HC名古屋 気まぐれ日記

HC名古屋ってどんなチーム?選手が様々な角度から教えます!

退団者挨拶

2016年04月17日 | ブログ
みなさん、こんにちは。
№10上野(ジョウ)です。
先日、個人的に公表したSNSでの内容と同じ文面となりますが、ご了承下さい。
この文章に私の想いが詰まっています。

この度、2008年より在籍したHC名古屋から退団しました。
…引退となります。
本来であれば、直接、対面でご報告すべき事なのですが、様々な事情もあり、こういった形での報告となってしまったこと。
今まで支えて下さった沢山の方々に対しても、会場等でもいつも声を掛けて下さった方々にも…その他、沢山の方々には本当に申し訳なく思います。
この場を借りてお詫び申し上げます。

私が在籍させていただいた約8年2ヶ月。
長いようですごく短く、あっという間だったなぁ。と感じています。

短大を卒業する前から合流させていただき、早くからリーグも経験させていただきました。
成人式も出ず、チームで合宿をしていたのを覚えています。
あの頃は人数も少なく、練習では、3:3、4:4がギリギリ出来る状態で、怪我人が出たら試合もできるかできないか。ぐらいの状態の時もあったと思います。

その当時からHC名古屋は負けてばかりでした。
私が入団する前から勝った試合を観た事はなかったですが…
中学生の頃、西京極の体育館で始めて日本リーグを観戦しました。
HC名古屋vsオムロンでした。
中学生のペーペーの私が観た日本リーグの試合は迫力があり、すごく憧れました。
一番覚えているのは、オムロンさんの投げ込みのサインボールをゲットして大喜びした事ですかね…(笑)
その当時から試合に出ていた方と同じチームでプレーし、オムロンさんも対戦することになるとは思ってもみなかったですが…。

中学でハンドボールを始め、まさかこんなにハンドボールを続けるなんて想像もしていなかったです。 何でも三日坊主の私がここまでハンドボールを続けてこれた事。
心の底からハンドボールが好きだったんだな。と。
そして、自分には、ハンドボールしかないんだと自覚していたからだと思います。

正直、何度も辞めたいと思いました。
辞める辞めると言いながら、しぶとく残っていました。(笑)

そして年数が経つにつれ、「想い」は変わりました。
当初は、負けっぱなしのチームとわかっていたので、正直、勝ちたいって思うことは少なかったです。
しかし、年を重ねる毎に「勝ちたい」と強く思うようになりました。
2012~14年の2年間、副キャプテンを経験させていただきました。
その時から、チームや個々の意識を変えることの難しさには心が折れそうでした。
最後と決めた2015年のシーズンは、何の役職も無く、ベテラン選手という位置づけだったのかな?
スタッフではないけれども伝えないと。と思ったことは逐一、伝えてきたつもりでした。
ただ、口下手で話がまとまらず、それに加え話が長いという短所が私にはあるので、なかなか伝わらなかったんでしょうね。
後は、、、頑固だからですかね。。。
厳しさを求める私には、正直チームにとっては、浮いた存在だったように思います。
スタッフではない私は、なんの影響力もなかったかもしれません。
自分自身も、言って後悔した事、何度もありました。
ただ…言わずに後悔した事も沢山あったので、言わないぐらいなら言って後悔しようと思い、言い続けました。 選手にとっては、うるさいオバさんだったと思います。
チームにも疑問や考えを伝えれば伝えるほど、距離を置かれるようになったなぁ。と感じた時もありました。

たとえ嫌な顔されても有言実行!って自分で言い聞かせながらやる。
わかる人にはきっと伝わるはずだと信じて過ごしてきました。
副キャプテン2年目のシーズンには、率先垂範で大嫌いなフットワークも先頭に立つ事で模範になれば、気持ちを表すって言うなら自分が行動で示さなければ。と考え行動してきましたが、人の気持ちや意識を変えることはそう簡単ではありませんでした。

自分自身、昔からすぐに表情に態度が出てしまう悪い癖もあり、高校の時に何度も干されたのに大人になってからもその癖は直りませんでしたね。
それが、チームの雰囲気を壊す原因にもなっていたんでしょうね。
ごめんなさい。

いつの間にか上の先輩方が引退等でいなくなり、私が1番上になる日が来るとは思ってもみなかったです。
チームも若くなり、私よりも先に辞める子もいて、入れ替わりは沢山ありました。
クラブチームなので、毎年毎年、顔ぶれが変化するのは悲しいですが当たり前です。
それでも勝てなかったのは事実です。
思い返すと、頭を下げてばっかりの8年間だったな…。と。
この8年間で沢山の出会いもありました。
私自身、人見知りな事もあり、あまり積極的にしゃべる方ではなかったですが、今シーズンは沢山の方とお話しする機会があり、色々な話をしました。
クラウドファンディングをきっかけに、チームに関わってくださった方々も、もっと早くに出会っていれば…と思える方も沢山います。

