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-イワン大帝のシベリア侵略-(GHQ焚書図書開封 第135回)

2020-09-27 22:08:51 | 近現代史

【GHQ焚書図書開封 第135回】

-イワン大帝のシベリア侵略-

酋長イエヂエールが住んでいたオビ川流域の地名シビルからシベリアの地名ができた。

シベリア侵略は、イワン4世(雷帝)時代にオビ川流域から始まり1555年から84年間かけて(1590年トボルスク、1600年ツーリンスク、1609年トムスク、1617年クツネック、1618年イエニセイスク、1626年クラノヤルスク)、ロマノフ王朝のミハイル時代の1639年にはオホーツク海に達した。その後、ベーリング海峡を渡りアラスカに入り北米を南下することになった。

その侵略の最大動機は貴族に売却する毛皮の獲得であった。侵略にはコサックが利用された。

 幕末以前のイギリス、オランダ、フランス、ロシアのアジア侵略の歴史をトータルに書いた戦後の歴史書は存在していない。それらが書かれた戦前の歴史書はGHQによって没収、焚書された。

 海賊的形態で葡萄牙(ポルトガル)、西班牙(スペイン)がモルッカ諸島において香料の略取をしたのに対し、ロジアは馬賊的形態で毛皮の強奪をした。

1901年モスクワ~ウラジオストク間にシベリア鉄道が完成した。

シベリア鉄道は、当時、世界の制海権(パクス・ブリタニカ)を握っていたイギリスにとって極めて脅威であった。

かって、スペインとポルトガルがトルデシリャス条約で地球を東西に2分したように、シベリア鉄道開通により、今度はイギリスとロシアがユーラシア大陸を南北に2分するようになった。

そして、イギリス、ロシアの抗争は、「グレート・ゲーム」としてアフガン周辺諸国を巻き込んで発展していった。

 参考文献:「ソ聯・英・米・佛侵略の跡を顧みて」陸軍少将 小玉與一
2017/04/26に公開

 


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