東京都森林警備隊

至高の四駆「ゲレンデバーゲン」とメルセデスをこよなく愛する友人達の出撃基地

公共交通の運賃(中編)

2008-02-29 00:00:56 | 森林鉄道警察隊
 運賃検索、試されましたか?


 印旛日本医大→(北総線)→京成高砂→(京成線)→押上→(都営線)→東銀座→(メトロ線)→銀座のルートで、¥1,260.-です。


 運がよければ印旛日本医大から東銀座まで、直通電車で乗換えなしで来れますが、運賃は北総線/京成線/都営・メトロ線それぞれで初乗り運賃を計上されます。しかも、ニュータウンの第三セクター路線は運賃が高いのがデフォルト。
 これらが複合した結果、何と往復¥2,520.-。家族4人で千葉ニュータウンから銀座へ買い物に出掛けると、交通費だけで1万円が飛んでいく計算です。


 老舗週刊誌「週刊朝日」恒例の年始特集で、小倉百人一首の「本歌取り」パロディ短歌を公募していましたが、十数年前の応募作で忘れえられないのが、 


 百人一首:「我が庵は都のたつみ鹿ぞすむ~」の歌をもじって

      「我が家は都のたつみ狸すむ通勤二時間定期四万」

 ちなみに、印旛日本医大-銀座の通勤1箇月定期は52070円也。乗車時間は1時間15分ほどですが、定期代は4万円を遥かに上回ります。
 

 私は、千葉ニュータウンのことをとやかく言うためにこの例を挙げたのではありません。
 私個人としては千葉ニュータウンはいい街だと思っています。成田空港への行き帰りで時間的余裕があるときは、巨大なDIY店で買物し、恐らくは近隣で一番安いガソリンを満タン給油し、その日の気分で選り取りみどりのレストランで食事をするようにしています。

 では何が言いたいのかというと、千葉ニュータウンは距離的にも利便性でも都心に近い便利なところなのに、「運賃の連続性」が無いために高い交通費を払わされていることを問題にしたいのです。



 公共交通を利用していて、何が不便か。
 様々問題点はあると思いますが、総てに共通するキーワードが「連続性」です。

 公共交通とマイカーなどの私的移動手段は、何が一番違うのかといえば、マイカーはドア・トゥー・ドアで移動が可能で、基本的に断絶がありません。事故に巻き込まれるか、クルマが故障するかしない限り、自宅から目的地まで同じクルマで移動し、同じクルマで帰ってきます。


(続く)


 







公共交通の運賃(前編)

2008-02-28 00:00:51 | 森林鉄道警察隊
 旅行先でも出張先でも、私はできる限り「公共交通機関」を利用するようにしています。


 もともと「公共交通マニア」であることや、「旅費の節約」に喧しい会社経理の指示、個人の経済的負担の軽減が大きな理由であることは否定しませんが、ドア・トゥー・ドアでタクシー移動してしまうと、タクシーの運転手さん以外に「地元とのインターフェイス」がなく、つまらないからです。

 これは国内旅行に限ったことではありません。海外旅行に出かけても、もちろんその方針は変えません。
 自動車大国アメリカは、ニューヨークやシカゴなど一部を除き公共交通機関が発達していない、もしくは無い街が多く、レンタカー移動を強いられることがありますが、その他の先進各国は概ね地下鉄・バス・路面電車のネットワークが発達していて、外国人であってもガイド片手ながら便利に利用することができます。


 公共交通といえば我侭勝手が利かない分、運賃・料金が安いのが相場ですが、このところの円安の影響で、ヨーロッパの公共交通料金は概ね日本より高めになってしまっていますね。最近ロンドンの地下鉄運賃が日本円換算で1000円を超えた、という話題がありました。

 ただこれ、ちょっと誤解があって、そもそも料金システムが日本と異なる(ゾーン制運賃。概ね距離比例の区間制運賃を採る日本よりも区分が粗い)ほか、一定の制限時間内であれば地下鉄・バス共通に追加料金なしで乗車できる切符もあります。

 日本の場合は、初乗り料金が300円を超えることはまずありませんが、その代わり乗換えるたびに初乗り料金を請求されます。

 自宅近くからバスに乗って最寄の私鉄駅へ、私鉄線から更にJR線に乗換えて都心へ向かい、ターミナルで地下鉄に乗換えて会社へ向かう・・・・なんてルートを通常運賃で利用したら、結局1000円くらいは軽く超えてしまうことが多いのではないでしょうか。


 ちょっと試してみて欲しいのですが、運賃の検索サイトで、例えば北総線の「印旛日本医大」駅から、東京メトロ「銀座」駅までの運賃を検索してみると、幾らになるでしょうか。

(※Ya○ooの路線検索は、時間帯によってはアホーな結果しかでてこないことが多いのでお奨めしません)



(続く)




双発機全盛時代(後編)

2008-02-27 19:08:36 | 森林航空隊
 ボーイングのホームページでも、767および757を「初めて共通のコクピットを採用」「一方の免許で両方操縦できる画期的コンセプト」とコメントして紹介しています。
 確かに乗務員養成コストや、運用開始後も予備乗員を共有して人件費コストを圧縮できます。部品もメンテナンス手順も多くが共通化されていますから、ハード面でもかなり使い勝手がよくなっているはずです。

