趣味で人生送ってるの~!!

毎日の生活を楽しくする音楽や旅行・食べ物の話を中心として、私が思ったことを書きとめていくブログです。どうぞよろしく。

うちの親族の「戦後」が終わったとき in 台湾

2008年10月05日 | Weblog

うちの両親が台湾旅行から帰ってきました。

春には私も一緒に行ったのですが、どうしてももう一回行きたいということで、
今回は母の兄弟夫婦や親族合わせて9名で行きました。

うちの母の一族は、台湾からの引き揚げ者なんです。
当時、母は小学校低学年だったので詳しい地理的なことは覚えておらず
どんな暮らしをしていたか程度にしか覚えていないんですけどね。

台北駅の近くに住んでいて、庭にはブランコが置いてあり
それでよく遊んだこと、お手伝いさんがいたこと、
それからいろんな種類の美味しいフルーツを覚えている程度です。

でも母のお兄さんは、台北駅の付近には大きな3車線の道路があったこと、
それから日本式の住所や日本領事館のことなどを大まかに覚えていました。
だから、春に旅行したときは自分たちがどこに住んでいたかをすぐに
思い出すと思ったのですが・・・。

道路や区画は戦前と変わってないという話なのですが、建物が変わっていて全く
見当がつきませんでした。
また、どうももっといろいろ調べて歩きたかったようなのですが、
60年以上経った知らない土地で自分たちでは調べられない気持ちもあり、
また私や私の父にもあんまり連れ回すと悪いという遠慮があったみたいで
ただ「台北への里帰り」だけで終わってしまいました。

私もそういう気持ちは感じていたので、
今度台北に行くときは必ず自分たちが住んでいた場所を見つけて欲しいと
思っていました。

そこで、戦前の台北の地図探し、つまり日本語表記の地名のついた地図探しを
この夏、卵巣のう腫の手術をする前にしました。

そしたらあるんですね、やっぱり。
さすがに国会図書館ですよ!

台湾でなく日本にあったんですよ、台湾の戦前の地図が。。。
帝国陸軍参謀室とやらが作った地図があったんです。

国会図書館に行って「台湾の戦前の地図」と言ったら、すぐ検索して出してくれました。
また、それをコピーしてもらいました。
係の人も随分手早いというか、手慣れてるなあ~と思って。
でもこういうことで国会図書館を訪れる人は多いそうです。
やっぱり、みんな自分がどこにいたか、自分は何者かを知りたいという気持ちは
当然ながらあるのでしょうね。

今回の旅行はその地図に書いてある住所を手がかりに行きました。
目的の場所はすぐに見つかり、全然昔の面影のないビルの前で
みんなでしたと言っていました。
そのうち、見せてもらえるでしょう。

それから今回JALのアイルというツアーで行ったのですが、
9人いたのでタクシー代わりにアイルツアーのワゴン車をチャーターできると
ガイドさんに言われたのでチャーターをお願いして、
それで台北から疎開した「新店」という場所にも行ったそうです。

まるで昔の面影のない郊外の住宅地になっていた「新店」という場所だったようですが、
そこに疎開した経験を持つ5人の親族は、涙が止まらなかったと言っていました。

「まさか、こんなに年をとってから、もう一回台湾に行くことができると
思わなかった。行って良かった。」と言っていました。


「なんで、もっと昔の面影があるうちに行かなかったんだろう」と
私なんかからすると思ってしまうのですが、
でも今までは仕事やら自分の身の周りのせわしい生活に追われてたから
だれも気がつかなかったのかな?
でもハワイやヨーロッパには行くのにね。


でも以前に「台湾は私達の知ってる台湾じゃないんだよ」という言葉を聞いたことがあります。
良い思い出もイヤな思い出も残っている場所、
今はもう行ってはいけない場所になっていたのかもしれません。
軽い気持ちで「お祖父さんやお祖母さんの住んでいた台湾にみんなで行こう!」と
計画を立てましたが、最初はうちの母親ったら気乗りしてなかったもんね。

