、純金で『宥めの蓋』を作り、その長さを二キュビト半、幅を一キュビト半とする。
18,二つの金のケルビムを作る。槌で打って、『宥めの蓋』の両端に作る。
19,一つを一《いっ》方の端に、もう一つを他方の端に作る。『宥めの蓋』の一部として、ケルビムをその両端に作る。
20,ケルビムは両翼を上の方に広げ、その翼で『宥めの蓋』をおおうようにする。互いに向かい合って、ケルビムの顔が『宥めの蓋』の方を向くようにする。
21,その『宥めの蓋』を箱の上に載せる。箱の中には、わたしが与えるさとしの板を納める。
22,わたしはそこであなたと会見し、イスラエルの子らに向けてあなたに与える命令を、その『宥めの蓋』の上から、あかしの箱の上の二つのケルビムの間から、ことごとくあなたに語る。

 23,また、アカシヤ材で机を作り、その長さを二キュビト、幅を一キュビト、高さを一キュビト半とする。
24,これに純金をかぶせ、その周りに金の飾り縁を作り、
25,その周りに一手幅の枠を作り、その枠の周りに金の飾り縁を作る。
26,その机のために金の環を四つ作り、四本の脚のところの四隅にその環を取り付ける。
27,環は枠の脇に付け、そこに机を担ぐ棒を入れる。
28,アカシヤ材で机を担ぐための棒を作り、これに金をかぶせる。
29,また、注ぎのささげ物を注ぐための皿、ひしゃく、瓶、水差しを作る。これらを純金で作る。
30,机の上には臨在のパンを置き、絶えずわたしの前にあるようにする。

 31,また、純金の燭台を作る。その燭台は槌で打って作る。それには、台座と支柱と、がくと節と花弁があるようにする。
32,六本の枝がその脇の部分から、すなわち燭台の三本の枝が一方の脇から、燭台のもう三本の枝がもう一方の脇から出る。
33,一方の枝に、アーモンドの花の形をした、節と花弁のある三つのがくを、また、もう一方の枝にも、アーモンドの花の形をした、節と花弁のある三つのがくを付ける。燭台から出る六本の枝はみな、そのようにする。
34,燭台そのものには、アーモンドの花の形をした、節と花弁のある四つのがくを付ける。
35,それから出る一対の枝の下に一つの節、それから出る次の一対の枝の下に一つの節、それから出るその次の一対の枝の下に一つの節。このように六つの枝が燭台から出ていることになる。
36,それらの節と枝とは燭台と一体にし、その全体は一つの純金を打って作る。
37,また、ともしび皿を七つ作る。ともしび皿は、その前方を照らすように上にあげる。
38,その芯切りばさみも芯取り皿も純金である。
39,純金一タラントで、燭台とこれらのすべての器具を作る。
40,よく注意して、山であなたに示された型どおりに作らなければならない。

出エジプト記 25章 1節〜40節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会


コリント人への手紙第一 13章

2023-11-30 | Weblog
コリント人への手紙第一
13章

 1,たとえ私が人の異言や御使いの異言で話しても、愛がなければ、騒がしいどらや、うるさいシンバルと同じです。
2,たとえ私が預言の賜物を持ち、あらゆる奥義とあらゆる知識に通じていても、たとえ山を動かすほどの完全な信仰を持っていても、愛がないなら、私は無に等しいのです。
3,たとえ私が持っている物のすべてを分け与えても、たとえ私のからだを引き渡して誇ることになっても、愛がなければ、何の役にも立ちません。
4,愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。
5,礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、苛立たず、人がした悪を心に留めず、
6,不正を喜ばずに、真理を喜びます。
7,すべてを耐え、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを忍びます。
8,愛は決して絶えることがありません。預言ならすたれます。異言ならやみます。知識ならすたれます。
9,私たちが知るのは一部分、預言するのも一部分であり、
10,完全なものが現れたら、部分的なものはすたれるのです。
11,私は、幼子であったときには、幼子として話し、幼子として思い、幼子として考えましたが、大人になったとき、幼子のことはやめました。
12,今、私たちは鏡にぼんやり映るものを見ていますが、そのときには顔と顔を合わせて見ることになります。今、私は一部分しか知りませんが、そのときには、私が完全に知られているのと同じように、私も完全に知ることになります。
13,こういうわけで、いつまでも残るのは信仰と希望と愛、これら三つです。その中で一番すぐれているのは愛です。