 この利点が、まさかテロリストに悪用されるとはボーイング幹部も航空会社各社も、微塵も想像していなかったことと思いますが。




 同時多発テロ以降の航空需要の減退、特に「長距離大量輸送」の縮小から、ジャンボ機のような「巨人機」はそのキャパシティーを持て余していました。
 加えて、エンジン4発が消費する燃料の多さが、折からの石油価格の高騰で航空会社の経営を圧迫。燃料消費の多さは、即ち温室効果ガスの大量排出に繋がることから、環境面への配慮もあってジャンボ機は急速に姿を消しつつあります。

 事実、現在旅客用として製造・引渡しされているボーイング機は、総て双発の737・767・777です。
 「7E7」のプロジェクトコードで開発が進められ、2005年正式に「787」と命名された次世代ジェット機「ドリームライナー」も、やはり双発機となっています。


 4発機は信頼性こそ高いものの、運用コストの面では双発機に敵うはずもなく、先ごろ日本にもテストフライトで飛来した総二階建ての超巨人機「エアバスA380」や、ハイテクジャンボ「ボーイング747-400」後継機として開発中の「747-8」以外に、4発ジェット旅客機の新規引渡しは予定されていません(貨物機「-400F」は今後も生産継続)。


 双発機が全盛時代を迎えたのは、偏にエンジンの高出力化と信頼性の向上に拠るものです。
 エンジン推力が小さかった時代は、双発では小~中型機を製造するのが精一杯。それがトリプルセブン「777」ともなると、エンジンの外径だけで「737」の胴体とほぼ同じ、という巨大なエンジンを搭載。ジャンボ機と比べてペイロードは若干劣るものの、航続距離ではほぼ互角となっています。

 また、かつては双発機に対する規制が厳しく、エンジン故障で片肺飛行となった場合を想定して、空港から60分以上離れた地点を飛行できないルールになっていました(ETOPS60)。
 この規制で、双発機を太平洋・太平洋路線や北極圏を通過する路線に投入することができませんでしたが、エンジンの信頼性向上が認められた結果、最寄空港までの飛行時間を大幅に延長できる「ETOPS120」や「180」(アメリカでは「207」まである)が設定され、大海上や北極圏の遠距離飛行が可能になったのです。

 なお「ETOPS120」「~180」は、ボーイング777始めほとんどの双発機に適用されていますが、このルールの認証は型式に与えられるのではなく、個々の機体に与えられるものなので、777だからといって総ての機が無制限に遠距離飛行できるわけではありません。
 機体の状態診断から、その航空会社の整備体制、過去の運行実績まで厳しく審査されます。
 事故の多い航空会社は、仮に最新鋭の双発機を購入しても、遠距離路線に就航できない仕組みになっているわけです。


 安全性と経済性が両立し、我々に快適な空の旅が約束されるのであれば、文句のつけようがありません。
 でも飛行機好きとしては、形態が特徴的で様々なバリエーションを誇ったジャンボ機が駆逐されてしまうのに、一抹の寂しさを禁じ得ません。





双発機全盛時代(中編)

2008-02-26 00:00:05 | 森林航空隊
 2002年9月11日の朝。全米各地の空港はいつもの通り、出張に向かうビジネスマンや旅行の家族連れで賑わっていました。

 広大ながら道路以外の陸上交通網が発達していないアメリカにおいて、飛行機移動はもはや特別なものではありません。規制緩和で運賃水準が大きく下落した結果、「庶民の脚」として頻繁に利用される交通手段となった飛行機。この日も何事もなく出発し、概ねスケジュール通りに目的地に到着する予定でした。

 テロリストの手に落ちた4機を除いて。



 言わずと知れた「同時多発テロ」直前の状況です。
 ハイジャックされた4機の内訳は、

 アメリカン航空11便 ボストン発ロサンゼルス行(B-767)
 ユナイテッド航空175便 ボストン発ロサンゼルス行(B-767)
 アメリカン航空77便 ワシントンDC発ロサンゼルス行(B-757)
 ユナイテッド航空93便 ニューヨーク発サンフランシスコ行(B-757)


 テロリストがこれらの便を選択したのは、明確な意思と理由があります。
 一つ目が、東海岸から西海岸へ、国内線でも最長距離飛行にあたる便であること。
 二つ目が、操縦方法が共通していることです。


 長距離飛行をこなすということは、それだけ燃料を大量に積んでいます。同じぶつけるなら、搭載燃料の多い方が物理エネルギーも爆発力も強くなります。
 四発のB-747の方が破壊力は大きいはずですし、米国内にも当然ジャンボ機は飛んでいますが、ほぼ全機が太平洋・大西洋航路、つまり国際線に充当されています。国際線は搭乗に際してのチェックが厳しいため、双発ながら国内線最大の旅客機を狙ったものと思われます。

 また操縦方法が共通であれば、複数の機材を対象とするより短時間で操縦をマスターでき、しかも突然メンバーや便が入れ替わっても対応可能です。


 
 悪魔に魅入られたテロリストたちは、パイロットを殺害するなどして操縦桿を奪取。西へ向かう飛行航路を外れてワシントンDC、そしてニューヨークに舞い戻り、世界貿易センタービル2棟とペンタゴンに激突。最後の1機(UA93便)は、具体的な目標(国会議事堂ともホワイトハウスとも言われる)に到達しなかったものの、乗客乗員もろともワシントン郊外に墜落しました。


