心のスケッチA 谷川 俊太郎
一本の線を書く
もう一本の線を書く
また一本の線を書く
そうしてまた・・・
一束の線に
いかなる記号も象徴も見ず
黙っている
それが髪になり
草になり
流星になり
水になるのを
楽しんで
ただ文字になることだけは
決して許さず
一椀の茶を
飲みながら
試行錯誤している詩人の姿を、私と重ね合わせて しまいました。
一本の線を書く
もう一本の線を書く
また一本の線を書く
そうしてまた・・・
一束の線に
いかなる記号も象徴も見ず
黙っている
それが髪になり
草になり
流星になり
水になるのを
楽しんで
ただ文字になることだけは
決して許さず
一椀の茶を
飲みながら
試行錯誤している詩人の姿を、私と重ね合わせて しまいました。
言葉にあるしがらみには、重たくなる。ややこしくなる。そうした解りにくさにこそが、表現のポイントかも。
いかにも現実に起きているように。
いかにも過去にあったように。
いかにも自分にかかわっているように。
いかにも「私」が語っているように。
いかにも「私」がほんとうに思っているように……ということ。
つまり、そういうふうな喩えがほんとうのように見えてしまうことを。喩えを本気にしてしまうことを。
だからこそ、「ただ文字になることだけは/決して許さず」という。
しかも、そのあとにはいかにも皮肉な風情で、「一碗の茶を/飲みながら」とつづいている。
まるで「わかること」を疑う自分をも疑っているかのようです。
一本の線からは、無限の未来が開かれます。
一本の線から、それぞれの感受性によっていろいろ分析
されますね。
私は、線をひくという ありふれた行為から生の現実の断面に至ろうとする志向を感じました。
生きる姿勢における決意に感性や言葉の呼吸法に必然的な遍路があるように見えました。