てっちゃんの生活鉄道

鉄道を通して育児、仕事を楽しくこなす

スーパームーン鑑賞会

2014年09月09日 20時40分14秒 | これも全部三重なんです(特別急行列車)

昨日は月見団子も手に入らず、夕食前に外へ月を見に行っただけなので、今日は家族揃って安濃川まで夕食後に出掛けて行きました。

幻想的でした


9/9でこのブログも皆さんのお陰で5年になりました。今まで本当にありがとうございました。

2014年09月09日 00時00分00秒 | 家族で鉄道(生活鉄道)
このブログを始めまして、今日で5年になりました。

最初は紀勢貨物の観測からブログが始まりました。

原色や赤や青

釜番で色に違いがあり、コンテナを牽く力強さは朝から魅了されました。まだ、駐車場が砂利でフェンスや防犯装置もなく、憩いの場でした。

この子らも時代を経て、幼稚園、小学校と

大きくなりました。教育費が嵩みます。

乗り鉄も随分減りまして、目の前を通る
白いあの子や

赤いあの子が、唯一まだ現役でいるので励みです。

踏切を通過していく時は気になって

きっと成長を見守っているよ。

稲穂がたたわに実る秋からブログを始めたのは、きっと朝早くから照り始めた太陽が秋分の日で秋の夜長と入れ替わるため、過ぎ去る夏に別れを告げたくなかった。いつもほぼ同じ時間に通過していく貨物は目覚まし時計の役割を担ってたんだ。
小学校への道すがら見送る列車は名古屋行きのアーバンライナーになってしまったけれど、5つの気動車は幼稚園の開門に合わせて登園したお知らせでした。今では通勤のタイムリミットを知らせています。
次の稲穂がたわわに実る頃に、白や赤のあの子たちが、まだ紀勢線にいたらそれは最後の合図。貨物と機関車が去った今、このブログを続ける唯一の原動力。白や赤のあの子たちが引退して、新しい銀色の子がやって来たら、このブログの終わりを告げるかもしれない。
そう、踏切辺りを走るの鉄道が変わっていくように、子どもたちも大きくなり、生活鉄道を開業した今日を節目として終了すれば、毎日続けなくてもいいし、
明日からまた違うことに着目していけばいいと思いました。しかし、自分の生きた証に記録してきたものでもあるので、いつか終えるのであれば、第1日目に登場した子どもたちが、大きくなり生活鉄道から離れていくまで、細長く続けていきたいと決心して頑張って参ります。