ふるさと便り

南海小学校の近所をお知らせします

一慶ですが・・・

2007-04-26 21:26:05 | Weblog
以前お知らせいたしました一慶ですが、閉店しておりました。

ここでお知らせしながら、一度も入ったことが無いと言うのでは申し訳ないので、先日食べに行きました。
一見、営業中に見えますが、入り口に回ると荒れておりました。
一体何時頃閉店したのでしょうか?
結局、一慶のラーメンを一度もいただく事が出来ませんでした。

ご報告でした。
だから何だって言われても困りますが・・・

飯塚剣道具店

2007-04-25 23:45:31 | Weblog
画像は、飯塚剣道具店です。
とても古いですね。
先代の頃から親子でお世話になっております。
どなたかこのお店を守ってくださる方はいらっしゃるのでしょうか?
決して無くなって欲しくない大事なお店です。

この辺の剣道少年・剣道少女は、誰もがお世話になっていると思います。
お店の中の独特の和の香りが好きです。
(私、変態ではありませんよ、キッパリ!)

平さんのお店

2007-04-23 22:42:38 | Weblog
画像の店は、南海小学校の皆様が使うより、慶応の学生が多く使っていますね。
美味しいですよ。
イタリアンです。
音楽好きの平さんが、粋なお母様と切り盛りしていらっしゃいます。
たまに美人の奥様も登場しながらね。

何年かご無沙汰していますが、この赤・黒の看板は、今も元気に輝いております。
場所は、芝税務署と慶応大学の中間くらいです。
店に流れる曲は、平さんの好みですよ。
良い曲を流していると思います。

静けさや

2007-04-22 23:51:23 | Weblog
旧南海小学校をスルーして選挙の投票に行ってまいりました。

街も静けさを取り戻しております。
芝公園の緑が萌えています。
梅雨の前の今頃がいいですね。

区議選

2007-04-21 10:24:32 | Weblog
ズラっと並んだ区議会議員候補の顔ぶれです。
地元に長く住んでいますと、知り合いも増えます。
某政党の皆さんに関しては、全員知っているかもしれません。

私、たまに選挙の応援をします。(させられます)
去年は、某大臣を乗せて選車を運転させていただきました。
大臣が乗ると後ろからSPの車がピッタリ付いてきますから変な緊張があったりします。

区議の方々とお付き合いが増えて来ますと、言い方は良くありませんが、有能な方とそうでない方の差はわりとあるように思えてきます。
こればかりは、どこの地域でも同じですね。
各地域の代表が一度決まると、その方が延々とそこの地盤を引き継いで行きます。
地元民も応援すれば「何か良い事あるかなぁ~?」なんて思ってしまったりしています。
スケベ根性?って奴かもしれませんが、ほのぼのファミリーですね。

また、政党別の顔もハッキリ出てきます。
敵陣営の選挙事務所を通過する時は、「○○候補、事務所の前を失礼します」とか「お互い頑張りましょう!」と、ウグイス嬢が、義理と人情を見せたりします。
敵陣営も我々に手を振ってくれます、普通は。
心の中はどうあれ、大人のお付き合いをします、普通は。
街中で選車が出会っても同じですね、普通は。

しかし、しかし・・・
某政党だけは、違いますよ。
かたくなに相手を無視をします。
チョット、チョットチョット!
子どもの喧嘩じゃないのですから、ご挨拶しましょうよ。
彼らは、自分の党以外に対して、敵意を剥き出しといったところでしょうか。

最初は何故か分かりませんでしたが、昔から同じのようです。
小学生の運動会の応援合戦でも、相手にエールを送れば敵チームは拍手を返します。
某政党ったら、敵のエールを無視する事が、彼らの美学なのかもしれません。
人の気持ちを思いやる革新政党のハズなんですけどね。

