東京都森林警備隊

至高の四駆「ゲレンデバーゲン」とメルセデスをこよなく愛する友人達の出撃基地

寿・栄・誉(補遺・後編)

2008-06-29 22:16:35 | 森林航空隊
 そこで日本側でも戦況打破のため、2000馬力級のエンジン開発および実用化を急ぎ、一応の成功を見せます。
 三菱が開発した「火星」および「ハ104」、中島飛行機が開発した「誉」です。

 世界最高の飛行艇として名高い「二式大艇」はじめとする海軍機を中心に採用された「火星」は「金星」と同じ複列14気筒エンジンながら、排気量を10リットル以上も拡大しパワーアップを図っています。15900基余りが生産されますが、出力は最大でも2000馬力に達しませんでした。
 一方、海軍機には採用されず陸軍機のみの登載となった「ハ104」は、「火星」エンジンをベースに、日本製エンジンとしては初の複列18気筒エンジンとし、こちらは2000馬力オーバーの出力を発揮。陸軍の「四式重爆」に採用され極めて高い性能を発揮しますが、こちらは然程量産されなかったようです。

 最後に登場する、日本製レシプロ航空エンジン最高傑作との「誉れ高き」エンジンこそ、中島飛行機製の「誉」でした。

 2000馬力級エンジンは排気量40リッターオーバーが常識だった状況下で、36リットルを割込む小排気量で同等のパワーを実現。「栄」と比べ倍近いパワーアップを達成しながら、エンジン外径は3cmしか大きくなっていないという、当に奇跡のようなエンジンです。

 しかし、調達できる当てもないまま「100オクタン」の航空ガソリン給油を前提に設計してしまったこと、米軍の空爆による生産能力・技術・精度の低下を予想し得なかったことが災いし、所期の性能を発揮し切らないまま敗戦を迎えます。


 それでも「誉」エンジン搭載の局地戦闘機「紫電改」および四式戦闘機「疾風」の活躍は、敗戦後も長く語り継がれるほど鮮烈なものでしたし、占領後に接収した「紫電改」「疾風」をテストした米軍関係者が、これらを「万能戦闘機」「最良の戦闘機」と評価したほどの能力を秘めていました。


 この「誉」エンジンを生産した工場設備は戦時下の空爆で潰え、開発した中島飛行機は戦後の軍需産業・財閥解体指令を受け、12もの企業に細分されます。

 「誉」のハードは消え失せましたがその技術力は生き残り、中島飛行機から分かれた5社が再結集して「富士重工業」を設立。「誉」エンジン開発主任だった中川良一は同じく中島飛行機から分かれた「プリンス自動車」、そして合併後の「日産自動車」役員に就任し、戦後も長く技術者として貢献します。

 「中島飛行機」の末裔たちは日本の自動車産業を引っ張り、日本を世界有数の自動車生産国に押し上げたのです。





寿・栄・誉(補遺・中編)

2008-06-28 20:11:38 | 森林航空隊
 「金星」エンジン搭載は、海軍の名機「ゼロ戦」こと「零式艦上戦闘機」もかなり早い段階から搭載を検討してきており、最新の「五四/六四型」を試作するまでに至りましたが、こちらは量産されることなく終戦を迎えています。
 「栄」エンジンのパワー不足からくる戦闘能力低下というに深刻な問題に加え、中島飛行機のエンジン生産が「誉」に移行し、いずれは生産中止になる見込みであったため、万止むを得ず「栄」エンジンからの卒業を計画したようです。


 「零式艦上戦闘機」は、限界まで切り詰めた軽量化を施すことで機動性を確保するという基本設計が、第二次世界大戦初期における「神罹り」とも言われる戦果をもたらしましたが、そもそもが「限界」を突き詰めて生産されている以上、発展性がありませんでした。
 特に急降下で速度が上がりすぎると空中分解するという、構造的脆弱さを抱えており、エンジンをハイパワー化しても機体の強度が不足していては安定的な性能を発揮できません。

 ゼロ戦の「金星」バージョンが実戦投入に間に合わなかったのは、生産能力不足以外にも「零式艦上戦闘機」の基本設計からくる根本的な問題を解決し切れなかった点が大きく影響しました。

 飛行機は翼や機体だけ、あるいはエンジンだけで飛ぶものでないのです。





 ところで度々名前が出ている「金星」エンジン。これは三菱が開発したエンジンで、ゼロ戦こと「零式艦上戦闘機」に搭載された中島飛行機製「栄」と同じ複列14気筒となっています。

 排気量が4リッターほど大きい分馬力はアップしており、最新型でも1100馬力程度の出力しかなかった「栄」に対し、「金星」エンジン最終モデルの「六二型」は1500馬力を叩きだしました。

 ところがこの「金星」エンジンも、最初に試作されたのは太平洋戦争を遥か前に遡ること1930年。ゼロ戦の計画段階においても搭載が検討されたことがあり、設計的・技術的には「古いエンジン」でしかありません。