 UA93便の乗客は、携帯電話等で同時多発テロの状況をある程度把握していたとされています。周辺状況から容易に想像できる、絶望的かつ確定的な運命を悟った乗客・乗員たちの恐怖はいかばかりだったか、想像することすら耐え難いものがあります。
 その恐怖に打ち勝つべく、「Let's Roll!」(さあ、いくぞ!)と立ち上がり、操縦室に立て篭もるテロリストに向かっていった様子は、映画化もされています。


(続く)






双発機全盛時代(前編)

2008-02-25 05:14:42 | 森林航空隊

 私が最初に搭乗した飛行機は、沖縄線の全日空機B-747SRでした。

 SR(ShortRange)は、離着陸回数の多い日本国内線向けにランディングギア(車輪や脚)部分を中心に強化を施した、当に「ジャパン・ジャンボ」で、外国に売却された機体を除き日本でしか見られなかった機種です。


 しかしSRに限らず、空港にジャンボ機がウヨウヨしている空港というのは日本くらいのものです。
 経済規模に比して国内国際とも空港インフラが貧弱、割り当ての少ない着陸回数を有効に活用するためには機材を巨大化させるしかありませんね。

 航空行政の遅れが産んだ「仇花」が、誘導路に行列をなすジャンボ機の群れと言えるかもしれません。



 民間航空のジェット機を大きく2つに分けると、「ワイドボディー」「ナローボディー」に分かれます。
 簡潔に説明すると、客席に通路が2本あるのが「ワイド」、センターに1本しかないのが「ナロー」です。

 ボーイングで言えば、B-747・767・777がワイドボディー、727・737・757がナローボディーになります。

 他のメーカーでは、トライスターL1011・MD-11(旧DC-10)・エアバスA300がワイドボディー、MD-90(旧DC-9)・エアバスA321がナローボディーです。


 B-757という機体は、日本の航空会社が採用していないのであまり縁がありませんが、ノースウエスト航空・ロイヤルネパール航空などが日本行き定期便で就航させているため、空港で見掛けることはできます。
 私はB-727以降の各シリーズ総てに搭乗したことがありますが、B-757に搭乗したのは2回だけ。ヨーロッパ域内の英国航空便(ロンドン行きなのは覚えているけど何処発かは忘れた)と、バンコク経由カトマンズ行きのロイヤルネパール航空便でした。




 もともとB-767を開発している最中に、米国内線向けにナローボディー機が必要になったため、767の設計を流用してナローボディー機に仕上げた、、、、、というエピソードが伝わっています。

 基本設計が一緒のため、操縦免許も一緒。
 このことが、後に重要な意味を、そして空前絶後の悲劇を演出します。


(続く) 






不正軽油のはなし(後編)

2008-02-24 21:21:09 | 自動車全般
 ところが、かつて「ヤンマー重油」「クボタ重油」などといった商品名で、主に小型船舶・農業機械向けに販売されていたA重油(「ホワイトA」「漁業用A」などとも俗称される)や、硫黄分を0.1%以下に抑えたA重油(出光興産の「スーパークリーンフューエル」や「特A重油」と称されるもの)は、見た目は半透明の黄褐色で、黒くドロッとした重油のイメージは微塵もありません。 

 特に、発動機メーカー主導で販売されていた小型船舶・農業機械向けA重油は、面倒な免税軽油の購入手続きを回避するために、顧客サービスの一環として「軽油をA重油として売っていた」に等しいモノ。良識ある顧客が適正に使用している分には問題ないとしても、使用目的・管理状況の如何によっては軽油引取税の脱税幇助もしくは脱税行為そのものと受け止められかねません。

 そのことを危惧してか、現在発動機メーカー各社は「環境対策」を理由に重油供給から撤退しています。
 また、発動機メーカーと協力して実際の製品供給業務を手掛けていた石油元売各社も、業界の自主規制としてA重油(特にホワイトA重油)・灯油・潤滑油(特にスピンドル油)の供給先を慎重に確認することを求めています。要するに、得体の知れない業者に無闇矢鱈と販売すると、不正軽油の製造原料となる恐れがあるので注意しなさい、ということです。




 かつては、「重い・臭い」けれども「構造が簡単・効率的」というのがディーゼルエンジンの一般的な評価でした。

 ところが最近のディーゼルエンジンは、ガソリンエンジン技術のフィードバックを受けて、非常に緻密かつ繊細な構造になっています。だからこそ「クリーンディーゼル」として見直しが進んでいるのですが、特に燃料系は高圧状態で精密な噴射制御をする「コモンレール式」が普及しています。

 メルセデスの「BLUETEC」に代表される汚染物質除去システムも、硫黄分を極小化したクリーン軽油を用いることが前提となっています。


 このようなエンジンに、硫黄分・炭素分の多い重油ベースの燃料油を給油すると、ほぼ間違いなく故障を起こします。可能性としては

○燃料系の詰まり
○機器の腐食
○汚染物質除去装置の機能低下

が考えられるでしょう。

 灯油ベースの燃料油の場合は、硫黄の影響が無い分、詰まりや腐食は発生しづらいですが、やはり故障は起きます

○エンジンの焼付き
○パッキング・シーリング類の劣化・漏れ

 エンジンの焼付きはスピンドル油の混和で何とかなるとしても、パッキング・シーリング類の劣化は防げないようです。燃料に硫黄分やワックス分が少ないため、ゴムや樹脂が痩せてしまい、スカスカになったパッキングから燃料やガスが漏れ、最悪の場合エンジンがブローしてしまいます。