選挙運動に縁の無い方々が殆どだと思います。
一歩中まで足を踏み入れると興味深い事に多々出会えます。

明日の投票には、行きましょうね。
私は、有能な人に投票してきます。

今日のタワー

2007-04-20 09:47:19 | Weblog
東京タワーは、我々が南海小学校に入学した頃に完成だったと思います。
青春ドラマ風?に言えば、入学からずっとタワーに見守られていたわけですね。

今日のタワーも綺麗でしたよ。
飽きずに撮ってしまいます。
いつも三田通りからの撮影です。

今は、選挙カーの音声が響き渡っています。

修学旅行

2007-04-19 10:52:27 | Weblog
南海小学校に限らず、港区立の小学校は箱根に行ったと思います。
おそらく現在もそうだと思います。

私が生まれて始めて見た濃霧は、箱根でした。
視界に入って来るのは、真っ白な霧だけ。
大人になって車で箱根を走り、修学旅行を思い出しました。

今では、伊豆の濃霧を走っても那須の濃霧を走っても、私の頭の中では箱根の濃霧を思い出します。
子どもの頃から、多方面にわたる多くの情報を持っているって良い事だと思います。
全ての基準は、経験からですからね。

明宮殿下御成記念碑

2007-04-18 10:07:54 | Weblog
ちょっと話題になったひょうたん池の隣の石碑。
よくよく見ると『明宮殿下御成記念碑』とあります。
大正天皇が、お見えになったのですね。
南海小学校を卒業してから40余年も経って知りました。
まったく罰当たりな私です。

面白いサイトがありましたので転記させていただきました。(下記)
どこまでが真実かはわかりませんが、大正天皇のお人柄が見えてきます。


明宮嘉仁(大正)天皇

嘉仁(大正)天皇ほどその存在が希薄な人はいないでしょう。
幼き頃より病弱な事が「力強き元首」のイメージを損なうとして
元老や近臣から煙たがられ、
しいては病状の悪化をわざと表面化させ政務が困難になったと言って
人格そのものを無視されてしまいます。

 ところが、嘉仁天皇は自由闊達で人間味あふれる人物でした。
御学問所での詰め込み教育への反発、有栖川宮や大隈重信、
原敬といった人達との自由な交流、
皇太子時代には体力が優れないにもかかわらず全国を歴訪し、
民衆と接する時も他愛もない普通な会話を楽しみ、
皇后である節子妃(貞明皇后)のピアノ演奏に合わせて
親王宮たちと一緒に唱歌を楽しむ様子は
まさしく「人間・天皇」を先駆けた姿といえます。

 しかし、「天皇制」というシステムは嘉仁天皇の優れ持った感受性を否定し、
また天皇も自身の性格を変える事を拒んだため、
ストレスが病弱な身体をさらに害していったのです。

 嘉仁天皇の死後、節子皇太后は朝夕必ず嘉仁天皇の画像がある部屋に入っていたと言います。
午前中のほとんどをこの部屋で「生ける人に仕える様に」過ごしました。

 夫の命を縮めた「天皇制」というシステムへの無言の抵抗がそこには映し出されてはいないでしょうか。

南海小学校校歌

2007-04-17 03:22:19 | Weblog
南海小学校の校歌は、今でも歌えます。
歌詞を見ずに歌えます。

とても深い歌詞だと思います。
私なりの訳も書いたのですが、何故かアップ出来ませんでした。
書き直す気力がなくなってしまたので体力が回復したらまた載せます。

西郷南州(隆盛)と勝海舟の名から南海小学校と名付けられました。
大きな名を背負っているわけですね。
歴史を感じます。

ひょうたん池

2007-04-16 06:14:11 | Weblog
画像は、裏庭にあったひょうたん池の横にあった碑です。
一体何が書かれていたのでしょうか?
全く興味がなかったので知りません。

碑を囲んで、懐かしい顔が並んでいますね。
慶ちゃん以外は、今でも仲良くお付き合いさせていただいております。