直列☆ちょこれいつ

最近は神社や神道などの古い文書の解読をしています。
研究のまとめはカテゴリ『自作本』から。

自殺を止める人

2020年05月04日 | ちょこのひとかけ


新型コロナの影響で仕事もなくなり、
そろそろいつ死ぬかというのを考えるところにきたようです。
今はもう人生のロスタイムみたいなものです。

素人が簡単にできそうなところで首吊りを考えますが、
首を絞めるのは練習でもかなり苦しく、死に切れるかどうか不安です。
紐が切れて失敗なども見るので
もっと確実で楽なものでもないかと考えていたら、ガスを思い出しました。
掃除の際に洗剤が混ざってうっかり死ぬ人もいるくらいですから
そっちのほうがずっと楽かもしれません。

……が。調べてみたら、すごく苦しいのではないか
というようなことも書かれていました。
さらに、自殺後はひどい死に様で、
片付けるのも大変だったとか。
なかなかままならないものです。

死に損なうと、病院に運ばれたのち、
「生きたい人が助かろうとして来るので精一杯なのに
生きたくもない人が運ばれてくるのは迷惑だ」
と言われるとかどうとか。


まっとうに生きようとしても生きられないから死のうとしたのでしょうに、
そこで死に損なっても面と向かって文句を言われて侮辱され。
死んだら死んだで、醜くひどい有様で、片付けるのも大変だったと侮辱され。
生きても死んでも侮辱されなければいけない人生というのは
なんなのだろうと思います。

氷河期世代のクズはろくな仕事にもつかず、
消費もせず、経済もまわさず、結婚もせず、こどもも生まず、
何の役にも立たないゴミだと世間一般に言われる像そのままに、
わたしもどうにかがんばって生きてきました。

でも、まともに暮らせる程度お金が稼げる仕事を、
と思って探してみたところで、
雇う理由がない、そんな経歴で、そんななんたらで本気で言っているのかと
面と向かって馬鹿にされて断られることもある始末。

自己責任自己責任と言われつつ、自分ががんばったところで
どうにもならないものを押し付けられながら
それでもどうにかがんばって生きてきたのに、
やっぱりだめでとうとう終わらせようとしたときに、
きちんと死のうが死に損なおうが、
かならずまた人から侮辱を受けなければいけないものなのでしょうか。

どうしても苦しくて、死に方を調べると、
「今が苦しいだけ、生きていればきっといいことがある」とか
「生きたいでしょう? 生きるにはどんなつらいことがあっても
それを乗り越えて生きるものなの」
などという内容が目に入りますが、
その感覚はまったくわからず、さらに落ち込みます。

死に損なった人に、二度とこんなことをしないでといえば、
たぶん「わかった」とこたえるでしょう。
でもそれは口だけです。
生きていてよかったという経験がある人は、
他人にその気持ちを味わわせたいし、自分も生きていたいのでしょう。
でも死のうとしている人は、もうどうしようもないし、
死ぬしかないから死ぬのです。
その状況を変えることなく生きろ生きろと言ったって、
状況が変わるわけはないのですから、
しばらくしたらまた死のうとします。

状況が変わる、誰かが変えてくれるなんて甘えるな
自己責任自己責任と、世間なり他人なりは言うのでしょう。
そんなのは本人もわかっているから、
死ぬしかないのです。
それが、失敗した人生になってしまった人の、自己責任の取り方なのです。
なのに、それを失敗したら、自己責任を取り上げて
侮辱してまた苦しみを与える人生に引き戻すなんて、
それは本当におかしな行為だと思います。

うまく自己責任で死にきっても、部屋が汚れた、
処理に手間がかかった、迷惑な死に方をしたと
散々侮辱するのなら、
部屋も汚さず、処理に手間もかからず、迷惑な死に方にならない方法を
用意してくれてもいいんじゃないかと思います。

世の中は、なんの助けもないくせに、生きろ生きろ生きろと
生きることを押し付けてきますが、こんなのは、生きる権利ではなく、
生きる義務です。
なら、死ぬ権利はどこにあるのでしょうか?
人の死ぬ権利も認めずに生きる義務だけ押し付けるなんて
信義則に反するものでしょう。

政府も、氷河期世代のゴミは
まともな職にも就けず、就けるあてもなく、収入もろくになく
消費もろくにできず、経済もまわさず、結婚もせずこどもも生まず、
将来社会の邪魔になると言うのですから、
ごみを片付けられるように処理施設でも作ればいいと思います。

麻酔でもかけて寝ている間に殺してくれて、
まわりも汚さずにきれいに死ねるのなら、
この先もう仕事も見つからず、ろくに消費もできず、
結婚もできず、命もつなげず、何の役にも立たないゴミになって
死ぬだけのわたしは、今日でも明日でも喜んで死にに行きます。

今10万円もらって一息つけるのは将来のある人だけです。
生活基盤のない人間は死ぬまでの期間がちょっと延びるだけで
なんの足しにもなりません。
それならそのお金を使って今のうちに処分してくれればいいのにと思います。

病院だってこの時期でなくとも、生きたい人を生かすので大変でしょうから
死にたい人が運ばれてきたら、治療や延命などせずに
そのまま安らかに死なせる処置をしてくれればいいのに。

苦しいことの多い人生でした。
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