●2日目
マップでは、下から上へ行くルートです。
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昔学校で豊岡は行きましたが、ぜんぜん見た記憶はありません。
出石も皿そばを食べた程度の記憶しかありません。
最近、竹取物語の研究からはじまり、古事記をすこし読んだのですが、
そこには出石のことが書いてありました。
日本の神様が使う、伝説の神具には、十種類のものがあると言われています。
たとえば数え歌のような、呪力を持った歌に、
「ひ・ふ・み・よ・い・む・な・や・ここ・たり。ふるべ、ゆらゆらと、ふるべ」
というものがあり、ふるのはヒレであるかと言われています。
そのヒレの一種である比礼が、出石の神社には納められているそうです。
かつて行った出石にそんなものがあったなんて!
うわーっと気分が盛り上がりますが、
結果的にはそんなところは一切いけませんでした。
正直がっかりです。
ただ、そこらへんを車で走っていると、
古事記などで出た地名のようなものがちらちらと見えてくるのは
すこし興味深かったです。
それはさておき、
朝はごはんにやたらと冷たいものが出ました。
このままじゃ大変なことになりそうだという予感が色濃く漂います。
とりあえず薬を入れて、どうしようかとひやひやしていたところ、
かつて友達と行った四国旅行を思い出しました。
四国では汗をかいて体が冷え、
危なくなったところで温泉に入ったら持ち直したのでした。
そういえば家でもおなかを崩しているときに
お風呂に入って暖めるとおなか崩れが止まることもあります。
もしかすると、冷たいものを食べて体内の温度が持っていかれることで
急降下が起こるのかもしれません。
それならば、外から熱を加えて失われた分の温度を体内に補充することができれば
おなかの崩れは止められるのではないでしょうか。
ということであわててお風呂に入り、出発前に温まってみました。
出発までに汗は引かず、無駄にだらだらと汗をこぼしながらの
出発となりましたが、結果としてはその後におなかは壊しませんでした。
汗をかいた後で冷えないようにできるなら、
食べた後のお風呂というのはかなり有効のようです。
というところで、泊まっていたそんなこと有馬温泉! の旅館から出発で、
竹田城あとに向かいます。
あの、『ペルーの竹田城あと』と呼ばれる遺跡にも似た、
『日本のマチュピチュ』と呼ばれる竹田城址です。
わたしは個人的に、こういう場所とこういう呼び方が大嫌いです。
本家をないがしろにするというか、本家のいいところだけを奪って
大きな顔をするというか、その厚顔無恥さが我慢できません。
たとえば『日本のガンジー』とか『日本のキング牧師』なんて
呼ばれる人がいたとして、わたしは「それ、本人の前で言えるの?」と思います。
それと同じに、たかだか数百年前に、戦争するために作られて
投げっぱなしにされた建築物を、
はるか昔に人々が苦労しながら命をつなぎ、生活をしたという
文化、歴史をもった建築郡と比べるというその神経がたまらなく嫌なのです。
今回のパック旅行の目玉はこれだったらしいですが、
わたしは別に戦争に興味があるわけでもなく、
うちの祖先に関係ある前田家に関わるわけでもなく、
最近関心のある古代の神様に関係あるわけでもないので
別段興味はありませんでした。
でも、行くというので向かいます。
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ガイドの人は、人により「竹田じょうし」と、「竹田じょうせき」と
言う人で分かれていました。
わたし個人では、城址と城あとと呼びわけていたので、
城跡と書いてじょうせきと読むパターンは新鮮でした。
山の途中で車が終わり、実際の石垣に行くまでは山道を結構歩きました。
歩くのは結構苦手なので、暑さとつらさでだるくなり、
足が痛くなってかなりまいりました。
足に自身がない人はやめておいたほうがいいのではないか
というようなつらさです。
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今回の旅行はひたすら歩かされます。
汗だくへとへとになって戻った後は、
電車に乗ることになりました。
電車の番組や、電車の漫画で見たことのある、餘部鉄橋です。
わたしは餘部鉄橋と記憶していたのですが、
鉄橋は危ないし維持費がかかるし、ということで、
鉄橋を壊してコンクリート橋に変えたとのことです。
それにより、名前も餘部鉄橋(あまるべてっきょう)から、
餘部橋梁(あまるべきょうりょう)に変更になったとか。
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そのときは気づきませんでしたが、左の線路が旧路線を残したもの、
右のホームが新路線だったようです。
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本来は左にまで橋が架かっていましたが、
今は上の部分を切り落とし、土台だけになっています。
左下のほうに赤茶の土台があります。
その後は城崎温泉へ。
『城崎にて』という小説タイトルを思い出しましたが、
それ以外は知りません。
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ここは雰囲気がとてもよかったです。
どことなく小樽と小樽運河を思い出す町並みでした。
わたしの愛する小樽も、店員を和服にするとか、
編み上げブーツと袴を推奨するとか、
もっと大正浪漫を押し出せば絶対観光客にも受けるのにと思ってやみません。
この町は外にいくつか温泉があり、その単独温泉たちへの客足を確保するために、
旅館のお風呂は小さく作ってあるそうです。
いちいちお風呂に入るのに、旅館から外に出るというのが
出不精のわたしにはすごくめんどくさかったです。
1日目の旅館はお風呂の中に五つくらい違うタイプの場所がありましたが、
そんな感じで充分だったと思います。
旅館で一息ついたら外に出るのは本当にめんどくさかったのですが、
せっかく来たからには外のにも入らないと、と言われて外に出ました。
一度出たら仕方ないので、とりあえずいけるところを目指し、
七箇所くらいある銭湯のうち、四つか五つくらい入りました。
湯船は別段古くもなく、建物もあたらしいので、
イメージとしては普通の銭湯……というか、
日帰り入浴のスーパー銭湯的なものでした。
これが『城崎温泉』という特殊なものとして名づけられる意味は
なんなのだろうと思いました。
温泉街としての町並みはとてもよかったですが、
そこらへんだけは疑問が残ります。
昭和の雰囲気が好きな人や、すこしふるい日本が好きな外人さんには
受けるんじゃないかと思います。
旅館には下駄があったので履いて出てみましたが、
ものすごく大味なはきごこちです。
靴擦れを起こすので、あれはやめたほうがいいと思いました。
おそらく歯の位置が普通のものとは違うため、
着地から蹴り上げまでに がくっと傾いて、バランスはとりにくいし
足は疲れるし、すれて痛いし、ひどいものでした。
そんなこんなで二日目は終了です。