すると森繁久彌の「屋根の上のバイオリン弾き」の公演がYoutubeに投稿されているのに気づいた。2時間半、観てしまった。
この公演は東京の帝国劇場での収録だったが、私はこの頃、大阪の「梅田コマ劇場」でこの劇を母と観た。森繁さんがミュージカルを?と最初は驚いたが、見事な演技だったのを覚えている。ダンスが上手くなくても歌が上手くなくても、どの場面でも彼はテヴィエになりきり、観るものを惹きつけた。おそらく60代だっただろうが活気に溢れている。テヴィエには5人の娘がいるが長女の結婚式の時に彼が”Sunrise Sunset” ♫こんなに大きくなって♫を歌う。
悲しい場面でも笑わせてくれる劇だが、次女の倍賞千恵子との別れのシーンは悲しかった。
彼らはユダヤ人なので、村人全員、ウクライナから出ていけ、と警官に命じられる。
この人も(益田喜頓)も
この人たち(淀かほると賀原夏子)も出ていくしかない。
ラストシーンは悲しかったが、何度も笑わせてくれたし、音楽やダンスも素晴らしかったので「ありがとう」と言いたくなる。
森繁久彌さんは高校の先輩にあたる。文化祭になると卒業生で講演に来て欲しい人を全校生徒が投票する。毎年、森繁さんがダントツ1位だったが、来てはもらえない。自治会は2位以下の人にお願いすることになる。あるとき、森繁さんの断りの手紙が掲示されていた。達筆で丁寧に書かれた手紙だったと記憶している。高3の時は、手塚治虫さんが来てくれることになっていたが、大雨のため飛行機が飛ばなくなり、講演会は中止になった。大変、残念だった。
午後から、包丁を持ってお出かけ。毎月、第一土曜日におじさんが包丁を研いでくれる。料理は道具。かつては、切れない包丁で涙を流しながら、玉ねぎのみじん切りと格闘していた。切れる包丁を使うようになり、料理上手になった?ような気がした。