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天国を思う

2014年03月02日 | 牧師室より
2014年3月2日

 飛行機やリニア新幹線、Eメールや携帯電話、ゲーム機器が出現し、私たちの時空間の感覚が、驚くほど変わってきたように思われます。
時には現実の時空間と仮想世界の境界線が混乱することさえ生じます。実際さまざまな社会現象を生み出しています。完全なアナログと蒸気
機関車の時代を経験してきた者には、隔世の感があります。

 しかしどんな移動のための交通手段や通信方法の発達・進化よりも、はるかにまさったものがあります。それは人の感覚・感性そのものです。私たちは瞬時にして50年前の思い出を呼び起こし、かつて訪れた遠い外国の情景を目の当たりにすることができます。さらにいろいろ
な人たちの心のひだに触れ、寄り添うこともできます。

 そこでは人としての感覚・感性の大切さが問われます。認識上の真・倫理上の善・審美上の美、いわゆる真善美が、人間性の問題としてあげられます。私はさらに真の神の前に立つ者としての神への畏れ、聖への感覚の大切さを思います。善にはいとおしく思うおもいとしての愛
を含めることもできるでしょう。人間力とは、真善美と聖への感覚・感性そのものではないでしょうか。

 しかし人間の神への離反・背信によって、これらのものは腐敗・堕落し、その能力を損なってしまいました。主イエスの救いはその回復でもあります。主の御霊が、私たちの中に、古き人に代わって新しい人を再創造してくださっています。しかしこの世にあっては、いまだ再創
造の御業は未完成です。

 天の御国に入れられた時には、「わたしたちは、今は、鏡におぼろに映ったものを見ている。だがそのときには、顔と顔とを合わせて見ることになる。わたしは、今は一部しか知らなくとも、そのときには、はっきり知られているようにはっきり知ることになる。」(コリントの信徒への手紙一13:12)のです。
 
  大会発行のリジョイス3月号で吉田実先生が、有名なレオナルド・ダ・ビンチの「最後の晩餐」を解説しておられます。「レオナルドはこの『最後の晩餐』の中の主イエスの顔を最後まで完成させることが出来なかったのです」、「その美と天上的な優雅さを思い描くことも出来ない」と言われます。大天才のレオナルド・ダ・ビンチにしてこうであります。まして私には、主イエスの愛・聖さ・恵み・御威光を語りつくすことはできません。

 同様のことは天の御国についても言えます。ヨハネの黙示録を学んできました。とくに21.22章は、天国の栄光・幸い・めぐみ・歓喜を、なんとかして人の言葉で語ろうとしています。しかし私たちが実際、天国に招き入れられ、一切を目の当たりにしたときには、あまりの素晴らしさに仰天するばかりでしょう。主イエスの愛・聖さ・恵み・御威光も、天国の栄光・幸い・めぐみ・歓喜も、今の私たちの思いをはるかに超えています。この世にあっても、信仰力を与えられ、さらに優れたものを仰ぎ見ることが出来るよう祈り求めていきましょう。
 

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