 設計の古さが、「安定性」「冗長性」という利点をもたらしたことも確かですが、いずれパワー不足の旧式機となることは開発側も十分に承知しており、日米開戦前から2000馬力級エンジンの開発構想が提案されていました。
実際米軍のF4U「コルセア」やF6F「ヘルキャット」が2000馬力級のエンジン(→P&W製「ダブルワスプ」)を搭載するに至り、これらの高速・ハイパワーかつ重装甲の戦闘機が量産され始める1942年以降、対峙する日本軍機は「栄」搭載機はもとより、「金星」エンジン搭載機もパワー不足が明白となり、戦況を日々悪くします。




(続く)





寿・栄・誉(補遺・前編)

2008-06-27 20:05:37 | 森林航空隊
 日本が冒した無謀な戦いは、星型空冷エンジンと共に悲惨な結末を迎えましたが、当時の世界の「星型」戦闘機エンジンはどうだったのでしょう。


 現在でもプロペラをモチーフにしたシンボルを掲げ航空機エンジン生産歴の長い「BMW」が、複列14気筒の星型エンジンを「フォッケウルフ」に搭載していますし、アメリカの戦闘機でも、カーチス・ライトの「サイクロン」シリーズ、プラット・アンド・ホイットニーの「ワスプ」シリーズが大量に使用されていました。

 特に「ワスプ」シリーズは、B-17「フライングフォートレス(空飛ぶ要塞)」・B-25「ミッチェル」そしてB-29「スーパーフォートレス(超空の要塞)」のメインエンジンとして採用され、それまで鈍重なイメージで語られていた四発重爆の性能を一気に高め、連合軍を勝利に導くことに貢献しています。


 日本では星型エンジンの限界に苦しみ、ドイツのBMWも「星型一辺倒」でなく「直6」や「V12」エンジンを生産して供給していた一方で、アメリカの「星型空冷エンジン」が劣後しなかったのは、偏に「排気タービン」、自動車でいうところの「ターボチャージャー」の実用化に成功したことが挙げられます。

 星型エンジンのコンパクトさを残したまま、タービンで強制的に過給することで大幅なパワーアップを実現できます。これはV型など別構造のエンジンについても同じことで、排気量を抑えた(=コンパクトなサイズの)まま、高出力・高回転を捻りだすことが可能です。
 ただし、過給により発生する高熱と高回転に耐えるエンジンを製作するためには、良質な金属資源と精密な加工技術が不可欠です。
 加えて、ノッキングを起こしやすいターボエンジンには「ハイオクタン」のガソリン給油が必須ですが、その何れもが大戦末期の枢軸国側、なかんずく日本においては調達し難い状況下に追い込まれていました。



 原材料やガソリンの品質を云々する以前に、日本の工業生産力は米軍の空爆により日々殺がれていきます。空爆を避け被害を復旧させ何とか戦闘機のボディーは完成しても、頭に付けるエンジンの生産は遅れ気味。しかも構造的に複雑な液冷エンジンの生産は全くもって追いつかず、「ハ40」のパワーアップ版「ハ140」の開発にも事実上失敗し、エンジンのない「飛燕」が工場のヤードに屯する事態となります。



 陸軍は結局、液冷エンジン搭載を諦め「頭なし飛燕」のボディに、空冷星型の「金星」エンジンを搭載。「飛燕」(=三式戦闘機)改め「五式戦闘機(キ100)」として実戦投入します。

 急拵えの頭でっかちな外観は、液冷V型エンジン搭載を前提に細身に設計された以上、止むを得ない欠点でしたが、機体そのものの頑丈さが幸いし、大振りな空冷星型エンジン「金星」の重量とパワーを受け止めて余りあるタフさを発揮。「首なし飛燕」の在庫を解消しただけでなく、そのままの設計で新製もされ、総数400機弱が前線に投入されました。







(続く)



寿・栄・誉(後編)

2008-06-26 18:39:04 | 森林航空隊
 液冷V型エンジンを搭載した「飛燕」の活躍は、拙稿「調布・沖縄・硫黄島」で紹介した通り極めて限定的。しかも材料の悪さ・工作精度の低さからくる不具合が頻発し、敗戦まで解消されませんでした。
 
 海軍で採用された「アツタ」は、陸軍機「飛燕」の「ハ40」エンジンとほぼ同型ながら、軸受部分のニッケルをケチらなかったため比較的安定した性能を発揮しましたが、それでも星型空冷エンジンからすれば整備と調整に手間取り、夜間攻撃で名を馳せた「芙蓉部隊」以外に目立った戦果を挙げられていません。

 ちなみに「ハ40」と「アツタ」は、共にメルセデスの同じエンジンを源流としながら、互換性が一切なく、海軍の「アツタ」を陸軍の「飛燕」に搭載しようとしても不可能、という有様。前編でも紹介しましたが、陸海の連携の悪さ・仲の悪さがここに極まった、と言う外ありません。



