ちょっとした探し物がありまして、其処彼処を探してみたんだけども見つからない😥
もしかしてと長年開けてない小物入れの中を見てみると、ケースに入った懐かしい石が出てきた🪨
(探し物はまだ見つからないけど😭)
35歳の時に摘出してもらった胆石です。
もう25年も寝かしたビンテージ品ですよ。
半年間、騙し騙しでお薬や変な民間療法の『木の枝』を煎じて飲んでました。
『木の枝』は姉が嫁いだ先の姑さんが探してくれたもの。
結構なお値段したらしいのを4〜5回、大量に送ってくれたモンだからね。
姉の立場もあるし、気休めと思いながらも飲み続けてました。
味はちょっとクセのある濃いほうじ茶って感じ。
電気ポットに水と『木の枝』を放り込んで、家(独身寮)に居る時はちょいちょい飲んでました。
でも、お薬や『木の枝』も効果が出ず、どんどん激しい痛みに襲われまして。
救急車呼ぶのは恥ずかしいから、痛みを堪えて自家用車を運転し救急受付に駆け込む事数回。
大体、深夜1時から2時くらいにやってくるんですよ。
少しずつ痛くなるんじゃなくて、いきなり本格的なピンポイントの痛みが😫
いよいよ動けない程の痛みで救急車をお願いして搬送され、入院を決意。
その時ワタシの担当業務は圏央道の遮音壁工事をしている最中でして、1人現場事務所に残り翌日の段取りを確認していた真夜中2時の事。
しかも翌朝6時に大型トラック5台の入場立合い担当。
携帯電話は有りましたがショートメールはまだ普及していない頃。
痛みに悶えながら真夜中、上司にピンチヒッターをお願いしてしまい大変なご迷惑をお掛けしてしまいました🙇
後の職場復帰祝いの席で、その時の痛みを上司や同僚に訊かれまして。
『女王様にピンヒールで踏まれた様な』
ってふざけて答えてましたっけ😆
ぱっと見、砂糖でコーティングしたピーナッツ。
胆石摘出された方、これってやっぱり大きいの?
摘出してくれた担当医曰く、胆嚢がパンパン状態で滅多に見ないデカさですって言われました。
勿論、胆嚢ごとの摘出となりました。
手術そのものはカラダに負担が少ないからと腹腔鏡手術を勧めてくれたんです。
だがしかし、パンパンの胆嚢を確認して破裂の恐れがあったらしく途中から開腹手術に切換えるか悩んだそうです😅
目が覚めたのは何時間後だったか、やはり記憶がありませんね。
気付けばアタマはボーっとしたままだし、鼻からお腹からオ◯ン◯ンから延びる管だらけ。
タイミング悪く空きベッドが無くてICUで10日間過ごしました。
確かICUのベッドは8床。
ワタシ以外は高齢で自力じゃ立てない、見るからに衰弱したおじいちゃんおばあちゃんばかり。
だから夜の時間は慌ただしく入室する看護婦さんの切羽詰まった声掛けやら、急遽連絡を受けた親族の方々の啜り泣きで眠れずに明るい時間帯に仮眠程度しか出来なかった記憶があります。
それでも深夜、多少うたた寝出来て朝起きたら昨夜まで居た方のベッド回りを片付けてる事もあり…でね。
結構、毎日が怖かったなあ。
入院中、術後の痛みは殆どありませんでした。
ただ、尿管カテーテルを抜く時はさすがに激痛で少し泣きましたね😭
情けない声も出ちゃったし。
ちょっと出血もしちゃったし。
(男性しか解らないかもの激痛です😣)
退院してもお腹から突き出たガラス管が1本残ったまま(ガスや、化膿しても出て来る様に)の1週間。
寝相が悪く寝返りしまくりのワタシ。
怖くて怖くて横になれない。
1週間はずっと小さなソファーで座り寝しか出来ず大変でした。
ガラス管を抜いて縫合してもらった際、担当医から『自宅療養なん日くらいしたいですか?』と訊かれまして。
もう圏央道の工事からは外して貰っていたので遠慮なく2か月の診断書を発行していただき、後半の1か月はひたすら遊んでました。
そうそう、胆石って判ってからは『うなぎ』が厳禁でしたので食べまくった時期でもありましたね。
そして60歳の今でも強く印象に残っているのは全身麻酔!
『10まで数えてください』と言われて、3くらいまでしか記憶が無かったもんなあ🤔
あんなに気持ちよく意識が飛ぶなんて、後になってびっくりしましたね。
ご批判を承知でいえば、将来的に『安楽死』が認められればあの時の全身麻酔の様にただただ、意識ごと無くなっていきたいかな。