第九章 その壱
「じゃ、お墓参りに行こうか」
父が漸く言葉を発した。
みんな、それまでの張り詰めた空気を嫌がっていたから、その声をきっかけに立ち上がった。
祖父母は家に残り、叔母と帰ってきたヨリも一緒に歩いて行くことになった。母と叔母が、一番後ろをついてくる形だ。先頭を歩く清夜(せいや)とヨリは何かを話しているようには見えない。その後ろを歩く京音(けいと)と自分も同じだった。
背後から、ところどころ聞こえてくるのは、叔母の愚痴のようだ。そして保険金のこと。
母は、月斗(つきと)に渡してしまったと答えている。確かにそうだ。ただ通帳はもらったけれど、銀行印は母が持っている。そんな詳しいことまでは話していない。必要もないだろう。
入学金と前期の授業料は用意しておかなければならないと話す母に、無理だという叔母。
京音から何も言うなと釘をさされていなければ、思わず自分の保険金を出すと言ってしまっただろう。
それにしても、無理だと言うだけで何もしようとしないこの人も、相当に学がない。
世の親たちは、ローンを組んで遣り繰りしているという話も聞くというのに、清夜一人に背負わせるつもりなのだろうか。
それよりこちらでは保険金がないことはとっくに分かっていたことなんだから、もっと早くに手を打っていれば少しは打開策もあったんじゃないのか。
子供の頃に感じた優しさを、何ひとつ持っていなかったこの叔母に、心底幻滅している月斗だった――。
お金の件には全く口を出さない父を情けないと思いつつも、これが親と仲たがいせずにやっていくコツなのかなと少しだけ思った。祖父とは特に難しそうだし。それに父が何も言わないことで、母としても何も言えないという免罪符になっているのかもしれなかった。
少なくとも、祖母の怒りは治まっていた。
歩きながら聞き耳を立てていることを、京音に笑われた。そして、そんなに気にしなくてもいいよと言ってくれる。
この穏やかな優しさは、きっと彼の本質だ。誰に似たのだろう。母方の祖母はあまり会うことがないから、月斗にはよく分からない。母とは似ているところはないと思うのだけれど、違うのかな。
清夜のお蔭で、いろいろな人間観察をするようになった。学校でもバイト先でも、多くの人がいてそれぞれに家族があって関わりのある人がいる。どの人もそれぞれに性格があり、個性がある。
合う人、苦手な人、でもそれぞれに付き合っていく。自分も少しは大人になっただろうか。父の背中を追いたいとは思わないが、京音の背中なら追ってみたいと思うな。彼には迷惑な話かもしれないが。
墓参を終え、家に戻ると京音と二人で祖母に呼ばれた。
台所に入ると食卓には祖母だけが待っている。
「おばあちゃん。体調大丈夫?」
京音が座りながら声をかけている。こういうところが自分との違いだ。彼は人に優しい。
自分は何も言わないまま、京音が祖母の真向かいに座り、その隣に自分が座った
月斗は、もう用がなければこの家に来ることはないだろうと思う。
祖母の話は、自らの余命がもうあまり残っていない、というところから始まった。病名だけなら、まだまだ治療の余地はあると思うものの本人がそう言うのだから、そういうことにしておこう。そして、この家から祖母がいなくなれば、更に清夜がいなくなれば、もう他人の家も同じになる。
世間でいう祖父母に対する親しみは月斗にはない。小さな頃、優しい祖母と思っていた筈なのに、清夜を托そうと思った筈なのに、今死期が迫っていると聞かされても悲しいという感情は湧き上がってこない。
母に言ったら怒られそうなことを、つい考えていた。
そういえば母はどうしているだろう。二人だけを呼ぶ祖母の真意を予測しているだろうか。それとも、ただ祖母が話をするだけとしか思っていないだろうか。
少し考えて、そんなことを思う人ではないなと思った。話があるという事実を単純に受け入れるだけの人だ。そこに不快な思いを抱くような人ではなかった。
いつも人を羨んでいるだけのような、こちらの叔母とは正反対なのだから――。
