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「光熱費ゼロ住宅」ということで、検索して見ました。。。。。
<今度は、事務所から南を見て、パチリ>
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J:JANJAN
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:ケンミレ
○ご紹介でーす。朝日新聞さんすいません。
朝日新聞 2005年7月13日 水曜日 朝刊 20面 生活欄より
仕事 考
作家 浅田次郎さん ①
51年生まれ。自衛隊員、ブティック店長などへて91年、作家でビュー。著書に直木賞受賞の「鉄道員(ぼっぽや)」「壬生義士伝」など。
この1行で、死のうとした人が思いとどまるかもしれない。
その思いを胸に、僕は小説を書いています。言葉が人の生死を決めることがある。相手の姿形すべてを忘れても、ずっと心に残る一言というものもある。暇つぶしだけでなく、人の人生さえも左右しる小説。それが良い小説だと思います。
僕は20代から40代まで、いくつか職を変えました。自衛官やクラブの弾き語り、アパレル会社員、ブティック店長。その間も好きな小説を書き続けてきました。
一貫していたのは「自分は作家になる」と既定事実のように決めてかかっていたこと。自己暗示、といえるかもしれない。新人賞に応募して何度も落とされたけれど、自分が下手とは思わない。「おかしいな」と首をひねる。認めてくれない社会がおかしいんじゃないかと、そう考えるようにしてきたんです。
作家に限らず、どんな仕事もそうですが、志が大切。「いくつかきっと」と言っているだけで努力しなければ、目標は目標のまま終わる。
僕の作家としての原点?それは小学校の頃の作文だなあ。ふつう、子どもは実際にあったことを書くけれど、僕は作り話でした。
例えば、「昨日、家に帰って戸を開けたら点々と黒い足跡があった。何があったのか、と2階にあがってみると泥棒がいた。『泥棒、泥棒』と追いかける・・・・」
先生が慌てて家に連絡し、家の者が「そんなことありませんが」、なんてこともありました。
デビューは40歳と遅かったのですが、以来、世に出した本は67冊になります。
(聞き手・辻 外記子)