コリント人への手紙第一 13章 1節〜13節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

SOUND FROM HEAVEN

2023-09-25 | Weblog
SOUND FROM HEAVE
天からの音色

音色は流れ、音色は癒し
音色は語り、音色は響き

獣は教え、空の鳥は告げ知らせ、
地も海の魚もあなたに語りかける

本質なる方は天地万物を
言葉の音色で創造し、
全ていのちあるもの、
また息する人はその
サウンドによって
生き、動き、存在している。

ゴスペルとは
GODとSPELL、
すなわち神は書いた、
とも訳すことができる。
福音、良い知らせは
あなたへのgood newsであり、
その音色は、神は初めに混沌とした
闇の中から「光よあれ」、と
仰られると天地万物が創造され
いのちの音色、サウンドが生まれた。

今日もそのゴスペルのサウンドは
川のせせらぎ、岸辺に打ち寄せる波の音
空を舞う鳥のさえずり、
林をかける風の音を通して、
あなたが偶然ではなく
摂理により、神によって息が吹き込まれ
今生かされていることに気付かされる。

今日という日が
あなたにとってあなたを愛してやまない
あなたのデザイナーなる方に
出会い、たましいに安らぎを得ることができる
日となりますように。

「神は実にそのひとり子を
お与えになるほどに
世を愛された。」
ヨハネ3:16

アーサー・ホーランド
2023年9月25日


Jesusを受け入れる祈りを作ってみたで✌

2023-09-14 | Weblog
父よ
私は祈ります。
私は罪人です。
今まで自分勝手に生きてきました。
私が現在、過去、また未来に犯すであろう罪を全て背負い、あなたは十字架にかかり死ん下さいました。
赦してくれました。
そして、3日目に蘇り、天に登って代わりの者、聖霊様を遣わしました。
私は貴方を信じます。
貴方が人の体として帰ってくる事も、信じています。
三位一体の神であることも信じています。
どうか聖霊様、私の中に入ってきて下さい。

ありがとうございます。
あなたと歩める日々を喜びで満たして行きます。

Amen

8月28日 アーサー・ホーランド牧師の投稿をシェアしています。

2023-09-14 | Weblog
RIGHT NOW
この先、また後、
ではなく、今

先のことを思い悩むことはない。
後のことを思い煩うこともない。
過ぎ去った過去を悔やんでも
どうにもならない。

まだ来ない未来のことを
心配してもなんの足しにも
ならない。

THE BIBLEには、
「先のことどもを思い出すな。
昔のことどもを考えるな。
見よ。わたしは新しいことをする。
今、もうそれが起ころうとしている。
あなた方はそれを知らないのか。
確かにわたしは荒野に道を
荒地に川を設ける。」
とある。

あなたを愛してやまない
大いなる存在は
一寸先は闇、と思える時に
希望の光を与えることができる。

荒れ果てた道なきところに
道を、また乾き切った荒地に
潤いを与えるために川を
設けてくださるのだ。

たましいのロッカーは
「心の貧しいものは幸いである。
神の祝福である豊かな命は
その人のものである。」
と言われる。

また、
「渇いている者は
わたしのところにきて
飲みなさい。
わたしを信じる者は
その人の心の奥底から
生ける水の泉が
溢れ出るであろう。」
と約束しておられる。

今日という日が
あなたにとって、
先のこと、後のことではなく、
今、新しいことを
してくださるジーザスの
スピリットに満たされる日で
ありますように。

「聖書はこう言っています、
『彼に信頼する者は
失望させられることがない。』」
ローマ11:11
2023年8月28日
アーサー・ホーランド

8月25日

2023-09-14 | Weblog
REMINDER
リマインダー

媚びることはない。
己らしさを見つけることだ。

あなたは高価で尊く
愛されている
唯一無二の存在なのだ。

あなたは天地万物を
創造された方の
傑作である。

やれないことを嘆くより
やれることを見出せるといい。

人には不可能に思えても
全能者には可能である。

弱さを感じるあなたを
強くしてくださる方は
あなたがどんな境遇にあっても
それに対処できるように
してくださる。

どうにもならない時は
「ケ・セラ・セラ、
なんとかなる」と、
大いなる方の御手に委ねて
生きていくことだ。

THE BIBLEには、
「あなた方の思い煩いを
一切、神に委ねなさい。
神があなたの
ことを心配してくださる。」
とある。

そして感謝を忘れないように。

今あなたが存在するのも
あなたを愛してやまない方の
お陰だ。

あなたは偶然ではなく、
神の御心によって
いのちが与えられ
この世に存在している。

「いつも喜んでいなさい。
絶えず祈りなさい。
どんな時にも感謝しなさい。」
という聖書の言葉のように、
大いなる方にあって、
喜び、祈り、感謝できる人生を
歩みたい。

「わたしが来たのは
あなたがたがいのちを得、
それを豊かに持つためです。」
ヨハネ10:10

2023年8月25日
アーサー・ホーランド