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-和辻哲郎「アメリカの国民性」(一)-(GHQ焚書図書開封第174回)

2022-07-13 05:01:24 | 近現代史

GHQ焚書図書開封第174回

-和辻哲郎「アメリカの国民性」(一)-

目次

 日本の臣道

アメリカの国民性

 1. アメリカ国民性の基調としてのアングロ・サクソン的性格

 2. アメリカへの移住

 3. アメリカに於けるホッブス的性格の展開

 4. アメリカに於けるベーコン的性格の展開

 5. 開拓者的性格

 

かってバーナード・ショウがナポレオンを取扱った喜劇『運命の人』の中でナポレオンの口を通じてイギリス人の特性描写をやったことがある。中々うがった観察であるから、緒としてここに引用する。

 『イギリス人は生まれつき世界の主人たるべき不思議な力を持っている。彼は或る物が欲しいとき、それが欲しいということを彼自身にさえ云わない。後はただ辛抱強く待つ。其の内に、彼の欲しい物の持主を征服することが彼の道徳的、宗教的義務であるという燃えるような確信が彼の心に生じてくる。そうなると彼は大胆不敵になる。貴族のように振る舞い、欲しいものは何でも掴む。小売商人のように勤勉に堅実に目的を追求する。それが強い宗教的確信や深い道徳的責任感から出るのである。で彼は効果的な道徳的態度を決して失うことがない。自由と国民的独立とをふりかざしながら、世界の半分を征服し、併合する、それが植民なのである。またマンチェスターの粗悪品のために新しい市場が欲しくなると、先ず宣教師送り出して土人に平和の福音を教えさせる。 土人がその宣教師を殺す。彼は基督教防衛のために武器を執って立つ。基督教のために戦い征服する。そうして天からの報いとして市場を手に入れる。或いはまた彼は、自分の島の沿岸を防衛するために、船に教会師を乗せる 十字架のついた旗をマストに釘付けにする。そうして地球の果てまで航海し、 彼の海洋帝国に異論を唱えるものをことごとく撃沈、焼却、破壊する。さらにまた彼は、奴隷と雖も、英国の国土に足をふれた途端に自由になる、と豪語しておきながら、自国の貧民の子を6歳で売り飛ばし、工場で1日16時間、鞭のもとに働かせている。・・・総じてイギリス人が手をつけないほど悪いこと(というかよいことというか)は世の中に一つもないのである。しかもイギリス人が不正であることは決してないのである。彼は何事でも原理に基づいてやる。戦うときは愛国の原理に基づいている。泥棒するときには、ビジネスの原理に。他を奴隷化するときには帝国主義の原理に基づいている。他をいじめるときには、男らしさの原理に。彼の標語は常に義務である。しかし、その義務は必ず国民の利益と合致したものでなくてはならないのである。』

これは、ショウ一流の皮肉として、この喜劇の観客を苦笑せしめたに過ぎないかも知れない。しかし自分はここに赤裸々の真実をみる。そうしてこういう真実を単なる皮肉として 笑って済ませているところに、イギリス人の図太さを看取し得ると思うのである。

 我々はこの真実を真面目な箇所で捕らえることができる。それは、イギリスが最も偉大なものを算出した16世紀末より17世紀へかけての時代、これはまたアメリカへの植民が行われた時代の代表的哲学である。我々はここにイギリス人の真骨頂を見、 それがアメリカへ移されたことを重視するのである 現在の世界の大勢は400年前ヨーロッパ人の世界への進出を以って始まったのであるが、その先端をなしたのはアングロ・サクソンではなくしてラテン民族であった。ところでラテン民族にかかる力を与えたのは、羅針盤と火薬の発明なのである。アメリカ大陸の発見もアフリカ迂回航路の発見も皆羅針盤のお陰であった。メキシコ、ペルーの征服、アフリカのニグロの却掠は火薬の力によっている。当時メキシコとペルーとはアメリカ大陸に於いても最も文化の進んだ国であり、また金銀など物質の豊かさにおいてヨーロッパよりも優れていた。17:12

のみならず、その人倫的組織の完備に於いてはギリシャ・ヨーロッパさえ劣らなかったと云われている。しかしスペインの火器の力の前には脆くも崩壊せざるを得なかった。ニグロの王国もまた当時は立派な秩序、整った組織の下に豊富な産業を栄えさせ、特に教養が最下層まで行き亙っている点に於いてヨーロッパ以上であったと云われる。がこれらも火器には抗し得なかった。優れた者強き者は殺戮され、残った者は奴隷にされた。両大陸に 亙るこの殺戮、破壊、攻略は、世界史始まって以来の最も大仕掛けなものと云ってよい。

