私に生まれた私にしかできない話~難を活かして使命を築く~

網膜色素変性症という、いつ失明するか分からない難病と闘っているさなか訪れた突然の別れ。私には伝えたい事が沢山ありました。

夢の国ですら夢を見られない私

2024-04-28 01:33:09 | 日記
私は、夢の国が嫌いだ。
 


その賑やかな光景をテレビで見ているだけでも目を背けたくなるし、避けたくなってしまう。



おそらく私が最も苦手とする場所と言えるだろう。



万人が無条件に夢を見られる場所ではないという事だ。



私には視覚障害があり、もう大抵のものが見えなくなってしまった。



障害に休みなどなく、そんな夢の国ですら、容赦なく現実を突きつけられるのだ。


だから私にとっては、現実を痛感させられる、泣きたくなるぐらい逃げ出したい場所。



人々の歓声や熱気が、更に私を孤立させ、たちまち来た事への後悔の念と恐怖で埋め尽くされてしまうのだ。



そんな私でも、生まれた時から見えなかった訳ではない。



どちらかと言うと、思ったらすぐに行動に移してしまうようなタイプだった。



テーマパークに行けば親に繋がれていた手を振り払い、一目散に駆け出していくような子で、よく2こ上の兄が心配して私を連れ戻しに行っていたと親に聞かされている。



小学生の頃にはすっかり乗り物にも慣れ、よく1人で1時間ほど離れた従兄弟の家に泊まりに行っていた。



近くに楽しそうなものができたと知れば、クラスメートと出かけたりもしていた。





中学生、高校生の頃には更に行動範囲も広がり、門限も忘れるぐらい友達と夢中になって遊んでいた。








それが社会人になる頃には、


暗い所ではモノにぶつかるし、段差に気付かず転びそうになるし、落としたお金もすぐに見つけられない。



なぜこうなるのか分からない漠然とした不安と、何かがどんどんおかしくなっているような胸騒ぎにも似た感覚。



自分でもその異常さに日に日に気付き始めていた。



それでも現実を受け入れる勇気が持てず、しばらくは気付かないふりをしながら必死に抗っていた。




家族にすら秘密にし、一層遊びに夢中になる事でその事実を思い出さぬよう気を紛らわしていた。



私には、確信があった。
おそらく、そう言われるだろうという。




あとは腹をくくって家族に話し、病院に行くだけだった。



周りからの助言もあり、ようやく観念した私は、母の通う大学病院を受診する事を決めた。




すると案の定


私も、母と同じ「網膜色素変性症だ」と告げられた。



予想が的中した。



しばらく動けなかった。






頭の中が真っ白になった。





覚悟はしていたつもりだが、やはりショックだった。




21歳の時だった。








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