わたしは間違ってた。
なんでショートショートを書こうと思ったのかも、もういい。
すごい人が時事ネタは書かないようにした、
そんなのはどうでもいいこと。
書かなければおもしろくなるわけじゃない。
面白く書けない人間は、何を書いたって面白くないんだ。
でも、そんなのもどうでもいい。
わたしは、書くと決めたから書く。
駄作なんて、わたしの日記にでもすればいい。
日記なんだから時代を刻めばいい。
ブログや日記に文学性を求めたってしょうがない。
だれかがたくさん書いたのなら、
わたしだってそれを目指してみるだけ。
誰かの決めた定義も、それはそれ。
ツョートツョートだろうと、せうとせうとだろうと、
わたしはわたしなりに書いていけばいい。
宝石自体にはなんの価値もない、ただのいしころ。
周りが価値をつけるから価値があるだけ。
ただの石だって、拾うこどもにとっては
宝物になるかもしれない。
わたしはわたしの名前の求める場所を目指せばいい。
……ということを今日、ふと閃きました。
こんな簡単なことだったなんて。
わたし自身にはなんの価値もないし、あることもない。
ただ『在れ』ばいいということに気づきました。
わたしはずっと、石を宝石にしようとして
苦しんでただけみたいです。
あはは。
錬金術師にはなれませんでした。
そしてもうひとつ気づいたのは。
わたしの人生の課題。
今まで何度もぶつかってきて、つばもはいたのに。
ただ苦しむだけ苦しまされたと思っていたのに。
それがわたしの人生の課題だろうということに、
いま気づきました。
無理やり投げ込まれる人生の逆境。
心も体もめちゃくちゃにされて、
ひたすらに苦しまされるだけの状況。
『つづけること、やめること。――どっちが勇気だろう?』
そう、律子さんの歌まじりにつぶやいて生きてきました。
でも、わたしにとって勇気なのは やめること。
いつでも未知に踏み込めなくて、
踏みにじられながら続けることだけを選び続けてきました。
けれど、今生の課題のひとつは、それなのかもしれません。
続けることは続け、やめることは自分の意思でやめる。
その課題をこなすまで、わたしの人生はきっと
おなじ状況が繰り返されるのでしょう。
これで結婚でもした日には、きっとどろどろの関係になって、
このまま結婚状態を続けるのか、それとも離婚するのかで
悩みながら暮らすのです。
なにかに祈りをささげながら、
救われるのだけを待っていてはだめだったんですね。
最後は運だとしても、まずは自分で一歩を踏み出さないと。
いつかはそのまま自分の足で
歩けるようになりたいと思いながら……
とりあえず、一歩。
とうとう、どうにか転職の準備をすることができました。
周りはやめろというけれど、正直もう限界。
この先 休みは週一になるし、残業も相変わらずほぼ毎日。
さらに神経に来る電話をとらされることになっているとか。
このままじゃ仕事に殺されます。
まあ、今後どこかに雇ってもらえるかは結局運任せですけど、
わたしとしては、一歩、踏み出す勇気をもてたことに
軽い感動も味わっています。
やめるときはなにか言われそうだし、
手続きもまだぜんぜんわからないけれど。
とりあえずは今の仕事を続けながら、
探してみるつもりです。
そしてそれほど急いでないけど雇ってくれるとなれば、
1か月くらい失業保険をもらいながら、
行ったことがない場所にでも旅行して
すこしのんびりしてみたいです。
でも最近の夢は、
ひょんなことから3億円くらい手にしちゃって、
仕事もやめて隠居生活をすることなんですけどね。
自分を見失わないでいられる仕事につけて、
普通に生活できるのが一番ですよね。
前に進むのも、後に引くのも同じ一歩
前に進むだけをよしとして、目の前に崖があるにも
関わらずに突き進むくらいなら、
遅くなっても向こう岸にいける橋を探すのがいいと思います。
(おっと、まるで今の自分に言い聞かせてるみたいになってしまった)
さっさとやめたいと思うのですが……
転職先を見つけるのも一苦労です。
周りの話を聞けば、腰掛仕事みたいなのばかりで
やりがいがないというのも聞くのに……。
わたしはそんなのを本腰入れてやりたいのですけど。