 「芙蓉部隊」は、南方で損耗した夜間攻撃隊を再編すべく、静岡県の藤枝飛行場で編成された部隊で、富士山の別名「芙蓉」から部隊名を採っています。

 「芙蓉部隊」の指揮官美濃部正少佐は、カタログ上は高性能が謳われていながら余りに故障が多く、不動のまま打ち捨てられていた「アツタ」搭載の「彗星一二型」を全国から掻き集め、カタログ通りの性能を発揮させるまでに再生させて部隊の主力機に据えます。
 その前段階として、部隊の実質№2だった徳倉正志大尉以下、整備要員を愛知航空機に派遣してエンジンの構造・特徴を十二分に学習させ、整備に習熟させていたことが奏功したのです。

 「生還なき特攻」だけが戦術だった沖縄戦においても、完璧に整備された機体と錬度の高さから唯一「特攻」に投入されず、米軍に反復攻撃を仕掛けて大きな戦果を挙げますが、戦局を変えるまでの力はなく、最初で最後の「特攻」作戦を企画中に敗戦を迎えます。   



 帝都を護った「近衛飛行隊」第244戦隊で活躍した「飛燕」も、液冷V型エンジン搭載を前提に設計されながら、結局エンジン供給が追いつかなかった機体には空冷星型エンジン「金星」が搭載され、形式も「キ100」と改められます。
 「キ100」は敗戦に至るまで公式に制式制定されず、制式採用された暁に名づけられるはずだった「五式戦闘機」の称号は、あくまで通称でしかありません。しかし現場では、四式戦闘機「疾風」に続く最新鋭機としての期待とともに「五式戦」の呼び名が定着していたようです。


 大戦末期に急拵えされた機体ながら、連合軍の最新鋭機に伍して戦うことのできるタフな性能を発揮しましたが、時既に遅く敗戦。「帝国陸軍最後の戦闘機」「制式制定なき制式機」となってしまいました。



 戦略なき戦いの過ちに気付かなかった国の軍隊は、国力の格差はもちろん、技術力の落差も埋められぬまま、空冷星型エンジンとともに心中した格好となったわけです。 
  



寿・栄・誉(中編)

2008-06-25 13:11:58 | 森林航空隊
 戦闘機をよりパワフルに、よりハイスピードにしようとすれば、排気量アップするしかありません。
 ところが気筒数を増やすにしろ、1気筒当たりの排気量を大きくするにしろ、星型エンジンの場合は構造上、外径を大きくせざるを得ません。

 エンジン外径に合わせて機体の設計をしたとしても、自ずと限界があります。
 エンジン外径に合わせて機体が肥大化すれば、当然重量も空気抵抗も増加しますからパワー不足に陥りかねません。そうするとさらにエンジン出力増強のためにエンジンが巨大化し、そのエンジンを搭載するためにさらに機体が肥大化………なんていう永遠のジレンマから脱出できなくなります。

 特に空母に搭載し洋上で運用される艦載機の場合は、艦内の狭い空間に格納し、飛行甲板に出すためにはエレベーターに載せなければならないため、機体サイズに厳しい制限があります。空母で運用しない陸軍機であっても、機動性を確保するためには機体の肥大化は極力避けなければなりません。


 外径を膨らませないために複列化する手段がありますが、これも限界があります。
 日本軍機が採用したエンジンを見ても、複列化は2列まで。3列以上になると構造が複雑になるのに加えて冷却効率が落ちるため、空冷では対応できないと考えたのでしょう。日本以外の例を見ても、複列化は4列までで終わっています。



 日本が頼ってきた「星型エンジン」の限界を打破すべく、純国産を諦めナチス支配下のドイツから技術供与を受けて生産したのが、三式戦闘機「飛燕」のエンジン「ハ40」でした。

 ダイムラー・ベンツが開発し、ドイツの名戦闘機「メッサーシュミット」に搭載の液冷エンジン「DB601」をベースに、川崎航空機および愛知航空機(ただし海軍の「彗星」向け。海軍側呼称は「アツタ」)がライセンス生産。倒立V型(いわゆる「V型」と異なり、燃焼室がエンジンの下部に、回転軸が上部に配置されている)12気筒の水冷エンジンは、全長こそ星型とは比較にならないほど長くならざるを得ませんが、逆に外径はパワーの割に非常に細くなっています。

 技術上も構造上も限界を迎えつつあった「星型エンジン」に比べ、排気量アップの為に気筒を拡大しても増設しても、正面から見たエンジン外径が変わらないため空気抵抗の増加を招かず、より強力なエンジン開発への発展性を備えた戦況打破の「切り札」となるはずでしたが、、、、、、、。


(続く)


寿・栄・誉(前編)