 税制へのオブジェクションは、誰もが申し述べることができますし選挙権を行使することで政治を通じて変えることも不可能ではありません。
 軽油引取税への不満はごもっとも。さりとて不正ないし不純な動機で安い燃料を使い、愛車・愛機を壊してしまっては元も子もありません。

 環境のためにも、愛車・愛機のためにも、指定された正しい燃料の選択を心掛けましょう。




不正軽油のはなし(中編)

2008-02-23 17:31:31 | 自動車全般
○灯油・A重油に何らかの添加剤を加えたもの

 拙稿「石油のはなし」中編で紹介した、混和剤を入れた灯油ないしA重油は、仮に性能上問題がなくても公道に出た時点で「脱税」になります。
 そういった薬剤以外に、古典的な手口が「スピンドル油(軸受油)」を混和するもの。灯油は軽油に比べてサラサラしすぎているため、そのままではエンジンが焼き付くリスクがあります。それを防ぐために若干粘性の高い潤滑油を混ぜるのです。
 ただし、スピンドル油はそもそも燃焼させることを前提としておらず、排気ガスを汚染することは間違いありません。エンジンオイルごと燃やしてしまう2サイクルエンジンも環境負荷の高さが問題とされますが、それ以上に環境に悪影響を及ぼすことは必至です。

 クマリンは抜けていませんので、これも見つかったら最後、摘発は免れえません。



○直給

 「不正軽油」の範疇には含まれませんが、目的が一緒なので挙げておきましょう。
 読んで字の如く、「直に給油」すること。つまり軽油やA重油に何の加工もせず、タンクに直接給油することです。

 石油製品価格高騰の影響も追い風となって、セルフ形式のガソリンスタンドが増加していますね。人件費を抑制している分、数円安いのが売り。小規模なスタンドになると、夜間は一人しか事務所に詰めていないところも見掛けます。

 もちろん防犯上の問題もありますが、店員の監視が手薄なのを狙って、灯油の給油ホースからトラックのタンクに直接給油するのがこの手口の一端です。

 もう一つは、ビル空調やビニルハウスのボイラー用として納品されたA重油を、トラック用に流用するパターン。
 JIS規格上のLS(ローサルファ→低硫黄)A重油とは別に、更に硫黄濃度を低くして燃焼カロリーを向上させた「特A重油」「ホワイトA重油」と称される製品が出回っており、これが直給される例が多いようです。


 A重油は「重油」と名が付いているとはいえ、実質は殆ど「軽油」と言っていいい油です。概ね軽油9割に対して残渣油(ガソリンや軽油を精製した残りの原油)1割をブレンドしています。

 ちなみにB重油(流通は殆ど無い)は5:5、C重油(大型船舶燃料や発電用に用いる)はA重油の逆で1:9の割合となっています。

 一般的なA重油は殆ど軽油とは言え、炭素成分の多い残渣分に由来する黒い色がついており、エメラルドグリーンなどに着色されている軽油(元売によって若干色が異なる)とは見た目が異なります。


(続く)




不正軽油のはなし(前編)

2008-02-22 04:08:45 | 自動車全般


 拙稿「石油のはなし」文中で、「ディーゼル機関は中間留分総てを燃料とできる」旨記しましたが、これはあくまで総体としての「ディーゼル機関」が、「中間留分」とされる油脂を燃料にできる、ということです。

 個々のディーゼルエンジン駆動車・船舶・機関車等々が、凡て「中間留分」を燃料として使用できるわけではありません。
 確かに、動かすだけであればなんでも使えますが、長期的に故障が発生しないか、排ガス規制など関連法規に抵触しないか、といった問題には対応していません。
 灯油でトラックを走らせた場合、そもそも脱税をしているのに「排ガス規制」を気にするのも可笑しな話ですが(苦笑)。

 補足がてら、不正軽油に関する問題点をまとめてみました。



「不正軽油」といわれる代物には、以下のパターンがあります。

○軽油に灯油・A重油を混ぜて「水増し(油増し?)」したもの
○灯油とA重油を混ぜたもの

 「水と油」という慣用句があるのに、「軽油の水増し」なんて洒落にもなりませんが、最も手軽に製造・調達できるのがこのパターン。
 ただし、灯油・A重油には識別剤として「クマリン」が含まれており、官憲の検査に掛かった場合は簡単に摘発されてしまう。


○灯油・A重油に含まれる「クマリン」を硫酸・苛性ソーダ等を用いて分解・排除したもの

 これは「密造軽油」とも呼ばれる手の込んだ手口。クマリンが抜かれているので摘発を逃れられる、というのが売りだったが、最近の検査はクマリンだけでなく硫黄濃度も測定するので、摘発は免れ得ない(LS→ローサルファ=低硫黄重油であっても、軽油の10~50倍もの硫黄濃度のため)。

 脱税の罪もさることながら、密造軽油の問題は副産物の「硫酸ピッチ」が不法投棄される事件が多発し、問題となっています。「硫酸ピッチ」はクマリンを分解する過程で発生し、強酸性のうえ石油由来の有害物質を多量に含んでおり、適切に処理しなければ深刻な環境汚染を招く廃棄物です。

