過日奈良の霊山寺を詣でた時、もらった案内パンフに「鼻高山」の文字があり、おや
奈良にもあるんだ(出雲の鼻高山は日本200名山)と。(5月6日ブログ)
大阪府柏原の高尾山(東京の超有名な山と同名)は征服したので、こちらも挑戦と。
一般地図には表記されてないので、本殿から1キロ登りの「奥ノ院」がきっと頂上か
中腹だろうと推測、28日決行した。
最盛のバラ園は無視して奥ノ院参道へまっしぐら。 途中オジーちゃんの観光客に
「なんで寺に鳥居があるのや」と問いかけられた。「昔は神も仏も一緒だったんじゃ
ないですか」といい加減に返事。「廃仏毀釈やな」とのたまわれる。なんだ知ってる
んじゃないの。 京都では神仏分離が徹底していて、お寺は山門、神社は鳥居。
奈良はそうはいかない。 近くの宝山寺もまずは立派な大鳥居がむかえてくれる。
↑一の鳥居 ↑二の鳥居 ここから奥ノ院参道
「湯谷川」の渓流沿いの参道は作業用の軽トラが走れる緩い勾配の登り、まことに結構な
森林浴である。 やがて道は谷川から離れ尾根筋に入る。しばらくすると下りに入り三の
鳥居に至る。
↑三の鳥居 ここから一気に谷筋に下る階段。 その先に賑々しい神社が鎮座して
いた。 私が思い描いていた奥ノ院の所在とは程遠く、「鼻高山」の表示など皆無である。
実はとんだ間違いをしていた。 「鼻高山」とはお寺の山号であって、鼻高(登美)の里に
ある寺の意なのだ。 はやとちりもいい加減にせいとしかられそう。 地形的にはここらは
矢田丘陵の一部であって山は無い。
骨折り損ではあったがお土産が二つ
①神社の上奥にぼろぼろの旧社を発見
↑神社右横にある階段(立ち入り禁止)とその先に見える木造祠。 掃除している作業員の方
に聞くと旧奥ノ院であったようだ。
②神社の西に下る登山道(通行禁止)を視認
神社の前を流れるちょろ川にそって道跡がある。倒木が多く廃道となっている。
帰路、時間があったので水の流れの先と見当をつけた住宅団地に回り込み、登山路を
視認した。
泉が丘団地の北側の暗渠を登るとコンクリート道が切れる。(写真左)地図上の「工務店」
あたり。 その先の叢を構わず進むと渓流沿いの山道がある。倒木激しく通行困難(写真右)
本来は奥ノ院の「弁財天」が先で、きっとこの道から参拝したのであろう。 弁財天のお告げで
東麓側に寺院が建立されたから寺院が従なのだ。 ゆえに霊山寺の入口は「鳥居」なのだ。
ああ、あのおじいー観光客の方(こちらも負けず劣らずおジーなのだが)にちゃんと説明して
あげたい。
おまけ 下山途中のバラ園