でも今回、住んでいた場所探しをしてる時に
現地の白髪のおじいさんが自分の知ってることを地図を見ながら
日本語でいろいろ話をしてくれたそうなんです。
過去にイヤな体験をお互いに持ってるはずなのに
親切に教えてくれてビックリしたと言ってました。

・・・多分、そのことも気持ちが変わってきた一因になってるんじゃないかな



長くかかりましたが、やっとうちの親族の「戦後」は終わったのかもしれません。


コメント (5)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ヒルトン成田はボーナスポイ... | トップ | 「峰園茶荘」の阿里山烏龍茶... »
最新の画像もっと見る

5 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
お願い (宝田 淑絵)
2011-06-28 01:25:46
宝田 淑絵と申します。
現在大阪府枚方市に住んでいます。
戦前の台北の地図、日本語表記の地名のついた地図をメ-ルで送っていただけないでしょうか?
今年7/10-7/13と台北市に行く予定です。私と母の二人旅ですが、母は82歳でこれが最期の旅行となると思います。わたしの母は台北市で生まれ育って終戦時17歳で引き上げてきました。母の生まれ育った家が台北市古亭町210番地にあったため、そこを二人で訪れたいと思っています。

突然メールしたうえお願いとは失礼と思いますが、できればよろしくお願いいたします。

私のメ-ルアドレスは
yoshiehoda7777@gmail.com
です。
どうぞよろしくお願いいたします。
返信する
連絡とれず (さっこ)
2011-06-28 22:38:30
こんばんは、はじめまして。

この度は、私のブログに来ていただいて有難うございました。

さて、台北の地図についてですが
先程帰宅してから父と台北の地図を引っ張り出して
調べてみました。

うちにある地図は台北市の中心部分と
母の住んでいた本町という駅の近くの
商店や家の名前までわかる拡大地図の2種類です。



でも探したら、縮小した方の地図に「古亭町210番地」
載っていました。

拡大地図じゃないのが残念ですが
でも縮小した方の地図で良ければお分けしますよ。

うちの方は、それぞれ2~3枚ずつ余計に国会図書館で
コピーを取ってきたので・・・。

で、宝田様のご希望の「添付メール」はちょっとできません。

スキャナがうちにないもので・・・。

上で書いたとおり、「図書館でコピー」の形で地図を手に入れたので
紙の地図しかないのです。



もし、宜しかったら郵送します。

・・・・という内容で
上記のメルアド宛に送りたかったのですが
ヤフーメールもgooメールも
「正しいメールアドレスを入力して下さい」となってしまうので
送れませんでした。







返信する
台湾に行きます。 (いちはら)
2016-04-18 13:38:48
はじめまして。
私の母も台湾に住んでいました。
もう高齢になり、認知症も進み、
少しは刺激になるかと、台湾で産まれたおじ夫婦とともに、
旅行をする予定です。(昔の住所は覚えています。)
旧台北市古亭町は現の古亭駅周辺と
思っていいのでしょうか?
地方なため、国会図書館には行けないもので、
どうぞよろしくお願いいたします。
返信する
旧古亭町 (さっこ)
2016-04-21 12:05:09
こんにちは、はじめまして。
当ブログにお立ち寄り頂き、ありがとうございます。

旧台北市古亭町について、古地図を引っ張り出して
ちょっと見てみました。
大体同じです。

観光用の地図で見て頂くと
古地図の古亭町は、今の台湾師範大学の南に面しています。
でも台湾師範大学(旧高校)は、ちょうど境目になっていて旧古亭町の区分には入っていません。
松山新店線の古亭駅と台電大楼駅の線路にまたがって広がっています。

地方にお住まいということで、
もし、ご希望なら古地図をコピーしてお分けすることはできますが、
キャスナーがないので郵送しかできません。
しかもB1のコピーができないので、A3あたりのコピーで
何枚かに分けてコピーすることになってしまいます。
それでも良ければ、古地図には番地も書いてあるので
お分けしますよ。
返信する
Unknown (いちはら)
2016-05-18 14:05:05
お忙しい中、お調べいただきありがとうございます。
また、返答が遅くなり申し訳ありません。
だいたいの方向がわかり、うれしいです。
来月、行くことになりました。
返信する

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事