教育委員会の組織的・体質的な問題点は、様々なメディアを通じて議論されていますからここでは敢えて述べませんが、子どもたちが負ったであろう痛手については看過できません。
ひょっとしたら、適性を欠く人間が教師として跋扈し、子どもたちを間違った方向に導いてしまっていたかもしれません。
百歩譲って、汚職に手を染めたとはいえ適性に優れ子どもたちに慕われる教師だったとしても、その罪を知った子どもたちはどう受け止めるでしょうか。況してや年度途中で学級を放り出し免職されてしまったら、どう感じるのでしょうか。
私なら間違いなく、人間不信に陥ります。
自分が信頼してきた存在が大きく損なわれ、消滅してしまうわけですから。
大分でも夏休みに入り、お縄になった校長・教頭がいた学校も終業式がありました。
この「汚職事件」自体が腹立たしいのに、逮捕された校長に代わって赴任した新校長の訓示がまた、腹立たしさ満点。
子どもたちに対し「いっしょに頑張っていこう」などとのたもうたとか。
子どもたちはかくも醜い事件とは無関係に、いつも勉強に遊びに一生懸命頑張っています。
今回の事件は、偏に大人たち側の問題であって、子どもに責任は一切ありません。
そんな子どもたちに対して「いっしょに頑張ろう」などとは、一体どういう感覚をもっているのでしょうか。まるで自分が当事者ではないような印象を受けます。
まず最初に、子どもたちに謝罪しないんですか?
そして汚いことをした大人たちが率先して、信頼回復のために必死に頑張りなさいってば。
大人の都合と勝手で起こした事件なのに、「いっしょに」だなんて、子どもを巻き込むなような発言は絶対に許せません。
新任校長は、汚職云々とは無関係なのかもしれませんし、だからこそ交代で赴任したのでしょうが、逮捕された前校長はじめ教員全員と連帯して子どもたちに責任を負っているはずです。事実として汚職に手を染めていなくても、「俺はカンケイないから」と思っているなら、そんな考えは改めるべきです。
このような第三者的かつ無責任な発言は、汚職事件そのものよりも罪深いと考えます。
ひょっとしたら、適性を欠く人間が教師として跋扈し、子どもたちを間違った方向に導いてしまっていたかもしれません。
百歩譲って、汚職に手を染めたとはいえ適性に優れ子どもたちに慕われる教師だったとしても、その罪を知った子どもたちはどう受け止めるでしょうか。況してや年度途中で学級を放り出し免職されてしまったら、どう感じるのでしょうか。
私なら間違いなく、人間不信に陥ります。
自分が信頼してきた存在が大きく損なわれ、消滅してしまうわけですから。
大分でも夏休みに入り、お縄になった校長・教頭がいた学校も終業式がありました。
この「汚職事件」自体が腹立たしいのに、逮捕された校長に代わって赴任した新校長の訓示がまた、腹立たしさ満点。
子どもたちに対し「いっしょに頑張っていこう」などとのたもうたとか。
子どもたちはかくも醜い事件とは無関係に、いつも勉強に遊びに一生懸命頑張っています。
今回の事件は、偏に大人たち側の問題であって、子どもに責任は一切ありません。
そんな子どもたちに対して「いっしょに頑張ろう」などとは、一体どういう感覚をもっているのでしょうか。まるで自分が当事者ではないような印象を受けます。
まず最初に、子どもたちに謝罪しないんですか?
そして汚いことをした大人たちが率先して、信頼回復のために必死に頑張りなさいってば。
大人の都合と勝手で起こした事件なのに、「いっしょに」だなんて、子どもを巻き込むなような発言は絶対に許せません。
新任校長は、汚職云々とは無関係なのかもしれませんし、だからこそ交代で赴任したのでしょうが、逮捕された前校長はじめ教員全員と連帯して子どもたちに責任を負っているはずです。事実として汚職に手を染めていなくても、「俺はカンケイないから」と思っているなら、そんな考えは改めるべきです。
このような第三者的かつ無責任な発言は、汚職事件そのものよりも罪深いと考えます。