まだできるじゃん!と言ってくださる方も沢山います。
しかしながら、膝の手術も何度も経験し、体はボロボロです。
体以上に心が疲れたのが正直な気持ちです。

チーム自体は、私がいてもいなくても存続しています。
今シーズンは、指揮官が変わり、雰囲気もきっと変わるはずです!
人数は大分減ってしまいましたが、即戦力だと勝手に私が思っている新人も入り、新生HC名古屋は今シーズンこそ最下位脱出を目指し、奮闘します!
私がチームに対して出来ることは、微力ながらも活動費の一部になるので、会員になる事と、リーグの運営のお手伝い、人が足りないって言うなら仕事の都合がつけば、練習に参加する事ぐらいになりますが…。(要請があった場合のみですが…笑)
変わりたいと言っている選手も沢山います。
そういう子達の為に自分が出来ることは精一杯する事が、残った子達に対しての最大限の支えになれば…という思いです。

今シーズンが「変革」のシーズンとなるよう、OGとして見守りたいと思います。

相変わらず、長々と書いてしまいましたが、今後もHC名古屋をよろしくお願いします。
そして、8年2ヶ月の間、私をHC名古屋の選手としてチームに受け入れてくださった関係者の皆様、そして、私を応援してくださった沢山の方々、本当にありがとうございました。
きっとまたホームゲームの会場やどこかでお会いする事もあると思いますので、気軽にお声掛け下さい。

本当に…
ありがとうございました!

2008~2015年在籍 上野 愛美(ジョウ)

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こんにちは!
皆さま、お久しぶりです。

昨シーズンをもちましてHC名古屋を退団させて頂くことになりました。
NO.7細田英子(ばず)です。

お世話になりました皆様に。
オフィシャルな場でご報告できず、ブログでの報告になりまして、申し訳ありませんでした。

そして5年間チームに在籍させて頂き、感謝の想いをここに込めて書きます。

中学の頃からチームを知っていて、体育館をお借りしたり、試合・合宿をした時には偉大なOG方と練習や試合もやらせて頂きました。
日本リーグの試合の観戦をして、サインをもらいに行ったりと。
ブラザー体育館にはとても縁がありました。
キラキラと輝いてプレーしている選手を見ていた自分がその舞台に立ち、日本リーグでプレー出来た5年間は、私にとって本当に財産となりました。
子供たちに夢を与え未来を築いていくというチーム理念があります。勝つことが少ない私達は示しがないと言われても仕方ありませんが、日本リーグという舞台に立つことや幼稚園児から中高生たちとのスクール活動で一緒にハンドボールをすることもとてもかけがえのない時間でした。
とはいえ、自分自身がプレーしている以上もっともっと勝ちたかった。2013-2014シーズンでチームが4年ぶりに勝ちをつかんだ歓喜をもっとファンの皆さんと味わいたかったです。
昨シーズン連敗を阻止できずにシーズン終えたことは納得いってませんが、出した結果もすべて私達自身の結果です。ですが、とくに最後のシーズンでチームキャプテンという役割を頂き、携われたことはキャプテンを通して私の中で成長を記す1年となりました。リーダーシップって何だろうとかチームがまとまるには、気持ちを1つにするには、本当にたくさんの事を考えることを与えてもらえたと思うし、もがき、学び、ぶつかり、支え支えてもらいで戦いきることができました。
チームへの支援、応援をして頂いた皆さまがいたから、ホーム戦・名古屋での試合時にスムーズな運営をする為に多くの関係者方がいたから、頼りない私だったけどメンバー全員がいたから、理解ある職場の方達が定時にあがるように気を遣ってもらったり、試合も毎週のように応援に駆けつけてくれたから、たくさんの方とお話ししたり、コメントでの叱咤激励を頂けたから、だから頑張ってこれました。
本当にすべてのことに感謝しきれません!!
ありがとうございました。

そんな感謝を感じたことを私がいる場所・いた場所で目一杯に返していこうと思います。
今シーズンも始動し、現役選手もまた新たな気持ちでスタートダッシュしています。
どうかHC名古屋を今後も引き続き、ご声援・ご支援よろしくお願い致します。

5年間ありがとうございました。



NO.7 細田英子(ばず)

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