私が小学生の頃の運動会といえば、お弁当は重箱に詰め、親しい家族と一緒に食べるのが普通でした。
四年生の時だと思うのですが、例年通りお昼は友人家族とお重を広げ楽しんでいました。母が何故か気もそぞろで落ち着かない様子なので、視線の先を見ると、直ぐ傍でお祖母さんらしい方と六年生位の女の子二人だけでお弁当を食べています。
周りは皆、お重を広げ、まさにハレの日の食事をしているのですが、その二人はアルミのお弁当箱を手に楽しそうに会話しています。
二人だけという事とアルミのお弁当箱を目にした母は、様々な事を思い何か考えこんでいるようでした。
食事も終わり、母が梨を剥いて、突然そのお祖母様に「梨を沢山剥いたから、お裾分けです。良かったらどうぞ」と言って、青蜜柑とお渡しすると
お祖母様は喜んで受け取られました。
家に帰り尋ねると、二人だけでの質素なお弁当が気になって、ご馳走の味が分からなかったそう。本当は鰤の照焼や穴子の八幡巻きをお裾分けしたかったけれど、失礼になるからと我慢したそうです。
梨をあんなに自然に喜んでくれたのだから、料理もお裾分けすれば良かったと気持ちは千々に乱れたようです。
厳しい所もある母でしたが、情も人一倍深い人だったのでさぞ悩んだ事でしょう。
その時の、お弁当箱の蓋の百合の絵が目に焼き付いています。
最近の運動会では、昼食時生徒は教室で取らせたり、敢えて平日にしたりと各地で変化しているようです。
コロナ以降はまた新しい形も生まれ、私は少なくとも寂しい思いをする子供が減っている事を、少し安心したりしています。
この事を夫に話し、寂しい思いをする子供を無くす為に平日運動会も賛成と言うと、色々な事を乗り越えるのも人生だし、全員平等なんて無いのだから、今迄通りで良いと言います。正論なので仕方ありません。
せめて子供は皆、平等で幸せでいて欲しいというのが、切なる願いです。