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『奈良学友会』

奈良大学通信教育部文学部文化財歴史学科 同窓会

斑鳩歩けオロジー

2011-05-17 23:48:12 | 悠歩の会(悠久の浪漫を歩く) 

 第13回 悠歩の会 『斑鳩歩けオロジー』   聖徳太子の都市計画を訪ね歩きました。

午前10時JR法隆寺駅に集合、近くのスーパーで食料を買い出発です。

まず、『太子道を歩く』前半で行った、上宮遺跡公園まで飛鳥時代の道が残っていますが、

今は狭いですが飛鳥時代の道幅は20mもありました。

富雄川を渡り、膳氏の屋敷跡を通り田の中に残っている筋違道を確認後、法隆寺に向かいました。

総勢40名超えると信号などでさえぎられて自然と列が長くなってきます。

法隆寺参道から南大門前で、若草伽藍と西院伽藍の対比の説明を聞きました。

法隆寺から藤ノ木古墳に行く道にある、西里の町並は古を感じさせてくれます。

藤ノ木古墳で昼食休憩、

古墳の石室は外からドアのガラス越し見え、その奥に石棺も見ることが出来ます。

藤ノ木古墳の多くの出土遺物は、橿原考古学研究所付属博物館にありますが、

レプリカを斑鳩文化財センターで見ることが出来ます。

レプリカですが精巧に作られ、被葬者の位の高さが見えます。

法隆寺に戻り東大門から夢殿前へ、

北進して法輪寺と法起寺に行きました。

これらのお寺も元は妃居宮で太子の歿後お寺とされました。

法起寺は、岡本宮でしたが、三重塔(国宝・最古の三重塔)を建ててお寺とされました。

中宮寺跡は、今は広い野原のようになっていますが、金堂跡や塔の基壇があり地下に

心礎も残っているそうです。

発掘調査で創建時の単弁蓮華文軒丸瓦や飛鳥時代の瓦も出土しています。

太子の母穴穂部間人皇后の宮室を寺院にしたと伝えられています。

ここで解散となり、自由参加の懇親会を法隆寺東の【さと】でおこないました。

 


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