
学生さん、この壁でボルダリングをするの? 私たちが大学に寄ったのは、トイレを借りるためだった。
秀吉が築いた『御土居』の資料をいただいた。聚楽第を守るために、周囲2、5キロメートルの堤防のようなものをわずか2〜3ヶ月で作った、というより作らせた。全てマンパワーで。秀吉さん、無茶をする。ブラタモリで、タモリさんが実にうれしそうに御土居見学をしていたのを思い出した。

御土居はもうほとんど残っていない。史跡となっている。

わずかに残っている御土居から降りる参加者たち。

御土居見学は終わったのかな?

向かった先は和菓子のお店、光悦堂。

ここで、御土居餅を買い、御土居に入る鍵を貸していただいた。

この史跡 御土居には柵があり、南京錠がかかっていた。

中に入るとこんな感じ。高くなっているところが土塁。低くなっているところは堀。堀をつくるために掘った土を積み上げて土塁ができた。

高さは3〜5メートル。しかも当時は土塁には竹を植えていたし、出口は7〜10ヶ所しかなかったので、なかなか侵入しにくかっただろう。

御土居で御土居餅をいただいた。美味。


御土居で御土居餅をいただいた。美味。

しばらく歩くとお醤油屋さんがあった。文化2年(1805年)創業の『松野醤油』 味噌も売っていた。ポン酢は重いので、柚子味噌を買った。

そして次に向かったのが光悦寺。天才芸術家、本阿弥光悦は鷹ヶ峰の地を家康に与えられて、一種の芸術家村のようなものを作ったが、67年しか存続しなかったそうだ。光悦の遺言は、江戸には行くなということだったそうだ。本阿弥家は足利尊氏の頃から、刀剣の鑑定と研磨を生業としてきた家で、現在、18代目、本阿弥光洲は東京在住で、人間国宝である。

参道の紅葉絨毯。2〜3週間前は、紅葉がどんなに綺麗だったことか。

中に入った。光悦垣と呼ばれている竹垣。大きな竹を使ってしっかりと作られている。

京都市内が見渡せる。

この立札の「鷹ヶ峰」「鷲ヶ峰」「天ヶ峰」を1枚の写真に収めたかったが、難しい。

パノラマを使ったらできた!!! 鷹ヶ峰と鷲ヶ峰の間の小さな山も見える。

本阿弥庵。もちろん当時のものではないが。

本阿弥光悦翁 墓所

ここに葬られている。

その後、妙見宮に入って説明を聞いた。

妙見さんには、北斗七星と北極星が祀られているそうだ。妙見菩薩の写真を見せていただいた。調べてみると、妙見菩薩とは北極星または北斗七星を神格化した仏教の天部の一つ、と書かれていた。ここには石の鳥居があった。神格化したから神になり、鳥居があると案内人の先生がおっしゃった。そして神仏習合の話になった。
これで研修が終わり、皆さんはバスで帰って行ったが、私はさっき通り過ぎた源光庵に寄った。これまで一度も行ったことがなかったから。
源光庵。1346年創建。曹洞宗。紅葉で有名なお寺。

ほんの少し、紅葉が残っている。

土が赤い。なぜ?

伏見桃山城で討死した侍の血がついた床を天井にした『血天井』

亡くなった侍を弔うため、と言われているが、気持ちのいいものではない。

『悟りの窓』と『迷いの窓』 さて、どちらが悟りでしょう?

お庭も、もみじの絨毯。

さあ、どこかで遅い昼食を食べて「おうちに帰ろう!」
友人ガイドが立ち上げたEETOURで今月の終わり頃、京都ガイドをする。下見も兼ねて阪急大宮駅で降りた。
ツアーの時のランチ、ラーメンはどうだろう? 中華そばと炊き込みご飯を食べた。お冷やと温かいほうじ茶を同時に出してくれた。気が利いている。

お好み焼きはどうかな? 当日、ゲストに聞いてみよう。

ついでに来春、カナダ人の中高生が宿泊するホテルも見学した。バスの駐車場はなかった。

紅葉シーズンは終わっていたが、静かな京都を穏やかな語り口の案内人といつも前向きなガイド仲間と散策することができた。皆様、ありがとう!