直列☆ちょこれいつ

最近は神社や神道などの古い文書の解読をしています。
研究のまとめはカテゴリ『自作本』から。

めげ

2018年06月23日 | ちょこのひとかけ


最近、これまでになかったくらいのめげに襲われ
とにかくめげてめげて何もやる気が出ません。

生き物は、生み、増やし、育てるために生まれてくるのだ
という話を聞いたことがありますが、あれはうそです。
ちょっと前に動物番組を見ていて気づきましたが、
群れを作る動物はリーダーだけ子作りできて
それ以外はできないルールが普通にあります。
でも子作りできない動物も群れから離れずにそこにとどまります。
動物も、別に生み増やし育てるために生まれてくるわけではないのです。

でも、こどもがいるような家庭を作るのは
幸せなことだったのだなあと思います。
いなくても、お互いがお互いの一番であるような
自分たちの家庭を作れたらよかったのだろうと思います。

わたしにはどっちもありません。
わたしはずっと、運命の導きがあると思って
そのときどきでやれることをやってきたつもりではありますが
どうもそれが盛大な勘違いだったように感じて
ものすごい絶望を味わっています。

本当に運命の導きがあったとしても、
わたしの研究がわたしの死後に評価されるようなものだったら
わたしにはなんの意味もありません。

今までは、せっかく研究したので、成果は死ぬ前に
ネットにアップしたいと思っていましたが、
別にどうでもいいということに気づきました。

アップしたところで誰にも鑑みられなければ無いのと同じ。
見られたところでわたしが死んでいれば何の意味もありません。
死後には名誉も何も持っていけません。

わたしは運命や研究などを第一に考えてきましたが
そんなものには意味がなかったのです。
せめて自分の家庭でもあれば、大事にするものも生きがいもあったのに、
そんなもの考えもせずここまできてしまいました。

わたしの人生は失敗で、修復もできません。
研究したいこともまだありましたが、
そんなの自分の首を絞めるだけで、
何の役にも立たず何の意味もありません。
やってもやらなくても同じならやる意味なんてありません。

わたしは人生を失敗してしまいました。
わたしの人生には何の意味もありませんでした。

あることがなかったら、どうやって生きていいのかもわかりません。
無為にただ生きながらえて、看取る人もなく
一人死んで腐って、死んだ後にも侮辱されるくらいなら
看取ってくれる人がいるうちに死ぬほうが幸せだと思います。

生命には生きる、という以外目的は無いと
今までなんとなく思っていましたが、
実感が強くなると、その意味の無さがとてもつらいです。

残りの人生を思うと、ただ恐ろしくてなりません。
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