 脱税するために密造しているような人たちが、適切な処分費を負担して「硫酸ピッチ」を処分・・・・・・・するわけないですね。だいたいが、放棄されたアジトにドラム缶で山積みされているか、交通の少ない山奥の林道わきに並べられているか、盗んだトラックに積載されたまま放置されているか、何れかの道を辿ります。

  

(続く)




本四架橋(後編)

2008-02-21 00:00:02 | 土木・建築
 つまり複線で建設するものの、徳島方面の列車が走行中は、大阪方面の列車は橋の手前で停車していなければなりません。
 同時進入してしまった場合は、想定荷重を超過することになり、橋が崩落する危険に晒されます。

 そこで実際に開業した際は、列車の同時進入を信号システムで防ぐ予定にしているようです。
 一般的に上下複線区間の鉄道信号機は、先行・後続の列車との衝突を避けるため、列車通過直後に進行方向の信号を赤にして別の列車の進入を防ぎますが、これを単線区間と同じように反対側の線路の信号機も赤にしてしまえばいいだけのことです。

 しかしそれでは、正面衝突の危険がないという安全性は保てるものの、運転取扱い上は「単線区間」と同じことになり、輸送上のボトルネックとなることは明白です。 


 現在は、新幹線車輌も大幅に軽くなり、また16両フル編成に拘らなければ通常運転も不可能ではなくなってきていると思われますが、それはあくまで鉄道技術の進歩によってもたらされた福音であり、橋そのものの設計としては非常に中途半端なものになってしまった点は否定し得ません。

 優先着工され、もっとも充実した設備を誇る児島坂出ルートにしても、当初計画通りに完成したとは言え、遊休設備を持て余しています。



 本来は新幹線複線・在来線複線の4本の線路を通す予定が、新幹線部分については何ら見通しが立っていません。
 こちらも、線路を4本敷設できるスペースを確保しながら、橋に列車が4本同時進入できるようにはなっていません。強度が足りないんです。 

 
 かくも中途半端な構造になってしまったのは、十分な予算捻出は叶わなかったものの事業としては継続の望みを繋ぎたい当時の国鉄幹部・運輸官僚の思惑と、道路の次は新幹線を通して票につなげたい地元政治家の意向が複雑に絡み合っていたものと思われます。
 そして周知の通り開通して20年以上経つ今に及んでも、新幹線営業列車の四国上陸は果たされていません。


 中編の画像は、二階建て構造となっている大鳴門橋の一階部分。新幹線はここを通る予定でしたが、現在はその計画を半ば放棄して、「渦の道」なる県営のパビリオンに転用されました。

 桁内部に構造物を構築し、床の一部を強化ガラス張りとして、真上から鳴門の渦潮が眺められるようになっています。ガラスの上に立つと、高層ビルに比肩する高さに浮遊しているような状態。安全と解ってはいても、スリルを感じずにはいられません(笑)。


 後編の画像は、下部工に造られた新幹線の通路です。
 この空間に桁を渡して軌道を敷設、新幹線を通す予定でした。画像奥の陸上部分には、ボックス状のトンネル入口も築造されています。

 今後、この設備を計画通り活用するためには、明石海峡に新幹線用海底トンネルを掘削するか、紀淡海峡に併用橋ないし鉄道橋・鉄道トンネルを建設しなければなりませんが、そちらの見通しも不透明なままです。



 プロジェクトとしての「本四架橋」は、最後となった「しまなみ海道」(尾道今治ルート)の全通を以って、一応の完成を見ました。
 しかし、「本四架橋」の最終的な姿は今も「未完」のまま、超特急の通ること無き鉄道空間と共に眠り続けています。 



本四架橋(中編)

2008-02-20 02:02:30 | 土木・建築
 
 瀬戸内海の海運の歴史は、即ち「海難事故」の歴史でもあります。
 「紫雲丸事故」に限らず、本四間または離島間の連絡船・渡船による事故は、運輸省(当時)や海上保安庁の努力にもかかわらず、後を絶ちませんでした。

 戦後暫くは経済事情の悪さや人心の荒廃から、疲弊した船体を酷使し乗船定員を無視しての船舶運行が常態化。第十東予丸事故など死者が400人に迫る、現在では考えられないような悲惨な海難事故が頻発していたのです。


 比較的穏やかな瀬戸内海とはいえ、天候悪化による連絡船の欠航・遅れは避けられません。生活必需品や新聞・郵便が届かず住民の生活に悪影響を及ぼすばかりか、濃霧が間接的原因となった紫雲丸事故のように、海難事故発生の原因にもなります。



 天候に左右されない、安定的な交通ルート確保の要望が盛り上がるのも、無理からぬことです。
 問題はルート案の策定、そして着工ルートの選定でした。

 建設省と国鉄(当時)は基礎的な調査を経て基本計画を発表。A~Eの5ルートが検討の俎上に載せられます。
 瀬戸内海に面していない高知県を除く3県では、それぞれ地元に至近のルート案を推し陳情活動を展開。市町村長・知事・地元選出の国会議員を巻き込んで、我らの案こそ優先すべきと主張し、誘致合戦は過熱しました。

 現在の「整備新幹線」もそうですが、公共事業予算には限りがあるにも拘わらず、政治が絡むと「総花的」な解決を見ます。
 本四架橋も、予算的な裏付けを欠いたままA(明石鳴門)・D(児島坂出)・E(尾道今治)の3ルート同時着工が決定。1973年11月25日に一斉に起工式を挙行することとし、瀬戸内総ての地域が丸く収まる結果とな・・・・・るはずでしたが。。。。