「じゃ、お墓参りに行こうか」
父が漸く言葉を発した。
みんな、それまでの張り詰めた空気を嫌がっていたから、その声をきっかけに立ち上がった。
祖父母は家に残り、叔母と帰ってきたヨリも一緒に歩いて行くことになった。母と叔母が、一番後ろをついてくる形だ。先頭を歩く清夜(せいや)とヨリは何かを話しているようには見えない。その後ろを歩く京音(けいと)と自分も同じだった。
背後から、ところどころ聞こえてくるのは、叔母の愚痴のようだ。そして保険金のこと。
母は、月斗(つきと)に渡してしまったと答えている。確かにそうだ。ただ通帳はもらったけれど、銀行印は母が持っている。そんな詳しいことまでは話していない。必要もないだろう。
入学金と前期の授業料は用意しておかなければならないと話す母に、無理だという叔母。
京音から何も言うなと釘をさされていなければ、思わず自分の保険金を出すと言ってしまっただろう。
それにしても、無理だと言うだけで何もしようとしないこの人も、相当に学がない。
世の親たちは、ローンを組んで遣り繰りしているという話も聞くというのに、清夜一人に背負わせるつもりなのだろうか。
それよりこちらでは保険金がないことはとっくに分かっていたことなんだから、もっと早くに手を打っていれば少しは打開策もあったんじゃないのか。
子供の頃に感じた優しさを、何ひとつ持っていなかったこの叔母に、心底幻滅している月斗だった――。
お金の件には全く口を出さない父を情けないと思いつつも、これが親と仲たがいせずにやっていくコツなのかなと少しだけ思った。祖父とは特に難しそうだし。それに父が何も言わないことで、母としても何も言えないという免罪符になっているのかもしれなかった。
少なくとも、祖母の怒りは治まっていた。
歩きながら聞き耳を立てていることを、京音に笑われた。そして、そんなに気にしなくてもいいよと言ってくれる。
この穏やかな優しさは、きっと彼の本質だ。誰に似たのだろう。母方の祖母はあまり会うことがないから、月斗にはよく分からない。母とは似ているところはないと思うのだけれど、違うのかな。
清夜のお蔭で、いろいろな人間観察をするようになった。学校でもバイト先でも、多くの人がいてそれぞれに家族があって関わりのある人がいる。どの人もそれぞれに性格があり、個性がある。
合う人、苦手な人、でもそれぞれに付き合っていく。自分も少しは大人になっただろうか。父の背中を追いたいとは思わないが、京音の背中なら追ってみたいと思うな。彼には迷惑な話かもしれないが。
墓参を終え、家に戻ると京音と二人で祖母に呼ばれた。
台所に入ると食卓には祖母だけが待っている。
「おばあちゃん。体調大丈夫?」
京音が座りながら声をかけている。こういうところが自分との違いだ。彼は人に優しい。
自分は何も言わないまま、京音が祖母の真向かいに座り、その隣に自分が座った
月斗は、もう用がなければこの家に来ることはないだろうと思う。
祖母の話は、自らの余命がもうあまり残っていない、というところから始まった。病名だけなら、まだまだ治療の余地はあると思うものの本人がそう言うのだから、そういうことにしておこう。そして、この家から祖母がいなくなれば、更に清夜がいなくなれば、もう他人の家も同じになる。
世間でいう祖父母に対する親しみは月斗にはない。小さな頃、優しい祖母と思っていた筈なのに、清夜を托そうと思った筈なのに、今死期が迫っていると聞かされても悲しいという感情は湧き上がってこない。
母に言ったら怒られそうなことを、つい考えていた。
そういえば母はどうしているだろう。二人だけを呼ぶ祖母の真意を予測しているだろうか。それとも、ただ祖母が話をするだけとしか思っていないだろうか。
少し考えて、そんなことを思う人ではないなと思った。話があるという事実を単純に受け入れるだけの人だ。そこに不快な思いを抱くような人ではなかった。
いつも人を羨んでいるだけのような、こちらの叔母とは正反対なのだから――。
To be continued. 著作:紫 草