2008-06-24 16:38:21 | 森林航空隊
 拙稿「調布・沖縄・硫黄島」シリーズの後半でよく登場した日本陸軍の戦闘機「飛燕」。
 我らがメルセデス・ベンツが開発したエンジンを搭載しているとあれば、軍事・戦史マニアでなくとも気になるところだと思います。

 「飛燕」の実物は、今での鹿児島県南九州市の「知覧特攻平和会館」で見ることができます(ただし撮影不可)。
 ここには実物の「飛燕」のほか零式艦上戦闘機(ゼロ戦・甑島沖から引揚げ復元したもの)・中島飛行機最後の制式機である四式戦闘機「疾風」(米軍がテスト用に接収した機体。知覧での展示のために返還されるまでは飛行可能だった)の実機が、一式戦闘機「隼」の9/10サイズモデルが展示されており、空冷星型エンジン搭載機とのスタイルの違いを比較することができます。





 第2次世界大戦初頭の時期においては絶大な戦闘力を誇った「ゼロ戦」こと零式艦上戦闘機はじめ、日本の戦闘機のエンジンは「星型」と呼ばれる空冷エンジンを採用していました。
 現在一般的に用いられているレシプロエンジンは、回転軸と並行に直列またはV字型に気筒を配置するタイプが殆どですが、「星型」は回転軸を中心に放射状に気筒を配置する方式(点火サイクルの都合上、基本的に気筒数は奇数)です。真円形に7ないし9の気筒が配置されている様が、星のように見えるため「星型」(英語圏では「放射型」)と呼ばれます。

 直列やV型エンジンと違い、総ての気筒が前面に出るため冷却効率が高く、空冷エンジンにできるため軽量化が必須の小型航空機エンジンに向いています。 


 昭和初期に中島飛行機が開発した「寿」は単列9気筒。
 「ゼロ戦」に高い機動性をもたらした「栄」、同時期に三菱製「九九艦爆」「九七艦攻二号」に採用された「金星」は複列14気筒(7気筒の単列エンジンを二重にしている)。
 連合軍からも性能を高く評価された"遅すぎた名機"局地戦闘機「紫電改」に搭載された「誉」は複列18気筒(同じく、9気筒エンジンを二重にしている)。


 それぞれのエンジンに付いている漢字一字の愛称は、海軍が設定したもので、陸軍は別に型式を設定しています。

海軍「寿」→陸軍「ハ1」
 〃 「栄」→ 〃 「ハ25」
 〃 「誉」→ 〃 「ハ45」

 いかに両組織の仲が悪かったかを象徴していますね。


 軽量で生産性の高い星型エンジンを高性能化することで、日本は軍用機大国に伸し上がりましたが、一方で限界はすぐにやってきました。


(続く)







オペレーターとエンジニア(後編)

2008-04-04 12:27:15 | 森林航空隊
 一方で、私たちにとって身近な自動車や、これまた「男の子」憧れの職業である「電車の運転士」の世界は、ここ最近随分様変わりしてきています。


 蒸気機関車の時代は、メカニカルストーカー(→自動給炭装置)装備機や重油専燃機以外は、燃料供給まで人力ですから、「操縦」以前に過酷な肉体労働を強制されます。

 燃料供給が不要ないし自動化されている電気車や気動車になっても、操作系の装置はいちいち重く、制御に「職人芸」を要求する車輌が大多数でした。


 私たちにとって最も身近で「操縦」できる自動車も、パワーアシスト機構が普及する以前はステアリング・アクセル・ブレーキとも重く、しかも現在のクルマからすれば効きも悪いため、「腕力」や「コツ」が必要なものばかりでした。



 ところが電車の運転は、片手操作のジョイスティックのようなハンドルを前後させるだけになり、制御性も格段に向上しています。悪天候時の加速や減速も、空転・スキッドをさせないよう、ハード側でコントロールしてくれます。

 自動車でも、かつては「男の職場」だったトラックや建機の世界に女性が進出するようになってきました。
 女性が建設現場で肉体労働するのは不利な点が多いですが、一方でラフテレーンクレーンのオペレーターやダンプ運転手は、結構女性が増えています。
 最近はパワステ装備やクラッチレスの大型車が増えたため、街中でもバスの運転手やルート配送のトラック運転手で女性を見かけますね。



 クルマを運転する人を、「ドライブ・エンジニア」とは呼びません。
 「ドライバー」か、せいぜい「オペレーター」です。
 基本的な身体能力と知識があれば、誰でもライセンスを取得できますし、クルマの構造を理解していなくても、運転だけはできますからね。


 鉄道の世界は、かつては「オペレーティング・エンジニア」でした。
 運行途上で故障することも多く、問題箇所を特定・応急処置をするためには、豊富な知識を備えた「エンジニア」の要素が不可欠ですが、現代の鉄道車両は安定性も冗長性も向上し故障による遅延・運休は格段に減りました。
 そもそも高度化・複雑化が行き過ぎて、応急処置が利くようなオープンなシステムになっておらず、知識があったところで手を出せない、という話もありますが。