 折悪しく第四次中東戦争が勃発。石油危機を発端に「狂乱物価」とまで騒がれたインフレに陥り、日本経済は戦後初の「マイナス成長」を経験します。政府は物価安定のため「総需要抑制政策」を断行、本四架橋始めビッグプロジェクトは総て中止の憂き目を見ます。

 本四架橋の着工中止が建設大臣から発せられたのは、起工式の僅か5日前。準備万端整った会場で知らせを聞いた関係者は、絶句して立ち尽くしたとか。
 この後、児島坂出ルートのみが優先整備され、残る2ルートは地域開発の名目で部分着工されることが決まり、改めて起工式が挙行されるまで2年の歳月を要します。




 石油危機による中断が、本四架橋の行末に大きく暗い影を落としたのと同時に、国鉄(日本国有鉄道。現在のJR各社)の経営悪化が本四架橋に微妙な狂いを生じさせます。


 当初、明石鳴門ルート・児島坂出ルートとも新幹線(四国新幹線・四国縦断新幹線)の通過を見込み、鉄道道路併用橋となるはずでした。
 結局3ルートのうち、児島坂出ルートの優先着工が決まり、明石鳴門ルートは「大鳴門橋」だけを「地域開発橋」なる微妙な立場の事業として着手します。

 当面淡路島と四国を繋ぐだけの橋となり、新幹線の通過が見込めなくなった「大鳴門橋」は、ここで大きく設計変更されました。
 16両編成の新幹線が上下同時に進入しても耐えうる強度で設計されていたのを見直し、列車1本だけの荷重を前提として構造を簡素化したのです。



(続く)



本四架橋(前編)

2008-02-19 00:47:42 | 土木・建築
 タイタニック号遭難事故に次ぐ2番目の大事故となり、青函トンネル建設推進の引き金をひいた国鉄連絡船「洞爺丸事故」の翌年、同じく国鉄の宇高連絡船「紫雲丸」が霧の瀬戸内海で僚船「第三宇高丸」と衝突、沈没する事件が発生します。

 青函航路に比して小ぶりな船で運航されていたため、死者数は「洞爺丸事故」を大きく下回りましたが、修学旅行中の小学生が数多く乗船しており、死者の多くが児童および引率者。特に死者総数168名の内、半数が女子児童でした。

 紫雲丸の船尾に衝突した第三宇高丸の船首部分が、電源を破壊すると同時に車輌搬入のための開口部閉塞を不可能にしたため、急速な浸水と避難誘導の遅れを招きました。灯火が消え傾きを増す阿鼻叫喚の船内から、体力に乏しい女子児童が逃げ遅れ、命を落とさざるをえなかったというのも容易に想像できます。


 次々搬出される、夥しい数の小さな亡骸の列が報道されるに至り、国鉄の安全運行体制に対する批判は「洞爺丸事故」にもまして強く吹き荒れました。
 結局、当時の国鉄総裁長崎惣之助は引責辞任に追い込まれます。



 紫雲丸が沈没事故を起こすのは、実はこの時が初めてではありません。
 遡ること5年前、やはり僚船「鷲羽丸」と衝突事故を起こし沈没、死者7名を出しています。「紫雲丸」「鷲羽丸」とも、この時は車輌航送をメインとした「貨物便」での運行であったため、幸いなことに一般乗客の乗船はなく、国鉄職員の殉職者を出したに留まりました。

 横転・沈没し損傷が激しかったものの、当時の最新鋭船であったため引揚げられ、再就航を果たしたのも束の間、最初の事故の翌年~翌々年にかけて、三度の衝突事故を起こしています(内二度は他の貨物船との衝突、残りは港外の防波堤に衝突)。
 
 「紫雲」という名は高松市内にある山の名前から採ったものですが(「鷲羽」も同じく宇高航路を見下ろす岡山県倉敷市内の山)、そもそも「紫雲」が「仏様がお迎えに来る時の雲」の意であることから、事故以前から「紫雲丸」を「死運丸」とあだ名する者がいたようです。

 その不吉な予想は、図らずも的中し続け、ついに五回目の事故(いわゆる「紫雲丸事故」)を迎えてしまったわけです。
 


 拙稿「瀬戸内の交通情報」前後編でも触れましたが、瀬戸内地方の輸送の主力は今でも「海運」です。

 もちろん、機動性や速さでは鉄道や道路に敵いませんが、大量長距離輸送に優れた海運は、関西から九州に連なる工業地帯を結んで原料供給・製品輸送に活躍しています。
 日本における「トンキロ(→輸送重量×輸送距離)」ベースの輸送実績は、内航海運:自動車:鉄道その他で40:55:5といったシェア割合ですが、こと瀬戸内海に限ってみれば内航海運と自動車のシェアは拮抗もしくは逆転しているかもしれません。



(続く)




多摩空港計画(後編)

2008-02-18 07:59:32 | 森林航空隊
 広島空港の航法支援装置の脆弱さは、現在国土交通省が改善のための工事を施工中で、いずれ濃霧程度では欠航しなくても済むように改善されるでしょう。

