浮游社の『崎戸』本・Ⅰ・Ⅱ & 浮游庵通信 

炭鉱に生きた人々を、国家が遺棄した時代を記録し、記憶する。
1968年、「一に高島、二に端島、三で崎戸の鬼ヶ島」

『一に高島、二に端島、三で崎戸の鬼ヶ島』発行から一年。安田常雄さんとの出会いと批評。

2020年10月26日 11時22分05秒 | 記録
                  ● 『崎戸』本・Ⅰ/Ⅱを読んで ●

崎戸炭鉱を描くということ
 
安田常雄(国立歴史民俗博物館名誉教授)


 もう十年以上前になるが、ある学会誌の巻頭に「長崎崎戸行・断章」という短文を書いたことがある。同時代史学会の“NEWSLETTER”の第十三号、二〇〇八年十一月である。その後、この文章はまったく思いがけず、中西徹さんの眼に止まることになったものである。
 この時期、私は千葉県佐倉にある国立歴史民俗博物館に勤務しており、同館で企画していた「現代展示」の準備を担当していた。私の課題は、戦後日本の歴史を、民衆の生活と大衆文化を二つの軸に捉えなおすことであり、そのための調査を各地で行っていた。そのとき私の念頭にあった地域の一つが、福岡・熊本・長崎などの九州地域であり、その焦点は筑豊と水俣であった。それは一言でいえば、そこが日本の戦後史の凝集点であったからである。調査は、文献資料にはじまり、その地域のひとびとの「聞き書き」を行い、生活のリアリティと時代状況との交錯をどのように描き出すかという問題意識にあった。いま昔の手帳を見ていると、二〇〇八年六月には、上野朱さんの案内で、森崎和江さんたちと筑豊文庫を訪れ、またかつて森崎さんが住んでいた中間市の旧炭鉱住宅を案内してもらったりしていた。そしてそのあと、水俣まで足を延ばし、日吉フミ子さんや坂本フジエさんの話を聞いている。こうした調査の延長で、同年十一月には、水俣から佐世保に出て、崎戸炭鉱跡を訪れることになったのである。その日付は、古い手帳によれば、二〇〇八年十一月二日のことであり、その翌日には、佐世保(?)で『炭鉱誌』の著者である前川雅夫さんともお目にかかってお話した記憶がある。崎戸炭鉱は、明治以来、過酷な炭坑労働の現場であり、戦時中は中国や朝鮮半島から強制的に連行された労働者の集積場であり、その意味で「崎戸炭鉱はいわば日本近現代史の縮図のような場所」であったからである。
 私が「崎戸炭鉱」に関心をもったのは、こうした近現代日本の矛盾の凝集点であったことでもあったが、より直接的に影響を受けたのは、刊行後間もなく読んだ井上光晴の『幻影なき虚構』(勁草書房、一九六六年)であった。そのなかにある「わたしのなかの『長靴島』」や、中西徹さんも『崎戸』本・Ⅱに収録している「『妊婦たちの明日』の現実」というエッセイであり、また戦争体験論の力作「ガダルカナル戦詩集」との延長線上で、「崎戸炭鉱」という世界に出会ったといえるかも知れない。その後も、井上光晴という作家には、一九九四年の原一男による映画「全身小説家」まで、その思想の基底に「崎戸炭鉱」という世界が存在し続けてきたからであったと思われる(原一男『全身小説家』キネマ旬報社、一九九四年)。私はその後、広義の民衆思想と社会運動という領域で仕事をしてきたが、そのモティーフの一つに「井上光晴と崎戸炭鉱」という問題が持続していたのかも知れない。しかし近年の日本近現代史研究では、こうした問題意識や分析視角が希薄になりつつある状況があり、前記の歴博「現代展示」や二〇〇八年十一月の「崎戸行」はそうした流れに対する「民衆史」の初心の確認であったのかもしれない。

