『ポー川のひかり』(2006年イタリア)を観た。動機は『ポー川』のタイトルに魅せられたからだ。原題どおりであれば、見逃していたであろう。恩師から『ポー川流域の再生』と『ボローニャのまちづくり』が日本のまちづくりに参考になると口が酸っぱくなるほど聞かされていたから、一度はボローニャとポー川を旅したいと思っていたので、新聞映画評が目にとまり仕事を切り上げてなんとか観ることができた。この頃、映画は二度観ないと理解できなくなってしまった。映画途中の記憶がとんでしまうことが多くなった。この映画は、キリスト教、大学、聖職者に対し懐疑的である。冒頭の大学の歴史資料館所蔵の貴重な分厚い古書に太い釘が打ち貫かられて図書館フロア一面に散在した異様なシーンから始まる。若き有望な哲学教授が地位、すべての財産を捨て、ポー川上流域の廃屋に住んで、川辺で無許可で暮らす住民たちとの会話は、キリスト教の知識がなければ理解しがたい。ポー川流域の古木の並木道沿いにローソクの光道(警察に拘留された教授が釈放されて戻ってくるのを歓迎する意で、住民が灯火道をつくる)は美しかった。
<ストーリー>
ボローニャ大学。夏期休暇中で人気の無い大学で、守衛は大量の古文書が太い釘で打ち抜かれているのを発見する。この書物の大虐殺に、学内は一転大騒ぎとなる。容疑者として浮かび上がったのは、若くして名声を得、将来を嘱望されていた哲学科の主任教授。近く国際舞台で論文を発表することになっていたが、前日の学年末の授業を最後に忽然と姿を消す。あてもなく車を走らせる、途中でその車も捨て、車のキー、ジャケット、財布も大河ポー川へと投げ捨てわずかな所持品を手に川をたどって歩き始めた。川岸の朽ちかけの小屋を見つけた彼は、そこを住処にしようと考える。
生活用品を買いに繰り出した町で、郵便配達の青年ダヴィデにパン屋の場所を教えてもらい、そのパン屋で若い娘ゼリンダと知り合う。次の日、小屋の修理を始めた彼の元に、配達で近くを通りかかった彼女が声をかけた。
「毎朝ここを通るから、何か持ってくるわ」
ゼリンダが去ると、今度はダヴィデがやってきて、元煉瓦工だったと小屋を建て直す相談にのってくれた。その頃、ポー川から彼のジャケットなどが見つかり、警察は自殺を疑い始めていた。
小屋の近所には、共同生活を営む老人たちがいた。彼らも教授に関心を持ちはじめる。小屋の修理にダヴィデが手を貸しはじめ、老人たちも加わって、立派な家が出来上がった。いつからか彼らは、イエス・キリストに似たその風貌から、この見知らぬ男を「キリストさん」と呼ぶようになっていた。親切で純朴な村の人々との交流に、自然と教授に笑顔が戻っていた。
ところがある日、港建設のためポー川中流からの立ち退き命令が下った老人たちを助けようと、「キリストさん」はある行動にでる。それによって、一旦は自殺を疑っていた警察は彼の居所を突きとめるのだが…。