会社で仕事をしてたら、めまいがしてきた。
「ん?わし…やばぃ」と思い、深呼吸を兼ねて背筋を伸ばした。
専務も謎君も番頭君も、各々が同じよう~な顔をして、同じような仕草をしてはる
「えっ!おまえらも?」・・・「えっ!揺れてる?」・・・自分が揺れてるんか、建物が揺れてるんか、世間が揺れてるんか、何がなんだかわからんかった。
わしの後ろの窓を開け、外を確認する
あちゃ! 電柱と電柱の間につらなってる「電線」の動きが半端やないがな
あんな電線見たことない!くらい、上下左右にどんちゃん騒ぎや。
近くの高い建設物の上に備わったタワークレーンも、つり下げた荷物ごと、ワイヤーが大きく右左。オペのおっさん、怖かったことやろ。
そないに大きくも、でかくもないような、ゆ~~たり・長~~く、ゆっさゆっさした地震やった。大阪・放出。
すぐ、脳血栓でもなく、心臓麻痺でもないことが判明して、ホッとしてTVをつけた。
「東北・三陸方面で地震」の一報。
マグニチュード8やの8.5やの、震度7やの7.5やの言うてた。
おお~またあっちで地震か…それにしても、1000キロさきの地震の余波が、大阪まで来るか?と疑問やった。
3月11日、15:00前。
TVでは「津波警報・注意報発令」
〇〇地区・〇〇地域 〇m
〇〇地区・〇〇地域 〇m
〇〇地区・〇〇地域 〇m
〇〇地区・〇〇地域 〇m
〇〇地区・〇〇地域 〇m
第一報、〇〇地区 20センチとか 〇〇地区 50センチ・・・・・・
気象庁も大袈裟に言いすぎやで と、社内での会話。
数十分後、20分とか30分の間や。
突然、海から岸壁・海岸沿いに…あれよあれよという間に『波』が押し寄せる映像が飛び込んできた。
名取川河口から流域一面に、とんでもない津波が・・・・
防風林をあっと言う間にのみ込み、田畑・温室・家屋等々、箱庭のごとく、いとも簡単にのみ込んで行く映像。
いままで見た色んな映画の、CGのグラフィックとか作り物の映像では、感じたことの無い「恐怖」を感じた。
逃げまどう人たち、行き止まりで立ち往生してる車、とにかくまっしぐらに走ってくトラック等々、全てをのみ込んでいった。
もちろん、各家庭・家々の中で生活していた人々も、数知れんくらいのみ込まれていった。
全て、のみ込まれた。
あれから一週間が過ぎた。
日々、毎日、リアルな映像と、録画された映像で、我々被災者でもない人々まで…心身ともに参った。
三日目くらいからは「津波」と同時に「放射能」が出て来た。
死者・不明者の数は、日々桁違いに増える。
被災者の方々の「苦悩」と「がんばり」が並行して、TVから流れて来る。
我々は「何したらええんやろ?」「何出来るんやろ?」「どうしたらええんやろ?」と、真剣に悩み、何も出来ない無力さに泣いた。
政府と東電の「人災」めいた、原発。
死を覚悟で、必死で日本を守ろうとしてくれてる作業員や、自衛隊・消防・警察の面々には、心より感謝してる。
にもかかわらず、政治家共の「己の顔が大事な判断」と、東電のお偉いさん方の逃げ足の速いことには、ほとほと・・・・・・
保安院とか言うお役所の面々、世間に初登場やが…最初から出て来るな!中途半端な「裏」のあるような説明は、いらん
いまだ、解決のめども、糸口もない原発・・・結局、被災者の人たちと作業員の人たちだけ「苦悩」することになったら、日本人は黙ってたらあかん。このまま、片付けたら絶対あかん
いまから数十年と続く「復興」。
神戸の復興がいまだ続いてるように、東北の復興もそれ以上に続くことやろ。
関西人よ、いままだ動かれへんやろけど、力貯めとけよ。
「ここや!」ちゅうときに、皆で一緒に「何か」しよ
いまはただ、悲しいニュースや辛い現状を涙しながら見聞きするしかないやん。
しやけど、忘れたらあかん。いまの気持ち。
『がんばろう 東北!』やけど、『がんばろう 日本!』や。
毎日「 死者 〇〇〇〇人 」と増えるのを聞くのは、本当に心が痛い。
被災地でおかあちゃ~ん!〇〇ちゃ~ん!と嘆き声とも、呼び声とも聞こえる、身内の人を探す姿も忘れたらあかん。
せっかく生き延びたのに、避難所で亡くなって行く方々にも、改めてご冥福を祈る。
各々が感じた地震・津波。
感じ方は色々あるやろが、目的は一つや。
「復興」や、東北復興や。
誰かの言葉やないけど、ちっちゃいことからコツコツやで。
色んな場面で、色々相談しながら、皆で「復興」させよ
頑張ろうぜ
やさしい光で
被災地の空も照らしているかな。。
空を見上げている人がたくさんいるといいね。
やさしい気持ちになって
希望の灯りになりますように。
ひろ、日本の力は「いまからが見せ所や!」互いに・・・なんか、やろ
ちいこ、もう沈んでんかてええど!
おもろいことや、楽しいこと、ボチボチ開始せにゃ!