武蔵国 忍城 <オシジョウ> | ||
別称 | 忍の浮き城、亀城 | |
城郭種別 | 城郭 | |
縄張り | 輪郭式平城 | |
築城者 | 成田親泰 | |
築城年 | 1490 | |
廃城年 | 1871 | |
主な城主 | 成田氏 | |
指定史跡 | なし/不明 | |
住所 | 埼玉県行田市本丸 [Google] [地理院地図] | |
城址碑 | あり | |
現地案内板 | あり | |
スタンプ | 行田市郷土博物館 09:00-16:30(月曜定休) | |
現存建造物 | 北谷門(移築)、城門(移築)、門(移築) | |
復元建造物 | 櫓、模擬門 |
概要
忍城は文明10年(1478)頃 成田顕泰により築城された「守り易く攻めにくい」難攻不落の名城であったと伝えられている。天正18年(1590)豊臣秀吉の関東平定の中で戦われた石田三成による忍城水攻めにも耐えこの城は水に浮くのかと恐れられ「忍の浮城」とも称されたという。寛永16年(1639)時の老中 阿部忠秋が入城し忍城大改築に着手 孫の正武の代にいたり忍城御三階櫓の建設城門土塀の修築などが完成し面目を一新したという。文政6年(1823)伊勢の桑名から松平忠堯が移封し忠誠のとき明治維新を迎えた。市では維新後とりこわされていた城郭の面影を再建し永く後世に伝えることになった。
※現地看板より
忍城櫓の石垣
城内にあった櫓に使用された石垣。
元禄15年(1702)に三階櫓1棟、二階櫓2棟が建てられたが、明治6年(1873)の廃城により解体された。
※現地看板より
伝進修館表門
この門は、行田市城西の旧芳川家表門を移築・復元したもので、かつての藩校「進修館」の表門であったと伝えられている門です。
一間一戸、高麗門、切妻造、桟瓦葺で、当初は赤彩された赤門であった可能性も指摘されています。また、解体時に発見された冠木柄表面の墨書銘から、天保3年(1832)に御奉行後藤五八、大工町世話方宋兵衛等によって建立されたことが判明しています。戦災によって一度移築されていることなどから、藩校「進修館」の門であるのかは確定していませんが、現存する行田市唯一の武家屋敷の表門として貴重な歴史的建造物であると言えます。
※現地看板より
行田市郷土博物館
御三階櫓
忍城の鐘
2016/4訪問
周辺地図
※ 当サイトの地図は、主郭等の城の中心部にロケーションを置いておりますのでご注意ください。
※ 城址等は、私有地になっている場合もありますので、有権者の確認を行うなどをし他の人の迷惑になるような行為はやめましょう。
※ 自分で出したゴミは、家に持ち帰り処理を行うようにしましょう。
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