 いずれにしても電車の運転士さんは、今や「オペレーター」に分類した方が無難かもしれません。


 もちろん「ドライバー」「オペレーター」であろうと「パイロット」「エンジニア」であろうと、ハンドル操作が鈍かろうと軽かろうと、安全運行に対する責任の重さに変わりはありません。




 テクノロジーの進歩が極限まで行き着いた先の世界では、飛行機のパイロットですら「オペレーター」と呼ぶべき時代が到来しそうな予感がします。
 
 結局パイロットにも運転手さんにもなれなかった部外者の無責任な憧れとしては、パイロットも運転士さんも「エンジニア」の要素を失わないでいてほしいと思うのですけど。




オペレーターとエンジニア(中編)

2008-04-03 08:12:30 | 森林航空隊
 そこで旧型の「DC-10」のコクピットを総て入れ替え、「MD-11」のグラスコクピット仕様にしたものが「MD-10」です。
 これで操縦手順は「MD-11」と同一になりますので、当然操縦免許も共通。パイロットは両機材分け隔てなく運用できるだけでなく、MDでは必須だった航空機関士を外せますので、相当の人件費が削減できるわけです。



 機体そのものやエンジンと並んで、飛行機にとって最も重要な「操縦システム」を抜本的に入れ替えてしまう、というのは極めて異例の工事です。

 ジャンボ機の場合も、「クラシックジャンボ」をグラスコクピット化できれば、パイロットをダッシュ400と共用/航空機関士を廃止できますからDC同様に人件費を軽減できますが、こちらは施工されていません。

 システムが膨大すぎて入れ替えが利かないのか、施工費用が過大すぎて割に合わないのか、はたまた「先の見えた」ジャンボ機に新たな投資をしたがらないのか、何れかの判断が働いているのでしょう。


 「MD-10」の場合は、ジャンボ機よりは小規模とは言え、決して安くはないであろう施工費用をかけて操縦システムを入れ替えているわけですから、逆に見れば、パイロットの人件費がそれだけ高額ということも言えます。




 操縦方式の違いが事故を引き起こした例もあります。
 先ごろ、エアバス社の責任を巡って争われた控訴審判決が出た「中華航空機墜落事故」。

 名古屋空港(当時)への着陸態勢に入っていた台北発の中華航空エアバスA300型機は、着陸時に誤って作動させてしまった自動操縦装置の解除法が分からぬまま、無為に機首下げの操縦桿操作を続けるという、二重の操縦ミスを犯していました。
 結果、自動操縦装置の指令で着陸復航のために機首上げ/エンジン推力アップ状態の機体と操縦桿操作が競合。無茶な体勢ながらバランスが保たれて飛行を維持していたものの、パイロットが着陸を諦めて不用意に操縦桿を戻したところ、急激な機首上げを招き失速→墜落してしまいました。

  
 正副操縦士とも死亡しており事故後の証言は得られていませんが、操縦桿を押すと自動操縦が解除されるボーイングのシステムと勘違いしていたのではないか、とされています。

 この事故を教訓に、現在運行されているエアバス機は、システムをボーイングと同じように改善されました。




 幾重もの安全装置・バックアップシステムを介してもなお、ヒューマンエラーによる事故は絶えることなく、どんなに高度な操縦システムを導入してもなお、人間の技量に頼る部分が少なくない。

 飛行機のパイロットは、本来「フライト・エンジニア」と呼ばねばならない、極めて高度な技量と資質を備えた人間だけが為しうる職業です。

 だから我々「男の子」は永遠に憧れ続けるのですが。



(続く)



オペレーターとエンジニア(前編)

2008-04-02 12:46:54 | 森林航空隊
 拙稿「双発機全盛時代」でも触れましたが、大型ジェット機の操縦免許は機種ごとに取得します。航空会社内でのパイロットの配属も、例えば「747運行部」「767運行部」というように機材別になっています。当然免許を持っていない機種は操縦できません。
 普通免許を持っていれば、フェラーリからスクーターまで総てを運転できる自動車とは大きく違いますね。


 メーカーが異なる場合はもちろん、同じメーカーであっても機種が異なると機器配置や操縦手順が違ってくることが多いのです。極端な例では同じジャンボ機でも、ダッシュ300までの「クラシックジャンボ」(航空機関士を含む3人乗務)と、ダッシュ400「ハイテクジャンボ」(原則2人乗務)では、操縦システムが全く異なるため操縦免許が別立てになっています。


 拙稿「飛行機好きの視点」で紹介した三発機「MD-11」も、母体となった「DC-10」と姿容は酷似していますが、操縦免許は別になります。

 ところが、MDシリーズの「MD-10」については「MD-11」の操縦免許で運行できます。
 「MD-10」というのは、あまり耳慣れない型番ですね。当然と言えば当然で、「MD-10」は新製機の型番ではなく、「DC-10」の操縦系を「MD-11」並にアップグレードした改造機の型番です。