 しかしそれで広島空港の不備が改善されるか、といえばそうは行きません。

 濃霧や大雪だと、山陽道の通行規制が掛かり空港アクセスのリムジンバスが定時に到着しない、または運休することがあります。
 悪天候の影響がない平常時でも、渋滞や事故の影響は避けられず、定時運行への不安は解消し得ません。

 かつてリニアモーターカーの建設計画がありましたが、建設費用の面で断念。代わって策定されたJR山陽本線から支線を建設する計画は、新幹線で競合するJR西日本の協力が得られず凍結状態。今後、飛行機が定時運航されるようになったとしても、しばらくは(永遠に?)リムジンバスが唯一の空港アクセス手段、という状態が続きそうです。


 広島市内からは概ね1時間。呉や三原、福山など県内各市からの所要時間も概ね似たような感じです。
 ですから、私は皮肉を込めて「広島空港は広島県民にとって、等しく不便な場所に作った」と言っています。


 広島市民の便利だけを考えれば、現在「広島西飛行場」として運営されている旧・広島空港を拡充する手がありますが、ここは非常に便利なものの大型機の離発着には向きません。すぐ北側に国道2号線の高架建設計画があり、その高架の向こうには広島の中心市街地が広がっています。飛行機事故が離着陸時に集中していることを考えると、危機管理および騒音防止のため大型機の離発着は見合わせざるを得ません。

 私の持論は、広島県西部に隣接し、広島市からの電車本数も多い山口県岩国市にある「米軍岩国基地」の返還あるいは軍民共用化です。

 最近の市長選挙でも争点になりましたからご存知の方も多いと思いますが、岩国にはかなり立派な滑走路が沖合いの埋立地に造成されています。
 岩国市民へのサービス(ガス抜き?懐柔?)として、貸切便ながらハワイ便が運行されたこともあり、民間機の離発着にも問題はありません。

 空港アクセスも、現状の山陽線をそのまま活用しても利便性は低くないですが、できれば基地内に引き込まれた燃料輸送の専用線を転用して、空港ターミナルに直結した新線を建設すれば、最低限の建設費で最高の利便性が得られます。


 全く同じ条件の飛行場が、多摩にもあります。米軍横田基地です。
 多摩の住人にとって、羽田・成田とも距離が遠く、決して便利な空港とは言えません。
 一方、巨大な輸送機や兵員輸送のジャンボ機が発着できる滑走路をもつ横田基地は、大きな改修を加えなくても民間空港への転用可能なインフラを持ちます。
 拝島駅から伸びる燃料輸送線を、空港アクセス線に転用することも検討したほうがいいでしょう。

 騒音問題の解決を主として、住民の理解を得ることから始めなければなりませんし、それは非常に困難なことと想像しますが、石原知事の将来構想にも組込まれているようですし、今後の展開に期待したいものです。

多摩空港計画(中編)

2008-02-17 16:43:28 | 森林航空隊

 日本国内ではそれなりの「重要路線」ですから、航空会社としてもなるべく欠航は出したくない。
 広島空港周辺がよほど回復の見込みの立たない悪天候であれば別ですが、広島空港周辺が山霧に包まれていても、取り敢えず羽田空港を出発させます。いわゆる「一部条件付運行」です。

 何が「条件」なのか。広島空港に着陸できない場合は、強制的に目的地変更(ダイバート)ないし羽田引返しとなることを、承諾した上で搭乗を求める運行です。


 鉄道にしても飛行機にしても、切符ないし搭乗券を購入した時点で「輸送契約」を締結したことになり、鉄道会社・航空会社は契約相手を確実に安全に目的地に送り届ける義務を負います。

 「一部条件付」であることを宣言しておかないと、悪天候その他の事情で関西空港や福岡空港に着陸した場合、そこから先広島空港までの輸送契約を放棄したことになり、乗客から補償を求められる破目に陥ります。
 それを避けるために、「ご納得頂けた方はご搭乗ください」という体裁を繕うのです。


 私自身は欠航にもダイバートにも巻き込まれたことはありませんが、一度だけ「一部条件付」に乗り合わせ、羽田引返し直前だったことがありました。

 広島空港は航法支援装置が脆弱で、計器着陸ができません。
 着陸の前提として、滑走路に導く誘導灯をパイロットが視認できないといけません。


 私が搭乗した全日空便も、広島空港周辺までは取り敢えず飛んできましたが、滑走路を探してぐるぐる旋回。一度は着陸を試みましたが、霧が濃くなって断念。
 ゴー・アラウンドして再び高度を取ったところで、機長アナウンスが入りました。

 「広島空港周辺の霧が濃く、滑走路を確認できないため着陸をやり直します」
 「燃料の残量は十分ありますが、次に着陸を試みて、できなかった場合は羽田に引き返します」



 正直、こりゃだめだろうなと思い、羽田に引き返してからの算段を付け始めたところ、機長から「最終着陸態勢に入ります」のアナウンス。奇跡的に空港周辺だけ雲が切れ、パイロットが滑走路を視認できたようです。

 正確にメモしていたわけではないので間違っているかもしれませんが、その数十分前?後?のJAL便は、結局滑走路を視認できずに引き返した、というように着陸後聞きましたから、私の搭乗した便は本当に運が良かったのでしょう。


 職場では上司と後輩がそれぞれ1度ずつ、逆の羽田便に搭乗すべく広島空港までリムジンバスで行ったものの、折り返しの便が広島空港に降りられず、再び広島市内まで帰ってきたことがあります。



