猫語のブログ〜ねこさんの、ぼくによる、ねこさんのためのよみもの〜

「猫語の教科書」をだいざいに、しもべいくせいほうほうなど。

ねこさんくさのあんてい供給をじつげんしたぼく

2023-03-26 | 日記

みなさん、ぼくはついに、
ねこさんくさの安定きょうきゅうを
じつげんいたしました。
ぼくはまいにち、ぼくのこころゆくだけねこさんくさを
めしあがることができるのです。

ねこさんがのぞんだことは、おそかれはやかれ、
そのとおりになるのがこのよのことわりですので
まるでごじまんするようなことでもないのですが、
たまにはしもべのおてがらもごひろうしよう、と、
そういうわけなのでおひげがかわくのをまつあいだの
たいくつしのぎにでもおつきあいください。

🐾・・・・・・・・・・・・・・º–º•・・・・・・・・・・・・・・・・・・🐾

ねこさんくさをあんてい供給するには
ねこさんくさサイクルをかくりつさせねばなりません。
いまあるねこさんくさがきいろくなるころに
つぎのねこさんくさがたべごろになっているよう
じゅんびしておけば、つねにねこさんは
ねこさんくさにごまんぞくできます。

かんたんなことのようにおもえますが、
どうしてなかなか、これがむずかしいのです。

というのも、ねこさんくさはそのときどきにより
食べごろにそだつまで、食べごろの期間、
きいろくなり、しまいに切り干し大根になるまでの
ながさがちがうのです。

ですので、つぎのねこさんくさのじゅんびを
はやまりすぎても、のんびりしすぎても
ねこさんくさをただしくじゅんびすることは
できません。

ですのでしもべはまずもって、
ねこさんくさのうつろいを
よちするちからをかくとくすることから
はじめなければなりません。

ただ、このなんかんしもべがとっぱしたからといって

それであんてい供給がじつげんするわけでもないのです。
だって、そのちからをつかうのはしもべなのですから。

ぼくのしもべのことでいいますと、
このサイクルの確立のさいだいのなんかんは、
しもべのめんどくさがりでした。

しかし、このめんどくさがりこそが
さいだいのなんかんを突破するかぎでもありました。
めんどくさがりにはじまり、めんどくさがりにおわる
さしずめそんなところでしょう。

めんどくさがりとは、人間のせいしつをあらわすことばで、
たとえば

・ごみをだしたあとのごみばこに
 ちっともあたらしいごみぶくろをかけようとしない
・せんたっきがおわりましたよとおしらせしても
 いっこうにせんたっきのなかみをつるさない
・つるされたせんたっきのなかみはずっとつるされたまま
・でんちのきれたとけいはいつまでもとまったまま
・たべるくだものはもっぱらバナナ、みかん、いちごにがきられる
・あげものはぜったいにしない
・せんざいでもなんでも、のこりがすくなくなるととたんに
 ちょびっとずつしかつかわないようになる
・ごはんは、おこめもおかずものみものもひとつの
 うつわにいれるのが流儀

うえにならべたようなこうどうをするのにんげんのことを
めんどくさがりといいます。・

ぼくのしもべは、いぜんからおはなししているとおり
このようなせいしつをきわめているタイプのにんげんですが
ぼくのおいいつけはそこなわずおこないますので
ぼくの、どりょくがいかほどであるか
おわかりただけるとおもいます。

このようなしもべのせいしつが
ねこさんくさサイクルの確立をはばむのは
なぜでしょうか。

めんどくさがりなせいしつのばあい、
つぎのねこさんくさをじゅんびするとのはいまこのとき
とよちできたとしても、そのじゅんびを
なにかとりゆうをつけて
あとまわしにするためです。


ぼくのしもべがつぎのねこさんくさをじゅんびする方法は、
だれかがはやしてくれたねこさんくさをかってくるか
ねこさんくさのもとをつかってしもべがはやすか
おおきくいうとこのふたつです。

さいしょの、だれかがはやしたねこさんくさをかってくる
というのがいっぱんてきには、いちばんかんたんとおもわれます。

しかし、めんどくさがりなしもべにとっては
まったくかんたんなことではないのです。

まず、めんどくさがりですから
ねこさんくさをかいにいくことそのものが
めんどくさいわけですね。

ですので、かいにいったほうがよいと
よちしたそのひにかいにいくことはありません。

それから3日ほどたってから、
あれもこれもそれもかってこなければならぬので
よし、ねこさんくさをかいにいこうときめます。

そうきめて2日後くらいに
しもべはようやくかいにいくわけですが、
あれこれかってくるものがありますから、
かんじんのねこさんくさを
買ってくることをわすれます。

それでやはりめんどくさがりですから、
ねこさんくさをかってくるためだけにはでかける
つもりはありません。
ついでにかうべきものをおもいえがくまで
かいにゆきません。

こうなると、ぼくはしばらく
切り干し大根様のねこさんくさをめしあがる
覚悟を決めます。

しもべがつぎにかいにいくときには
いまのねこさんくさのさきっぽが
きいろくなってきたころですが、
だいたいにおいてそのばあいには
たべごろのねこさんくさはおみせに
うってない、というのがさだめです。

かいにいくほうほうの、いちばん御し難い点は、
かいにいったばしょに、どんなねこさんくさがうってあるのかが
いってみなければわからないところです。

たべごろのねこさんくさがあるのか、ないのか
それはかけのようなもです。

そしてだいたいぼくのしもべはこのかけに負けますから
ぼくはしなびて切り干し大根様のねこさんくさを
うけいれるしかなくなります。

いちばんかんたんにおもえることが
ぼくのしもべにとってはもっともむずかしいことの
ようでしたので、ぼくはしもべにべつの、ねこさんくさの
もとからはやすほうほうをごていあんしたのです。

さて、ながくなりましたから
このつづきはじかいにいたしましょう。



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