 拙稿で紹介したとおり「MD-11」および「DC-10」は、旅客機としては不振でしたが、貨物機としては現在でも主力機の座を維持しています。
 旅客航空会社から売却されたorリースアップで返却された旅客機仕様の機体を改造し、貨物機仕様として運行している機体も多数あります。
 
 例えば「J-Bird」の愛称で活躍した日本航空の「MD-11」は、10機総てが国際物流大手UPSに売却されています。


 そこで問題になるのが、同じメーカーとはいえ操縦免許の異なる「MD」と「DC」の混在。それぞれの機材に予備要員を含めたパイロットを確保しなければなりません。

 至極当然のことですが、パイロットは航空会社の従業員としては最も高給取りですから、確保した要員数だけ莫大な人件費コストが掛かります。


(続く)



S・O・S(補遺・後編)

2008-04-01 23:14:21 | 森林航空隊
 「タイタニック」に関する伝説で、最も荒唐無稽なのが

○運搬していたミイラの呪いで船長が取り乱した

 というものです。「タイタニック」がミイラを輸送していたことは事実ですが、ミイラ移送そのものに船長が関わったのならともかく、「呪いで暴走した」というのは幾らなんでも・・・・という気がします。現代ならともかく、クラシックな大型船は船長の独断だけで操船できるものでもないでしょうから。

 当時のミイラは「文化財」としてではなく「見世物」として取り扱われましたから、面白可笑しく「呪い」などという話が出たのかもしれません。





 事故続発で無保険船となったはずの「オリンピック」は、その後20年以上も大西洋航路で活躍します。

 その途中、第一次世界大戦では英軍の輸送船に徴用され、ドイツ軍潜水艦「Uボート」の雷撃を受けるも、不発で撃沈を免れるという「強運」ぶりも発揮。

 第一次世界大戦では、オリンピック級次女「タイタニック」沈没後に進水した妹船「ブリタニック」が病院船として従軍していましたが、こちらはドイツ軍が敷設した機雷に触れて沈没。
 三女「ブリタニック」は客船として就役することなきまま、海底に沈むという次女「タイタニック」以上の不幸に見舞われます。


 「オリンピック」の強運はこれだけに留まりません。攻撃してきた「Uボート」を発見するや、猪突猛進して体当たりし艦体を破壊。これを撃沈するという、前代未聞の「武勲」を挙げました。
 軍の徴用船とは言え民間商船が敵潜水艦を撃沈したという事例は、後にも先にも「オリンピック」以外寡聞にして類例を知りません。


 なのに新造だったはずの同型船「タイタニック」は氷山との接触で敢無く沈没。合点が行きませんね。


 実は「タイタニック」遭難時、「オリンピック」も大西洋航路に復帰・就航していて、遭難信号を受信しています。
 当然救助に向かいましたが、余りにも遠すぎて、遭難現場に到着したのは救助活動そのものが終了した後でした。

 
 拙稿「~補遺・前編」で紹介した「保険金詐欺説」が本当だったとしたら・・・・。
 実は僚船「オリンピック」との邂逅地点が設定されていて、「タイタニック」を沈めたら即「オリンピック」が救助する手筈になっていたものを、「タイタニック」が想定外に早く氷山に接触、「オリンピック」の救助が間に合わなかったのではないか、という説もあります。






S・O・S(補遺・前編)

2008-03-31 23:59:35 | 森林航空隊
  国土交通省の外郭団体が、確率論的に「タイタニック」遭難を分析した研究を拝見したことがありますが、導き出された発生確率はなんと2%弱。概ね50航海(25往復)に1回の割合で遭難する、という高率でした。

 現代の航空機の事故発生率は、高目に見積って250000回に1回程度。毎日欠かさず搭乗しても700年に1回事故に遭遇するかどうか、という低率です。

 如何に現代の交通機関が安全かが解る比較です。



 「タイタニック」の遭難については、遠因として、

○当時の鉄鋼は、現在の品質で言えば「鋳鉄」に近く、脆く壊れやすいばかりか低温下では更に脆弱となる傾向があった。

○鋼板を溶接ではなくリベット留めしていたため、常に漏水対策が必要な構造だった。相手が氷と言えど、脆く硬い鉄板をリベット留めしている部分に衝撃が加わると浸水し易い。

○出航直後から石炭庫で火災が続いていた。本来は散水するなどして自然発火する危険性を削いでから補給するものを、スケジュールが押し詰まっていたため生のままの石炭を積み込み、案の定発火させてしまった。この影響で船体が鈍っていた可能性を否定できない。


