城あれこれ

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足助真弓山城

2011-12-06 | 訪城
戦国時代の山城を発掘調査し本格的に復元した城跡公園です。



足助真弓山城。所在地は豊田市足助町真弓。
足助支所前の国道153号線から西町交差点を国道420号側へ入り約500メートル行き足助城の案内に従い左折します。山を登ること約1キロで駐車場に着きます。お城の近くまで登れ助かります。

 

ひさしぶりの訪城です。中世山城を本格的に復元したということで賑わいをみせた足助城ですが、このところは観光的には苦戦しているのでしょうか。雨上がりのあいにくの天気でしたが、閑散としてました。

受付を通ってさっそくお城へ向かいます。

 

堀切を越え南の丸下あたりへ。やってきました復元された中世山城。物見台を見上げイメージを膨らまします。素朴な施設ながらも、高低差が守りの堅さを思わせますね。さて、左に回りこみながら見学を進めます。

説明が丁寧についています。南の丸腰曲輪には「小さな建物があったようですが、よくわかりません。」ちょっと弱気な解説にも思えますが、誠実な姿勢なんでしょうね。雨が上がったところで紅葉もきれいでした。

 

西の丸腰曲輪です。西の丸を見上げると高低差を感じます。

 

そして西の丸です。曲輪の柵は倒れ掛かって鎖で補強されていました。山の上でまともに風雨にさらされるわけで、年月に耐えるのは大変です。曲輪の奥には物見櫓が復元されています。

 

跳ね上げの門をくぐって南の丸です。

 

南の丸には建物が復元されています。台所機能があったところのようでカマド小屋なども見られます。建物は、けっこう曲輪いっぱいに建てられていたようです。狭い土地の有効利用なのでしょう。

 

しかしカマド小屋は少し傾いているように見えましたし、南物見台は補強された新しい木の部分も見えます。平成のはじめに復元され20年ほどが経ったわけですが、山城の辛さを考えました。当時にしても補修しながらの山城施設だったはずで、木の腐りの問題もありまし、山のてっぺんで風雨にさらされての年月は大変なことだったでしょう。

平成の足助城はどうでしょうか。予算切れ、お金の工面がつかなくて補修できず落城、そんなことがないようお願いしたいものです。

 

建物の上の石といい、同じ屋根ばかりにしてないのが、凝っています。

南物見台の先には鶏足城が見えます。もっとも、そう言われてもよくわかりませんし、物見台にも登れません。真面目に復元されてますが、ちょっとこういうところで遊び心が不足していると言うか、楽しみが少ないです。もっと楽しく、お客を呼ぶ工夫も、これからはしていかないといけないのかもしれないですね。

 

いよいよ本丸です。高櫓と長屋があります。

いいですね。高櫓は近世城郭の天守にあたる建物です。ここへは上がれます。以前はボランティアガイドの小父さんがいて説明していましたが、誰もいませんでした。

正面には本城がある飯盛山が見えます。飯盛山の標高は254メートルと真弓山より50メートル程低いので見下ろす格好になります。紅葉とうっすらと雲がでていていい雰囲気でした。足助の町並みも見下ろせます。

 

北腰曲輪を見ながら帰路に着きます。

紅葉がきれいでした。

城めぐりには紅葉渋滞は頭の痛いところですが、紅葉見物の方には是非足助城にも足を運んでいただいて、せっかく愛知ふるさとづくり事業やふるさと創生基金ではじめられた本格的復元である中世山城の足助城を尻すぼみに終わらせることなく応援して欲しいと思いました。

 

【概要】
所在地:愛知県豊田市足助町真弓
築城年:15世紀
築城者:鈴木氏
形式 :連郭式山城(標高301m比高170m)
現状 :史跡公園(1993年5月開城)、山林
遺構等:復元櫓、曲輪、土塁、堀切、井戸、案内板
入城料:大人300円(9:00-16:30)

【歴史】

 足助城は、標高301mの真弓山の山頂を本丸として、四方に張り出した尾根を利用した、連郭式の山城です。真弓山は、足助の町並みを眼下に見下ろす要害の地です。
 足助城は、「真弓山城」とも呼びますが、「松山城」「足助松山の城」とも呼んだようです。鎌倉時代に足助氏が居城したという、「足助七屋敷(足助七城)」の一つとも伝えられますが、今回の発掘調査では、この時代の遺物は発見されず、現在残された遺構は、15世紀以降に鈴木氏が築城した跡と考えられます。
 鈴木氏は、戦国時代に西三河山間部に勢力をもっていた一族です。そのうち、足助の鈴木氏は、忠親→重政→重直→信重→康重と5代続き、初代忠親は、15世紀後半の人といわれます。16世紀に入ると、岡崎の松平氏との間で従属離反を繰り返しますが、永禄7年(1564)以降は、松平氏のもとで、高天神城の戦いなどに武勲をあげています。
 そして、天正18年(1590)康重のとき、徳川家康の関東入国に従って、足助城を去りますが、間もなく家康から離れ、浪人したと伝えられます。
(パンフレットより)

【地図】


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