なおみってさ

猫と唄って日々の足跡

猫を看取る 飼い主の選択①

2017-10-02 16:27:55 | 
ブログを休止していた間に3匹の猫を看取りました。

それ以前に病気で亡くした子もおりますが、
3匹の事を書きたいと思います。

3匹はそれぞれ
15才・16才・17才の老齢でした。
動物を長年飼っている者は、
猫のように痛みに我慢強く、病気を隠す動物の急な体調の変化に戸惑います。

死について、様々な考え方がありますし
飼い主が動物にかけられる金銭的な問題・時間も様々です。
動物がそれぞれ持った、遺伝的な体質・性格も考えなくてはなりません。

動物を飼うときに「死ぬときの事」を教えてくれる人はいません。
それにつきあうのが嫌でガス室へ動物を連れて行く人間が多いのです。

私自身、ネットサーフィン!という言葉が使われるようになってから
専門的な情報や、個人的な経験談を得られるようになったのは
本当に良かったと思います。
それによって助けられてきたのです。

見ず知らずの方の経験がヒントになったことが多々あります。
私の猫達も誰かのお役に立てるかもしれません。




久しぶりのログイン

2017-10-02 16:14:46 | 日記
よく探偵小説などで

「故人は毎日かかさず日記をつけているような几帳面な人物」
という表現が出てくる。

判ってはいるが、私はつくづく几帳面ではない人物なのです。
ブログの放置は欲あることでしょう。
最後の記事から3年近く経ってしまった。

気まぐれにまたぼちぼち書いていこうと思う。
誰かの目に入るかも知れない日記。

書きこんでいた端末を新しくしたことや
Facebookを始めてしまった事も原因なのだけど
Facebookの場合は、文字数も考えて投稿する必要がある。
とりとめのない長文がタイムラインにあがっててもねぇ。

ここは私のスペース。

3年の間に起こったことも、今起きていることも
うまく日記に残せたらと思う。



ワタシと猫

2014-09-16 01:51:15 | 日記
うちには五匹。

猫がいる。
ワタシがいつから猫を好きになったのかは判らない。

ただ、ワタシは小さい頃に近所に住んでいた「チビ」と呼ばれていた白い犬が大好きだった。
野良犬(捨てられた)が迷い込んできて、母に飼いたいとせがんだりもした。

祖母も父も、動物が好きな方ではなかった。
祖母は漁師町に生まれたので、猫は「子猫が生まれたら袋に入れて海に捨てる」と平気で言えたし
幼心に、祖母はひどい人だと思っていた。

16才の頃、二匹の子猫が迷い込んできた。
キジネコと、黒猫。
鳴き声が可愛いし、ワタシと妹・弟で母に内緒でミルクをあげた。

必ず決まった時間に可愛い鳴き声が響く。
姿は見せないけれど、ミルクの皿は空っぽ。

そのうちに二匹はうちに居着くようになった。
車庫にダンボールを置いて、「キジ」と「クロ」と呼んで可愛がった。
ワタシはうちに帰るのが楽しみになった。

「クロ」の体調が急変した。
もしかすると、持病があったのかもしれない。
彼女は母の腕の中で亡くなった。
仲良しだったキジはひとりぼっちになった。

季節は秋から冬になろうとしていた。
母は、飼ってもいいと言ってくれ、メスだったキジは避妊手術をした。
ワタシには動物の避妊手術が必要だという知識がなかったけれど
母は適切な判断をしていたなと今も思う。


猫のノミのかゆさを味わったのもこの頃。
フロントラインがまだ普及してない時代だった。
とにかくグルーミングやシャンプーなど。

名前は13歳で死ぬまで「キジコ」だった。

キジコは、近所の柿木に登ってカラスと言い合いするくらいお転婆な面もあるし
絶対家の中で粗そうすることもなく、
お行儀のいい猫だった。キジコー!と呼ぶと必ず返事をしてやってきた。

母の機嫌が悪いときは、キジコをだっこさせると良くなった。

ワタシは猫という動物の良さしか見えなかった。
デザインを専攻していたので、学校の課題にもキジコを登場させたりした。


祖母もキジコだけは「他の猫とは違う」くらいなことを言い出した。
内心ほっとした。
一度家族で旅行した時、お隣のおばさんにエサなども面倒を頼んだのだけど
電話で「キジコがご飯を食べない」という。
電話口にキジコを呼んで「キジコ!ご飯食べて!」
と声を聞かせたら食べるようになったと言う。

猫に電話の意味がわかるはずはないとおもうのだけど。
彼女は納得したのでしょう。


ワタシは進学で上京する事になった。

荷造りする。
スーツケースの上にキジコがいた。
涙が出た。
タクシーに両親と乗り、祖母と見送るキジコに
「もう、ワタシは出て行くんだ」と実感した。
サヨウナラ。

妹は犬派だった。

妹が飼いきれなくなったポメラニアンが実家に登場。

キジコは、その雰囲気を察して犬に譲った。
犬は手が掛かるのだ。
悪いいみではない。
犬は飼い主を守る 義務を背負っているところがある。
それは愛情というエネルギーを与えてあげなくてはならない。
猫とはまた違うアプローチで。