 等々が指摘されています。
 「タイタニック」にまつわる「歴史の闇」としては、

○船主「ホワイトスターライン」は経営危機に陥っており、保険金詐欺を企んだ。

○「タイタニック」と瓜二つの兄弟船「オリンピック」が、竣工以来海難事故を頻発させており、新規の船舶保険引受を拒否されたばかりか、船体そのものも事故による破損と歪みで無価値に等しくなっていた。
 そこで入渠中の「オリンピック」と建造中の「タイタニック」を密かに摩り替え、船体価値の無い「オリンピック」を新造船「タイタニック」として就航させ、氷山にぶつけて葬り去った。無価値となった事故船の処分と保険金詐取を同時に成功させた。

○先に紹介した石炭発火や、石炭火災が沈没直前まで続いた(放置された?)のも、仕組まれた事故である。

○タイタニックを沈めた船長は、オリンピックの船長も務めていた。

○傍証として乗船予定だった大口スポンサー(実質的なオーナー)は、本人はもとより友人知人など関係者に至るまで直前にキャンセル。乗船していた社長は、一目散に救命ボートで逃げ出し生存。



(続く)

S・O・S(後編)

2008-03-24 00:46:53 | 森林航空隊
 細く長い、でも致命的な損傷から浸水が始まり、沈没に至るまでのドラマは、皆さんが映画で鑑賞されての通りです。

 浮沈船と喧伝された豪華客船は、氷山との接触から3時間足らずで氷海の水泡と消えました。



 氷海での高速運行という無謀さ、船体の脆さ、近隣に無線を受信可能な船舶がいなかった不運さを抜きにしても、悲劇を防げたであろう「~たら・~れば」は数多くあります。
 その一つが、危機管理対応の拙さ。氷山を回避する操船法や氷山との接触後の対応には、今でも批判する意見が多数あります。

 見張りが氷山を発見し、ブリッジは転舵と減速を同時に発令しましたが、減速すると舵の効きが悪くなる特性を考慮すれば、減速せずに転舵していれば十分避けられたのではないか、と言われています。
 
 また、無為に機関を停止し座して沈没を待つだけではなく、救難信号を受信した船の位置を把握し、その船の方向に舵を切って全速航行していれば、沈没前に救助船と邂逅できたかもしれません。
 タイタニックは船首側が損傷しましたから、全速前進では浸水を加速させてしまうリスクが考えられます。そうであれば「全速後進」をかければ、速度は出ませんが一方で浸水を遅らせられます。
 沈没に間に合わなかったとしても、少なくとも互いに近付く行動をしていれば救助までの時間を短縮できたはずで、死者をもっと少なくできた可能性があります。

 

 あらゆるテクノロジーが進化していくにあたって、必ず犠牲は発生してしまいます。悲しいかな、犠牲そのものを防ぐ手立ては、私たちにありません。

 ただひとつ、できることは「教訓を得る」ことだけ。同じ悲劇を繰り返すまじと、テクノロジーを更に進歩させ、犠牲に報いることのみです。



 安全な交通機関・輸送手段による便益を享受している私たちですが、その轍の下・水面・雲上には無数の屍が横たわり、死者の魂が漂っていることを、忘れてはなりません。






S・O・S(中編)

2008-03-23 22:02:49 | 森林航空隊
 では、なぜ「SOSはタイタニックが初めて」という誤解が広まっていったのかというとこの話、半分間違っていますが、半分は合っているからなんです。

 タイタニック号の無線機は、当時の主流であった「マルコーニ」社のもの。通信士もマルコーニからの派遣社員でした。
 氷山への接触後、浸水が増大し危機的状況が明白になる中で救難信号を発信せざるを得なくなりますが、「マルコーニ」式の通信に慣れている通信士(というか、先に記したとおりマルコーニ社の社員)は当然「CQD」を発信します。

 暫く発信を続けても反応がなく、有っても予想沈没時刻には間に合わない位置にある船舶のみ。通信士は「CQD」の発信と平行して「SOS」の発信も始めます。

 これが、初めて「マルコーニ」社の無線機から発信された「SOS」だったのです。
 



 ちなみに、敢えて「氷山への接触」と記しましたが、「氷山への衝突」と記述している文献ないし資料も多く見られます。
 もし正面から衝突していた場合、衝突の衝撃で死傷者がでた可能性はありますが、むしろ沈没は免れたのではないかと思われます。

 映画などでも描写されていますが、「タイタニック」は船内を区切る水密区画のうち、4つまで浸水しても沈没しない設計になっていました。
 正面衝突した場合は、船首部分1~2区画の破壊は免れ得ないでしょうが、それだけなら航行不能に陥る可能性はあっても沈没することはありません。

 実際の「タイタニック」は、氷山を発見して減速・取舵を切り、正面衝突は回避しました。お陰で、その時点での怪我人はゼロ。氷山と接触したことすら気付かなかった乗客も居たと言います。


 正面衝突は回避しましたが、水面下の船腹に長い傷を負っていました。衝撃が少なかっただけあって、傷の総面積は人間一人の体表面積程度と見積もられています。この点、実際の沈船を検証した結果でも裏付けを得られたようです。

 しかし、傷の長さは約90m。「タイタニック」の防水区画5つを貫いて伸びていました。





(続く)



