ななたすはち(改)

BL小説家御堂なな子の日々の雑記と、たまにお知らせ。

遅れ馳せながら。

2013-02-01 01:12:46 | 雑記






2013年になりました。 
年明けすぐからいろいろあって、すっかりブログもご無沙汰に・・・。
やっと落ち着いたので久しぶりにここのエディタを開きました。
新年初の日記ですが、しんみりした話題です。
楽しい話ではないので、苦手な方は無視してください。




長らく臥せっていた祖父が亡くなりました。
92歳の大往生でした。
夜中の一時過ぎに鳴る電話なんて、大概嫌な予感がするものです。
案の定、父親からのそんな連絡でした。

お正月に帰省した時、入院中の祖父に会いに行く予定でした。
でも、万一ノロウィルスを持ち込んではいけないということで、
面会やお見舞いは控えてくれと言われ、会えませんでした。
もしかしたら、このまま祖父に会えないかもしれない、と、思いました。
こんなに早く、自分の予想が現実になるとは思いませんでした。

父親から連絡をもらった後、すぐ飛行機のチケットを取って、
喪服を鞄に詰めて、通夜に間に合うように自宅を出ました。
前日まで風邪で寝込んではいたものの、何とか体は動きました。
羽田空港が雪に埋もれたあの日です。
東京は雪に弱く、全ての交通機関が麻痺していました。
飛行機から新幹線に手段を変え、やっと東京を出発できたのは、夕方6時前。
切符売り場の大行列を耐えても、
7時から始まる通夜には到底間に合いません。

延々と新幹線に乗りました。電車にも乗り継ぎました。
飛行機なら十分の一の時間で行けるのに。
私の実家はあまりに遠く、その日のうちには辿り着けませんでした。

お葬式が始まる2時間前に、斎場に滑り込みました。
既に棺の中で眠る祖父は、小さくなってはいましたが、とても綺麗な顔をしていました。
皺が少なく感じたのは、納棺師の方のお仕事でしょうか。
ありがたいと思いました。

かわいがられた孫なのに、通夜に間に合わなかった私を、両親も親戚も責めませんでした。
遠いから仕方ないよ。来るだけでも大変だもの。
気遣ってくれる人たちの言葉を、耳半分で聞いていました。

葬儀が始まり、読経が響き、親族として焼香を済ませます。
棺の中を花で満たすまでは、冷静でした。
棺の小さな扉を閉めて、霊柩車で火葬場へ。
でも、リフトのようなものに乗せられて、とても機械的に最期の場所に運ばれていく祖父を見て、
何とも言えない、申し訳なさが私の中に湧いてきました。

ほんの二週間前の正月、おじいちゃんに会いに帰ってたんだよ。
通夜の前日に出発すればよかったのに、風邪なんかひいてて。
あんなに雪が降ると思わなくて、私はおじいちゃんから遠い場所で、
欠航になった搭乗機から降ろされて、荷物が出てくるのを二時間も待ってた。

祖父と言葉を交わすチャンスも、通夜も、ずれてしまったタイミングは元に戻せませんでした。
最期に孫らしいことができなかった私は、祖父に謝りながら泣きました。
両親も親戚も、私が泣いたのを見たのは初めてだと思います。
恥も見た目も気にせず、声を上げて泣くのは、もう当分ないでしょう。
ただ祖父に申し訳なく、自分が情けなく、今もやりきれない思いが残っています。



本当に今日は暗いブログですみません。
何かで吐き出しておかないと、しんどかったので。
次の日記からは普通に戻ります。
今年もどうぞよろしくお願いします。