(続く)



多摩空港計画(前編)

2008-02-16 05:54:05 | 森林航空隊
 多摩の家を購入した際、不動産屋さんから提示された「重要事項説明書」にこんな記載がありました。

 「航空法による規制あり」

 内容を尋ねたところ「この敷地に、100mを超えるような鉄塔をお建てになる場合は関係諸機関と調整が必要になります」ということでした。当然、個人宅なのでそんな問題に影響されるはずもなく、契約に至り現在居住しています。


 京王線の駅で言うと高幡不動から長沼にかけて線路と並行して、北側と南側に広がるなだらかな丘陵地は、米軍横田基地の管制空域に掛かっているため、高い構造物を築造すると航空機の離発着に影響するから、というのが理由のようです。
 
 風向きにも拠りますが、横田基地発着機は南からアプローチ/北へテイクオフというパターンが多く、浅川~多摩川上空くらいまでは比較的高度を高く取っていますから、どんなに高い建物を建てたとしても物理的に引っ掛けてしまう可能性は少ないでしょう。南側に離陸する場合も、見上げるような高さを飛び去っていきますから似たようなものです。

 フライトそのものへの影響よりも、基地のレーダーで補足できる範囲が建物で遮られて狭くなってしまうことを危惧しているのかもしれません。


 確かに高幡不動以東、長沼以西には高圧線の鉄塔がなく、当然高層ビルなどもありませんから(→航空法の規制云々以前に、需要が無い)、高圧送電線が縦横に張り巡らされている関東平野にあって、珍しくとてもスッキリした景色を眺めることができます。



 拙稿「震災フライト」でも触れましたが、広島在勤中はよく飛行機便を利用しました。
 「世界一の空路」とされる羽田-札幌便や福岡便からすれば半分以下の便数ですが、距離的に空陸拮抗する羽田-広島便も、かなりのテンションを維持しています。

 利用客の集中する朝夕の時間帯にはトリプルセブンもしくはジャンボが入り、その他の時間帯は767・MD-90・A300が主力になります。
 このなかで、通路1本のナローボディー機はMD-90のみで、他は全て通路2本のワイドボディー機です。

 ボーイングでいえば727・737・757などのナローボディー機を中心に運行している大多数の国々からすれば、広島便の輸送力ですら驚異的ボリューム。札幌便や福岡便の輸送力に至っては、先進国を除けば国家全体の航空輸送能力を上回っている例のほうが多いんじゃないかとも思えます。


 綺麗にアルファベット文字順に「HIJ」と並ぶ空港コードを与えられた広島空港。この空港は山陽道のすぐ北側に位置するとはいえ、かなりの山奥です。



 「三本の矢」の逸話で知られる、西中国一帯を支配した毛利元就の生涯を描いた大河ドラマの原作は、永井路子著「山霧」。

 小説の名の通り、広島空港一帯を含む中国山地は山霧の多発地帯で、度々視界不良に因る欠航があります。


(続く)


東京モーターショー雑感(後編)

2008-02-15 00:00:07 | 自動車全般
 今回のモーターショーは、これまでの乗用車と商用車の隔年開催を廃し、久しぶりに同時開催となりましたが、どちらかといえば地味な商用車部門の展示が縮小された感は否めず、「はたらくクルマ」マニアとしては大いに不満が残りました。


 特に、メルセデスは乗用車のみの展示で「ACTROS」「UNIMOG」など大型トラック・特装車展示がありません。

 これらは乗用車部門とはディーラーが別なので(コマツないしワイ・エンジニアリング)、人手が確保できない・ブース開設経費が捻出できないなど、多々事情があったものと推察しますが、世界屈指のトラックブランドが東京モーターショーをスルーしたというのは寂しいものがあります。

 メルセデスの場合は、ダイムラーが一括して商用車も乗用車も扱っている、ということも影響したのかもしれません。

 日野や三菱ふそうはそれぞれ乗用車メーカー(トヨタ・三菱自動車・ダイムラー)と系列関係にありますが、組織上は別会社。日産ディーゼルやボルボに至っては、日産自動車やフォード傘下に入ったボルボ乗用車部門とは資本関係すら切れた完全別会社です。

 主催者の意図として、特定の企業に展示ブースを占有されるのを嫌ったのか、それともダイムラーの方が遠慮したのか、、、、、、。何れにしてもスリーポインテッドスターのついたトラックは、展示されていませんでした。


 不満が残る展示内容とはいえ、そこはやはり世界屈指のモーターショー。商用車は商用車なりの華やかさで入場者を迎えてくれます。

 我らが地元の日野自動車は、いつも通りパリダカのカミオン部門出場車を並べ、性能と優秀さを誇示しておりました。


 今年のパリダカは、政情不安を理由に完全中止。来年度以降の開催も白紙状態とか。
 レースの意義も参加者の顔ぶれも、開催当初からすれば完全に様変わりしてしまった「パリダカ」は、役割を終えたとの意見もあります。

 個人的には、二輪からカミオンまで様々な車輌が同じコースを走るという、他には無いレース形態を、今後もどこかの国で続けて欲しいなぁと思っています。


 日野の展示も、「パリダカ仕様」としては今年が最後の展示になったかもしれません。でも、今年もまたどこかの砂漠を爆走してほしいと願わずにはいられません。