もしもある晩、見知らぬ人たちが「とんとん」とノックして来て、「一晩、泊めてくださいな」と言ったら? 常識的な大人なら、こう返事をせざるを得ない。「えーっと、他をあたってくださいな」あるいは「警察、呼びます!」
しかし、絵本の世界には、常識的な大人なんて一人も登場しない。だから、おもしろい。だから、ドキドキ、ハラハラが始まる。
幼かった妹も、幼かった子どもたちも、この絵本が大好きだった。眠りにつく前に、何回、読みきかせしたことだろう。みんな、結末を知っている。けれどいつも私は、ドキドキしながらページをめくったし、子どもたちもハラハラしながら話に聞き入っていたものだ。
この絵本なら、あと何回でも、読み聞かせてやれる。今度はいつ、だれに読み聞かせようかな?
ちなみに。話を飛躍させますが。
新約聖書の時代、旅はやむを得ず、命がけでする長距離移動であり、趣味や楽しみのためにすることではありませんでした。もちろん、ホテルなんてない時代。路上で行き場をなくし、夜になって突然「とんとん、泊めてください」と訪ねて来る人が、実際にいたわけです。そんな泊まる場所のない旅人に、安全な寝床を貸すことを、キリストは善行とみなされました*。イエス様は、常識破りな大人だったんですね。
絵本の中では、そんな善行も、当たり前のようになされるもの―。そこはまさに、天国を先取りした世界です。
*マタイによる福音書25章34-36節 イエスのたとえ話より
「さあ、わたしの父に祝福された人たち。世界の基が据えられたときから、あなたがたのために備えられていた御国を受け継ぎなさい。あなたがたは私が空腹であったときに食べ物を与え、渇いていたときに飲ませ、旅人であったときに宿を貸し、わたしが裸のときに服を着せ、病気をしたときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれたからです。」