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城あれこれ

お城を紹介します

斎宮城

2011-11-23 | 訪城
線路脇の竹神社がかつて野呂三郎が築いた城砦の跡地です。



斎宮城。所在地は明和町斎宮字牛葉。
近鉄山田線の斎宮駅近くです。東の踏切を南に渡った交差点が竹神社前。この角が竹神社、斎宮城です。竹神社の西側が駐車場になっているようですが、入口が狭いので進入には気をつけてください。

 

道路沿いはこんな様子です。竹神社の鳥居です。静かな雰囲気ですが、これというものはありません。何もないのに、碑、説明板があって、城跡と識ることができてよいです。

神社の前はこんな石垣があります。神社を囲む感じはいいですね。もとの城砦の土塁かなにかがもとで石垣になっているとしたら嬉しいですが、それは考え過ぎでしょうか。

 

【概要】
所在地:三重県多気郡明和町斎宮字牛葉
築城年:弘治年間(1555-58)
築城者:野呂三郎
現状 :竹神社
遺構等:碑、説明板

【歴史】
室町時代斎宮の住人野呂三郎がここに城砦を築き勝手に徳政を敷き狼藉を働いた。国司北畠材親(きちか)は之を討伐した。(説明版より)

【地図】

阿坂城

2011-11-11 | 訪城
籠城軍が白米を馬にかけて欺き敵軍を撃退した話が有名です。



阿坂城。所在地は松阪市阿坂町桝形。
伊勢自動車道の一志嬉野インタを下りて県道を伝い南下、浄眼寺を目指す。ここには駐車場と登山口があり、案内もあります。ハイキングコースになっているようです。

 

道は整備されてて歩きやすいです。途中に簡単な案内もあり迷うことはありません。40分ほどの歩きです。

 

まず見えてきたのは椎ノ木城と呼ばれる北城。あがってみると細長い曲輪に土塁がわかります。ここから白米城とよばれる南城が見えます。プリンの型抜きをしたような切岸と削平地、城址碑が印象的です。

 

もっともこの北城もかなりの切岸状になっています。

 

さて白米城、南城です。ここが阿坂城本丸というべきところでしょうか。北城より若干登った、少し高く感じました。高さは15m程とのことです。

 

上の削平地は25m×30m程。少しおにぎり型をしたような円形でした。土塁はなかったようで、切岸状の斜面と高さが防御のポイントだったのでしょうね。

ここは眺望もいいようです。が残念ながら登城した日は曇ってました。出城とされている国指定史跡の枳城、高城城も見えるはずですが、何となくあのあたりかな、という程度しかわかりませんでした。

 

【概要】
別名 :椎ノ木城(北城)白米城(南城)
所在地:三重県松阪市大阿坂町桝形
築城年:建武2(1335)
築城者:北畠親房
形式 :山城(標高321m比高250m)
現状 :山林
遺構等:曲輪、土塁、堀切、碑、説明板
その他:国指定史跡

【歴史】
阿坂城は南北朝争乱時の城です。守る南朝北畠氏と北朝足利幕府軍との戦いで、よく知られているのは応永22年(1415)に篭城して迎え撃つ場面で、水断ちにあい、まだ大丈夫、水は豊富にある、と馬の背に水を流して見せた話が有名です。

時代は下って永禄12年(1569)織田信長の伊勢侵攻により、木下藤吉郎軍に攻められた城主北畠氏家臣大宮入道含忍斎は落城し、廃城となりました。

【地図】