キジコは弟の部屋でノンビリ寝たり、外で気ままに過ごしていたらしい。
晩年は少し痴呆が出ていた。

最後はパートから母が戻るのを待って
母の腕の中で亡くなった。

母が泣きながら電話してきた。

家に居て、いろんな事を知っていた。
色んな場面が浮かんだ。

あんなに可愛い鳴き声でなかったらどうだっただろう。
クロとはあちらで再会しただろうか。

住居の都合で飼えないので、外の猫の面倒をみたりしていたら
いつの間にかずっと猫を飼っている。

五匹っていうと、みなさん驚く。
でも苦に感じたことはない。
猫は、ちゃんと雰囲気を読める。
読めなかったり、ズボラだったり、傲慢だったり
怠慢だったり、自分勝手なのは人間の方。

彼らは何も持たないけれど、平和主義で柔らかな身体がいつも癒やしをくれる。

もらってばかりじゃ悪いので
ご飯にトイレの掃除、住居を提供しています。








歩かされるワタシ達

2014-08-08 17:32:33 | 日記
都内に出る。

ワタシは横浜在住なので、昔は桜木町から東急電鉄で終点の渋谷。
楽だった。

みなとみらい線ができて、自宅から駅が近くなったけれど、
とにかく掘られた地下までエスカレーターか階段。
荷物が多いとほんとに辛い。
それも慣れてしまったけど。


渋谷には、バンドのリハーサルで行くことも多い。
みなとみらい線から副都心線で、横浜から埼玉の果て(失礼!)まで
繋がってからは、東横線は渋谷が終点ではなくなってしまった。

終点が渋谷っていうのは、ちょっとした安心感もあった。
満員になっても、渋谷までの忍耐・・って感じもあるし。

渋谷駅は大きな商業施設に姿を変え始めた。
通りなれた通路は迷路と化して、案内板も不親切。


とにかく、金を使え・モノを買え!!ってやさーーしく押し売りされてる。
ワタシは、もうモノの価値も自分の金銭感覚も
よくわかった小市民であるので、誘惑には乗らないのだけど。
必要なら買うのだし。

ただ、この駅は不親切で、体力がない年配の方や小さな子供
体の不自由な人にはちっとも優しくない。

それは渋谷ばかりではない。


3月11日の忘れられない出来事。
思い出さなければ、それまでかもしれない。
計画は着実に進められただけなのだ。

迷路のようなこの場所で、パニックがおこったらと思うと怖い。
何十メートルも掘り下げられた地下で。
出口一つ間違うととんでもない場所。
いつも考えてしまう。

何故こんなに歩かされるのか。
この駅を避けたいと思うことが多くなった。

スタジオに行く前に、エネルギーをもぎ取られてしまってるような。
ワタシの「体質」には合わないのは承知。

東急王国はズンズン進む。
ローマ帝国みたいだな。

楽器屋で

2014-07-24 14:17:42 | 日記
ブルースハープに挑戦しようと思い、楽器屋を覗く。
楽器屋というのは、ちょっとした緊張感があって好きだ。

お茶の水や渋谷の楽器屋が立ち並ぶ場所もなんだかワクワクする。

ワタシは楽器を使いこなせてる人間ではないのだけど。

数千円から数十万、「お問い合わせ」のギター。
カスタネットからピアニカ・・どれもが
どれも誰かに奏でてもらうのを待ってる。

ワタシのお目当てのハープがあった。
店頭とネットだと1000円以上も違う。


夏休みだからか、子供を連れた人が多くいた。

小学生の低学年だろうか、陳列されてるギターに触っている。
たしか、さっきはピアノを弾いてた子供か。

母親は、諭しているように見えて「止めない」。
エレキベースの弦を引っ張っているのも「上の方を触りなさい」とさえ言う。

ワタシはアコースティックギターのコーナーから
こっちへ来なければいいな・・と思った。
あんな風に、
オモチャを試すように、楽器に触れるべきではない。

残念なことにこちらへ来る。
そして10数万するギターをも触ろうと手を伸ばした。

すかさず店員が「触らないで下さい」と声を掛けた。
母親は、息子を止めた。
でも息子は「何故触っていけないの?」と悪びれない。
母親は、その理由を話して納得させられないのだった。

色んな楽器を見てみたい、触ってみたい好奇心は
子供らしいと思う。大人だってある。


色んなコトが頭をよぎる。

この母親がティファニーへ行って、
我が子が陳列されたダイアモンドを触ろうとしたら
絶対に阻止しただろう。


子供のすることは何でも寛大でなくてはいけないのか?

ここは玩具売り場とは違う。
壊してまた買い換えれば同じモノが買える場所ではない。


ワタシの相方が
「親の躾が・・」と呟いた。

躾とは、親が子を怒ることが躾なのではないが。

店のモノに触ってはいけない。
それだけで十分かもしれない。

多分、足りなかったのは

楽器に対する価値観や敬意だったのではと思えてくる。