2018年、戌年です!
年明けはめでたいな、としみじみ思う年齢に至りました。
誕生日の次にめでたいのは新年な気がします。
先月で53歳になりました。
60歳定年まであと7年。
あと7年で何をしたいか、考えます。
「何が自分にできるか、
何を残したいか、」です。
・・・・と。
この前、お昼休みに同僚の女子たちと話していたことをふと思いだしました。
「意識の数式化」について。
単純に死んだら、どうなるのか、みたいな他愛のない話から
そんな話になりました。
父が亡くなった時、弟が脳死になった時から
ずっと考えていました。
「死」って何だろう。
何年か前の年末にテレビの再放送で見た番組が
ずっと焼き付いています。
NHKスペシャル『臨死体験 死ぬとき心はどうなるのか』という番組だったと思います。
番組の内容をまとめたサイトを見つけたので貼ります。
↓↓↓
臨死体験とは何か~NHKスペシャル『臨死体験~死ぬとき心はどうなるのか』の内容と感想
‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐
『ジュリオ・トノーニ教授(ウィスコンシン大学精神医学)の「統合情報理論」
トノーニ教授は、世界で初めて意識の量を数式により定式化。
これによってどのようなときに意識が存在するのかが定量的に記述できるようになった。』
‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐
【意識はいつ生まれるのか M・マッスィミーニ、G・トノーニ著 神経細胞の働きとその繋がり 】
意識はいつ生まれるのか――脳の謎に挑む統合情報理論 | |
クリエーター情報なし | |
亜紀書房 |
科学の最重要未解決問題『意識はいつ生まれるのか――脳の謎に挑む統合情報理論』
まずはこの本を読んでみます。
私にとって「脳死」はずっとひっかかる問題です。
「脳」も身体の一部です。
あの時。「脳死」状態でも弟の身体は生きていました。
でも弟の「意識」はいませんでした。
当時の医学的見解では、「脳死判定」を受ける状態でした。
「意識」=「魂」というのか。
でも身体は生きていました。
心臓も動いていました。
「生きる」ってどういうことなのか。
例えば、
私の「脳」が暴走していた時。
私の自我「意識」は確かに存在していましたが、
「バランス」を崩していました。
明らかに違う世界に行っていました。
ここにいるのに、居ない状態です。
「意識」が半分、飛ばされていたのです。
その時、私は「宇宙のコントロールパネル」の一部になっていましたから。
食事を断固、拒否していたそうです。
「私が物を食べると、地球上の他の命が減る」とか言っていたそうです。
ですが、
その「意識」はまた元の世界に戻ってきて
今の私がいます。
12月の休日に映画を見ました。
「ビューティフルマインド」という映画です。
「ビューティフル・マインド」:精神病と闘った天才数学者とその妻の半生
私にとっては結構キツイ内容の映画でした。
入院していたころや、療養中を思いだしました。
私も幻覚を見たり、幻聴を聞いたり、
他の世界の存在と話していましたから。(笑)
主人公が幻覚幻聴と現実の境にいながら現実の確認をするときに、
奥さんが手を握って
「これが現実よ」というシーンが印象的でした。
境界線は「触れるかどうか」だと。
ただし、それは3次元的感覚に限られた方法な気がします。
目に見えない、触ることのできない存在も、確かに存在します。
「意識」がまさにそれです。
「感情」も「心」も。
声や音も。
空気も。
素粒子レベルでは、「存在」を確認できるのかな。
波形とか。光とか。
うーーー。
私の意識がさまよっていた時、
私は主人のことも触れたけど
「意識」はなかなか戻れなかったのです。
今までの「情報と伝達のつながり」の形状が、一部、外れてしまったのでしょう。
「一過性急性精神病障害」は一時的過大なストレスが原因で
脳の伝達コースが外れて、「意識」が通常とは異なる「認識」に偏る、感じなのでしょうか。
入院して投薬される前の
24時間から48時間のあいだに、
ときおり、正気に戻る瞬間もありました。
あの時、「意識」はいまの私の体にくっついていました。
うーーーーーん。
まあ、気になることは山盛りです。
いつか必ず答えにたどり着く気がします。
なぜか、その答えは暖かいキラキラした光に包まれている気がします。
不思議ですが、泣けてきます。
さあ、新年の始まりです。
今日、この日を迎えられて、生きていて
わたしはいま幸せです。
「生きてるだけでまるもうけ」です。
ドラッカー曰く。
「人生のハーフタイムにはフィードバックに5年、かけなさい。」と。
人生のハーフタイムの来る時期は個人によってさまざま。
私は100歳でかっこいいクールなばーさんになりたいので、今がハーフタイムだ!!
(100歳まで生きているかは未確定)
70歳過ぎて、このブログが続いていたら
「なあんばーさんの日常」というタイトルに変えます。
というわけで、今年も宜しくお願いします。
皆様にとって、良い年でありますように。