 16世紀にかくラテン民族が活躍していた時、イギリス人はまだ僅かにそれに追随する程度にすぎなかった。(18:50)

16世紀の初めには英国の人口は300万、スペインの人口は600万以上、 フランスは1500万、ドイツは2000万以上と云われている。1547年にヘンリー8世が没したときには、 英国はなお三流国であった た。その後エリザベス女王時代海の英雄たちによって急激に発展し、1588年のアルマダ艦隊撃滅は著しく国民の自信を強めたが、それでも女王死後の海軍力はまだ大したものではなかった。英国が強国となったのは17世紀中のことである。そうしてそれはまたアメリカへの植民の時期なのである。(24:33)

2.アメリカへの移住

アングロ・サクソンのアメリカ移住は、丁度このベーコンやホッブスの時代のことである。ウォルター・コーリが二艘の移民を率いてエリザベス女王の名に負うバージニアを開いたのは16世紀の末のことであったが、これはアメリカ土人(インディアン)の敵対によって失敗した。

やっと橋頭堡をつくるのに成功したのは17世紀の初め、二つの移民会社ができてからである。これらの移民は大半死滅し去るような困難に対して 猛烈に土人と戦い風土に抵抗して、内部へ浸透し始めた。やがて、1620年には有名なピューリタンの群れがマサチューセッツの岸へ辿りつき土人との間に平和条約や通商条約を結ぶことによって領土を拡大した。28:29

コネチカット、ロードアイランド、ニューハンプシア、バーモント、メーンなどは彼らの建造にかかる植民地である。かくて1643年にはニューイングランド植民地連合を形成するに至っている。更に1667年には、ニューヨーク、 ニュージャージー、デラウェア等を開くに成功した。このピューリタンの群れと並び立つのはウィリアム・ベンのひきいたクェーター教徒で、前者よりも大分遅く1681年にペンシルベニアに植民したのである。南部では1663年八人の貴族が特許を得て南カロライナを開いて以来、ニグロ奴隷を使役して貴族的色彩の強い濃厚な植民地をつくった。ジョージ2世の時には更に南方ジョウージアが開拓された。以上は新教を奉ずるアングロ・サクソンの植民であるが、なおほかに窮境 奉ずるラテン民族の植民も行われ、17世紀の末にはすでに英仏の勢力の衝突が起こった。英仏の争いは長期にわたって行われ、18世紀の中ごろに至って漸くアングロ・サクソンの勝利に終わった。が戦争は 人々を団結せしめる。植民地はこの勝利後間もなく本国議会と衝突し、後に1776年に至って独立を宣言した。そうして更に7年の間の苦しい戦争を続け、この戦争によって独立の国家を形成したのである。以上植民の歴史はアメリカ合衆国を作り出す歴史であると共にまたアメリカの国民性を作り出す歴史でもあるのである。然るに我々はこの歴史のうちに前述のホッブス的な性格やベーコン的な性格が顕著に働いているのを見出すことができる。

ホッブスによると、人には自然天賦の権利(jus naturale)がある。それは自己の生命を保持するためにしたいままのことをしてよいといふ自由である。かかる自由人を自然は平等 に作った。体力においても心力においても人々の間の差別はごく僅少なもので、大体は平等である、と彼は主張する。能力が平等であれば目的達成の希望もまた平等である。従って一つの物を二人が平等の権利を以って欲求するという事態が、絶えず起こってくる。勢い彼らは相互に敵となって争わざるを得ない。そこに『あらゆる人と人との間の戦争』がある。これが自然状態である。ここではいかなる行いも自然の権利に基づいてなされるのであるから不正ということは在しない。戦争状態における徳は力と詐欺とである。

しかし、このような自然状態は、自己の生命を保持するには最も都合が悪い、人は常に生命の危険にさらされ不安を感じていなければならぬ。従って人は、理性によって、この悲惨な生活からの脱却、生命の安全保障を要求する。そこに自然法が見出される。。即ち生命に害ある行為を禁ずる一般的法則である。ここに初めて人の行為に対する拘束、即ち義務が現れる。ホッブスはかかる法則として十九カ条を数えているが、重要なのは最初の数カ条である。自然法の第一則は右の平和の要求そのものを云い現している。『各人は平和に努めなくてはならぬ、平和の望みがある限りは、しかし平和が得られなければ、戦争のいかなる手段方法を用いてもよい。』これは平和の要求ではあるが、また戦争の冷酷な遂行の決意でもある。これは後に新大陸において露骨にその意義を発揮する点である。(37:17)

参考文献:「日本の臣道 アメリカの国民性」和辻哲郎、「天皇と原爆」西尾幹二

 

2018/9/12 18:00公開



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