日々是好日

8月31日(火)茨田高校が閉校に

今日の朝刊。大阪の府立高校3校が閉校になる。


そのうちの茨田(まった)高校は、私が新人教師として勤めた学校。
読み方が変わっているが、「茨田堤(まんだつつみ)」は古事記や日本書紀にも登場する。
茨田高校は地域の期待を背負って、1975年に創立された。
それまで鶴見区には府立高校はなかった。
交通の便のよくない所にあったので、自転車通学の地元の生徒が多かった。
当時は第2次ベビーブームで新設校がどんどん建設された。
1クラス48人で12クラスあった。

私が担任した4期生は、元気な生徒たちだった。
校長は入学式で「君たちは、野球で言えば4番打者、、、、」と励ました。
生徒たちも期待に応えた。
林家小染(5代目)はそのうちの1人だ。

また、ラグビー部やレスリング部が強くて、全国大会にも出場した。
9期生の清宮克幸さんは、ラグビー選手として、また監督として活躍した。


大阪府全体の生徒数が減っている。
さらに大阪独自の状況がある。
維新躍進の目玉政策があった。
私立高校の授業料を保護者の収入に応じて、大阪府が負担した。
これで一気に私立高校人気が高まった。
さらに、府立高校は3年連続して定員割れしたら、閉校というルールも作った。

興味のある方は、下の添付資料をご覧ください。

自転車に乗って、お菓子を買いに行った。
先日いただいたアーモンドのお菓子が美味しかったので、
九州の親戚に送ることにした。
「粟玄」という和菓子店
駐車場は2台分しかないので、道路には買いに来た車が何台か停まっていた。


自宅用にも買った。



この暑さの中、片道20分の自転車はきつい。
このお蕎麦屋さんが気になった。


12時近かったので、入ってみた。
「みぞれおろし」を注文した。
お蕎麦も天ぷらも、美味しかった。


午後からは録りだめしているビデオを観た。

8月25日(水)BS TBSの「報道1930」より
野戦病院が話題になっていた。
去年1月2月に10日間で完成させた武漢の病院(1000床)


去年4月に完成させたイギリスの野戦病院
国内10カ所、最大4000床


去年3月にアメリカ陸軍が作った野戦病院(2500床)


感染が流行して1年以上経つのに、なぜ日本では作れないのか?

福井県では、野戦病院が準備できている。その秘訣は?

まず「自宅では療養させない」という揺るがぬ方針があった。
トリアージは保健所の職員ではなく医師(DMAT)が行った。
保健士は、感染経路を追う仕事に専念できた。
早期発見、早期治療で重症化することなく、多くの患者が1週間で退院できた。



野戦病院の案は昨年10月にできた。
とりあえず100床準備した。
施設を作るより、人員の配置の方が難しい。
開放的な場所では、開業医も手伝いやすい。
治療方法も伝えることができる。


去年4月に立ち上げた会議のメンバー
最初は大喧嘩もあったそうだ
横の連携の重要さを感じる


福井県医師会、池端幸彦会長
この方の尽力が大きかったと思われる。


東京医師会、尾崎治夫会長
「都内に急いで野戦病院を作ってほしい」


中国のような国では、トップダウンでやれるだろうが、
日本では、福井県のやり方がいいと思う。
去年から、最初は毎日、のちに毎週、会議を重ねておられた。
先見性のある自治体は、成功している。

パラ自転車の金メダリスト、杉浦佳子選手。明るい50歳
「最年少記録は二度と作れないが、最年長記録ってまた作れますね」







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