S・O・S(前編)

2008-03-22 01:57:34 | 森林航空隊
・・・---・・・ ・・・---・・・

 キーボードタッチのミスではありません。
 モールス信号で「・・・」(→単点3つ)は「S」、「---」(→長点3つ)は「O」を表します。
 もうお分かりですね。緊急救難時に発信する「SOS」です。


 今年2008年は、「SOS」を万国共通の救難信号とした「万国無線電信会議」(ベルリン会議)の決定を、日本を含めた世界各国が批准し、正式に採用されてから丁度100年になります。



 もともと緊急救難信号は「SOS」ではなく「CQD」というコードが用いられていました。当時はまだ船舶航行の国際ルールが厳密に制定されておらず、このコードは無線機器メーカー「マルコーニ」社が提案し、同社の無線機を搭載した船舶に広まっていったものです。
 今で言うところの「デファクトスタンダード」というヤツですね。

 パソコンのOSが、一企業の製品で席巻されその仕様が事実上の「国際標準」となってしまったように、当時のハイテクであった無線機の独占供給メーカーが、通信士のレクチャーまで手掛けていたために「デファクトスタンダード」となったようです。


 SOSは単なるモールス符号の組合せであって、本来特別な意味はありません。
 長短3回ずつの繰返しで打電し易い、というのが採用した理由です。

 よく誤解されるのが、「Save Our Ship」ないし「Save Our Soules」のイニシャルを取ったという話です。これは「SOS」が正式に国際救難信号として定着してから、後付けで単語を当て嵌めただけ。初めに上記の英文ありき、ではありません。



 また海事関係者の間でも多い誤解が、「世界で最初にSOSを発したのはタイタニック号である」という話です。

 タイタニック号の遭難事故は1912年。救難信号として国際的に「SOS」を決定してから4年後のことです。

 タイタニック号の遭難時点では既に国際救難信号として「SOS」が認知されており、「SOS」採択の翌年に発生した海難事故で、既に「SOS」は発信されています。 


(続く)

飛行機好きの視点(後編)

2008-03-21 12:42:42 | 森林航空隊
 一方のDC-10は、現在は統合された旧日本航空・日本エアシステム両社で採用され、国内・国際両線で大活躍。 
 
 その後日本航空は、DC-10の後継機MD-11を10機導入。機材の愛称を「J-Bird」と名づけ、更に機体個々に日本で観察できる貴重な鳥の名前を記しました。

 727の世代までは、日本赤軍のハイジャック事件で有名になった「よど号」(→淀:河川名)など、個々の機体に愛称が付けられていました。機体数が増えたことで個別愛称は廃止されしたが、MD-11「J-Bird」は、久々の機体愛称の復活としても話題になりました。

 DC-10はロッキードとの苛烈な競争には打ち勝ったものの、機体の欠陥や整備ミスに因る重大事故が頻発、機材としての信頼性は決して高くありませんでした。
 一方の「トライスター」は、機体側の原因に因る墜落事故は皆無。生産機数が少なく現時点で殆どの機が退役しているとはいえ、皮肉としか云いようがありません。

 後継のMD-11にしても操縦系が敏感すぎることが災いして、操縦ミスによる墜落事故が発生。そもそも三発機は中編で紹介した欠点に加え、油圧系統が集中する機体尾部にエンジンがある構造上、エンジントラブルが即油圧トラブルに直結しやすい問題点を抱えていました。

 そして決定的だったのは、マクドネル・ダグラスのボーイング社吸収合併でした。
 777と競合するMD-11生産ラインの維持は、ボーイングにとって経営資源の無駄遣いでしかなく、MD-11は初号機ロールアウト後僅か10年で生産が打ち切られてしまいます。 


 日本航空のMD-11「J-Bird」も、近距離国際線を中心に運用されてきましたが僅か9年ほどで売却され、DC-10よりも先に姿を消しました。
 残ったDC-10も2005年までに総て退役し、一部の外国乗入れ便を除き日本の空から三発旅客機が姿を消してしまいました。


 旅客機としては短命に終わってしまったDC-10/MD-11。しかし、高い推力と横幅の広いボディーは貨物機として打ってつけで、「FedEx」や「UPS」の航空貨物便機材としては、いまでも主力機の座を維持しています。
 日本の空港でも貨物エリアに駐機している姿を、頻繁に見ることができます。

 また、アメリカ空軍の空中給油機KC-10「エクステンダー」はDC-10ベース。こちらも横田基地や、正・副大統領、国務長官などアメリカ政府要人の専用機に随伴して羽田空港の貴賓室近くに駐機していることがあります。



 東京の玄関口である羽田空港は原則的に民間機専用ですが、外交上の都合で軍用機が離着陸・駐機することが皆無ではありません。

 もっとも、日本の「政府専用機」B-747ダッシュ400も所属は航空自衛隊ですから、「自衛隊機」になりますけどね。