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-光圀「大日本史」の主要モチーフ-【GHQ焚書図書開封 第139回】

2021-01-30 21:13:30 | 近現代史

【GHQ焚書図書開封 第139回】

-光圀「大日本史」の主要モチーフ-

紀伝は、歴代天皇の事績と伝記を記述した人物本位の物語的歴史、志表は法制、経済、軍事、宗教など分野別に分かれた制度史。

 紀伝のほうが先行して書かれた。

 前期水戸学と後期水戸学との間に50年の空白期間があるが、これは、人物本位の支那の道義的歴史観から自分の国の在り方を組織的、制度的に見直す充電期間といえる。

この間に荻生徂徠の強い影響のもと、その後本居宣長による国学が起こり、支那的歴史観から脱皮し、近代化への基礎ができた。

 文武両道の女傑神功皇后は、仲哀天皇との間に生まれた皇子誉田別尊・おうじほむたわけのみこ(後の第15代応神天皇)をすぐには天皇の座につけさせず、69年の長きにわたり摂政として君臨し、100歳まで生きた。

 水戸光圀(義公 )は、大義名分の価値判断からすると、文武両面に亘り国のため業績を上げた立派な皇后だが天皇の如く扱うのは天皇の正閏に反してよろしくないと評価した。これが、「大日本史」において神功皇后を本紀から列伝に移した理由である。

戦後の日本の古代歴史学者は、朝鮮半島の圧力に屈し、三韓征伐をした神功皇后と任那日本府の存在を日本歴史上から抹消した。

 天皇の正閏を考える場合、

 江戸時代に存在していた伏見宮 (ふしみのみや) ・有栖川宮 (ありすがわのみや) ・桂宮 (かつらのみや) ・閑院宮 (かんいんのみや) の四親王家(ししんのうけ)の一つである伏見宮家は今日まで700年続いている事実が存在する。今後、男子男系を維持するためには、不本意ながらGHQによって皇籍離脱された旧宮家の復活が望まれる理由である。

 水戸光圀(義公 )は、壬申の乱で天智天皇(中大兄皇子)の次期天皇となった天武天皇(中大兄皇子の弟で大海人皇子)に倒されため列伝にはいっていた天智天皇(中大兄皇子)の子の大友皇子を「大日本史」において本紀に移した。それにより、大友皇子は後に弘文天皇として歴史に名を残すことになった。また、(天武天皇の子である舎人親王が主な編纂者である)日本書記に書かれていた「大友皇子は近江朝の天皇」としていた部分を否定し、懐風藻、水鏡を根拠に勧懲主義に基づき、天武天皇の悪行を暴露した。

これは、天皇家を中心とした正閏、つまり、正しい皇位継承の在り方を示すことで、御国の歴史の正しい姿をひとつ世に知らしようとした水戸光圀(義公 )の尊王の念であった。これが、大日本史のスタートであった。

2017/6/21公開

 参考文献:「水戸學要義」深作安文、「訳文 大日本史」山路愛山

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