「崎戸」には資料が乏しいと繰り返しいわれてきたが、昨年と一昨年、崎戸に関する二冊の本が立て続けに刊行された。一冊は、文・中西徹、写真・中西務「うち、おい達の『崎戸』という時代」浮游社、二〇一八年(『崎戸』本・Ⅰ)であり、もう一つは、編著・中西徹「一に高島、二に端島、三で崎戸の鬼ヶ島」浮游社、二〇一九年(『崎戸』本・Ⅱ)である。
 前者は、中西徹さんの父上である務さんの撮りためた崎戸のスナップ写真を中心に構成された、戦後の崎戸の風景と家族の歴史である。そのなかで特に貴重なのは、崎戸炭鉱一坑中心部のパノラマ写真である。この写真は、養護教員をやっていた母親の同窓会で遭遇したものであり、著者は、父親のアルバムのなかに、同じアングルの写真を発見する。一枚は、一坑の夜景で撮影日は、一九五五年八月二六日。もう一枚は、雪景色の炭鉱であり、撮影日は、一九五九年一月二五日である。それらはいずれも最盛期の崎戸を活写していた。このパノラマ写真からのひらめきを起点に、著者は、戦前の崎戸の歴史をたどり、高度成長期に閉山に追い込まれていく歴史をたどっていく。その歴史的探求のプロセスが『崎戸』本・Ⅱの主題であり、そこには断片ともいうべき記録を探りながら、そこに内在する日本近現代史の争点を復元していく。その拾われている記録は、第一に、崎戸炭鉱の労働や生活の記録であり、上野英信や井上光晴ら、かつて崎戸炭鉱で働いた人々の文章や、大場嘉門による一九三〇年頃の「崎戸・二坑地区ドキュメント」や近藤一郎の「所長、副所長、鉱員住宅図面」の再現記録なども掲載されている。また第二には、資料②崎戸町「埋葬認許証」や資料③「浅浦坑鮮人一同」と刻まれた石鳥居などの記録は、この崎戸炭鉱が中国や朝鮮半島から強制的に連行された労働者の集積していた場所であることを思い出させるだろう。
 このようにみてくれば、本書『崎戸』本・Ⅰと『崎戸』本・Ⅱは、相互に有機的に関連をもちながら、いわば「民衆史」を基礎においた、一つの在野歴史学のすぐれた試みということもできるだろう。やや方法的にいえば、一つの写真によって触発された記憶を、個人の生活感覚に根をおきながら、永年にわたる丹念な資料収集によって再構成していくものであり、その作業を通して、行政目線などによる市町村史とは違う視界を切り拓こうとした作品である。
 その在野歴史学の精神の根底には、一人ひとりの民衆が生きた実態と感覚を通して、「書くこと」の危うさを透視し、歴史の構造に架橋する方法意識が存在しているのではないか。それは、『崎戸』本・Ⅱにも引用されている井上光晴の苦い屈折と自省とも響き合っている。
「女のひとりに私は二坑へ行く道をきいた。私は少年時代二坑に住んでいた。しかし私はなんとなく小説中の人物に化してみたかったのだ。背の低い茶色の顔をした女の声は私の甘えた気持を寄せつけなかった。『あんたは二坑も知らんで崎戸にきたとですか』。私は二の句もつげず、去っていく女の背中を見送ったが、何かしら、うちのめされたような思いであった。小説の方法が何か知らんけどね、資本主義っていうのはあんた達が考えとるようなもんじゃないよ。コンクリートの坂道を下る女の背中は私にそう告げていた」(「『妊婦たちの明日』の現実」)。              (やすだ・つねお)
              以上、「浮游」第9号(2020年5月発行)より

・・・・・・・・・・・・浮游社の『崎戸』本・・・・・・・・・・・・・・

『崎戸』本・Ⅰ 「うち、おい達の『崎戸』という時代」
~(崎戸炭鉱の)島の姿を後世に伝える労作。町を一望するパノラマ写真は史料的価値がある。年表にも力が注がれている~(長崎新聞2018年4月8日付)
   写真・中西務/文・中西徹 2018年3月刊 定価(本体1,968円+税)

『崎戸』本・Ⅱ  「一に高島、二に端島、三で崎戸の鬼ヶ島」
・収録執筆者(敬称略)・岩垂弘/上野英信/井上光晴/近藤一郎/近藤雄二/盛次竹治/島すなみ/井上郁子/井上荒野/前川雅夫/矢動丸廣/宮野由美子/岡正治/石牟礼道子/李明淑/綾井健/柴田利明/浦口俊郎/池内靖子/
上野朱/写真・崎戸炭鉱全景、崎戸残影23点・中西務/他、資料多数
        編・著/中西徹 2019年10月刊 定価(本体2,000円+税)

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                        〈浮游社2020-10-26〉