東京・椋鳥通信

東京巣鴨の地より「むらまち」の見たり聞いたり調べたりことを情報発信

『ポー川のひかり』を岩波ホールで観る

2009-08-16 | Weblog

『ポー川のひかり』(2006年イタリア)を観た。動機は『ポー川』のタイトルに魅せられたからだ。原題どおりであれば、見逃していたであろう。恩師から『ポー川流域の再生』と『ボローニャのまちづくり』が日本のまちづくりに参考になると口が酸っぱくなるほど聞かされていたから、一度はボローニャとポー川を旅したいと思っていたので、新聞映画評が目にとまり仕事を切り上げてなんとか観ることができた。この頃、映画は二度観ないと理解できなくなってしまった。映画途中の記憶がとんでしまうことが多くなった。この映画は、キリスト教、大学、聖職者に対し懐疑的である。冒頭の大学の歴史資料館所蔵の貴重な分厚い古書に太い釘が打ち貫かられて図書館フロア一面に散在した異様なシーンから始まる。若き有望な哲学教授が地位、すべての財産を捨て、ポー川上流域の廃屋に住んで、川辺で無許可で暮らす住民たちとの会話は、キリスト教の知識がなければ理解しがたい。ポー川流域の古木の並木道沿いにローソクの光道(警察に拘留された教授が釈放されて戻ってくるのを歓迎する意で、住民が灯火道をつくる)は美しかった。

<ストーリー>

ボローニャ大学。夏期休暇中で人気の無い大学で、守衛は大量の古文書が太い釘で打ち抜かれているのを発見する。この書物の大虐殺に、学内は一転大騒ぎとなる。容疑者として浮かび上がったのは、若くして名声を得、将来を嘱望されていた哲学科の主任教授。近く国際舞台で論文を発表することになっていたが、前日の学年末の授業を最後に忽然と姿を消す。あてもなく車を走らせる、途中でその車も捨て、車のキー、ジャケット、財布も大河ポー川へと投げ捨てわずかな所持品を手に川をたどって歩き始めた。川岸の朽ちかけの小屋を見つけた彼は、そこを住処にしようと考える。

生活用品を買いに繰り出した町で、郵便配達の青年ダヴィデにパン屋の場所を教えてもらい、そのパン屋で若い娘ゼリンダと知り合う。次の日、小屋の修理を始めた彼の元に、配達で近くを通りかかった彼女が声をかけた。
「毎朝ここを通るから、何か持ってくるわ」
ゼリンダが去ると、今度はダヴィデがやってきて、元煉瓦工だったと小屋を建て直す相談にのってくれた。その頃、ポー川から彼のジャケットなどが見つかり、警察は自殺を疑い始めていた。
小屋の近所には、共同生活を営む老人たちがいた。彼らも教授に関心を持ちはじめる。小屋の修理にダヴィデが手を貸しはじめ、老人たちも加わって、立派な家が出来上がった。いつからか彼らは、イエス・キリストに似たその風貌から、この見知らぬ男を「キリストさん」と呼ぶようになっていた。親切で純朴な村の人々との交流に、自然と教授に笑顔が戻っていた。

ポー川のひかり:Storyところがある日、港建設のためポー川中流からの立ち退き命令が下った老人たちを助けようと、「キリストさん」はある行動にでる。それによって、一旦は自殺を疑っていた警察は彼の居所を突きとめるのだが…。


8月15日映画『意志の勝利』をみる

2009-08-16 |  趣味
8月15日渋谷にて『意志の勝利』をみた。日経1面『春秋』に紹介され、また岩波ホール掲示板にピン止めされたチラシに時間(午後9時10分)、場所がわかったので急いで移動した。1934年9月の1週間、古都ニュルンベルク(ニュルンベルク裁判の舞台)でのナチス党大会(第6回)のドキュメンタリー映画で、ドイツでは上映禁止という。監督は、レニ女史(102歳で逝去)。映画のプロローグは、ヒトラーの命令で制作された。雲海の上を飛ぶヒトラーを乗せた双発機を映す並航する飛行機から街、高塔、そして整然と行進する党員のエンドレスのような隊列(音楽隊、親衛隊の姿も)が映し出される。片手を高く掲げ、長ブーツを履いた足を高くあげて整然と行進するパレードを30台のカメラが収める。映像には、ナチスを支える幹部(ヘス、ゲッペルス、ヒムラー、ゲーリング・・・)には名前クレジットが付くのでアーカイブにも貴重なフイルムである。ヒトラーの青年団集会での演説で、ヒトラーは熱弁をふるう。弁舌はすばらしく圧倒される。『平和を愛し従順で勇敢であれ。心身を鍛えろ。困難に耐えひるまず立ち向かえ。我々の前にドイツがあり、我々は国と共に歩み、振り向けばドイツがあるのだ。』
閉会宣言では、ヒトラーは締めくくる「7人の党が抵抗勢力を排除しながら、今日にいたった。党内には反勢力はいない・・・。【優秀な人間の集まりである】党、ドイツは永遠。」
ナチス党歌のテロップと鉤十字の党旗に交じって、1923年ミュンヘン一揆で使われた血染めのほころびた党旗があるとナレーションで紹介されて画面が白くなり終映となった。
  <党歌>
1.
旗を高く揚げよ!
隊列は厳然たれ!
雄々しく確固たる歩武もて
突撃隊は行進す。
赤色戦線と反動勢力の
弾に斃れし同志らは
魂魄となりて尚も
我らが隊伍と共に邁めり。

<ナチス幹部のその後>
ヘス   :彼は終身禁固刑の判決を受け、1987年8月17日、ベルリンのシュパン      ダウ刑務所で最期の囚人として93歳で死去。
ゲッペルス:ヒトラーの最期を始末し、1945年5月1日、5人の娘と1人の息子に      青酸カリを与えて殺したあと、マグダ夫人と共に自殺し、夫婦でナチ      党に殉じた。
ゲーリング:家族を連れ、オーストリアのゲーリング所有の城へ疎開。1945年5月7      日、ラートシュタット近郊でアメリカ軍に逮捕されヒルシュホルン城      に拘禁される。ニュルンベルク裁判では一貫して無罪を主張「        「私は戦争を望んでもいませんでしたし、それを始めもしませんでし       た。外交交渉によって戦争を阻止する為に全力を尽くしました。しか      し、いったん戦いの口火が切られた後には、勝利のために全力を尽く      しました。地球上の三大国が、他の国々と一緒に、私達に対して戦い      を挑み、結局、私達は、圧倒的な敵の優位に屈しただけなのです。私      は、私が行なったことで被告席に立っていますが、戦争手段によっ       て、他国民を服従させようとか、彼らを殺害しようとか、彼らを略奪      しようとか、彼らを奴隷としようとか、虐殺や犯罪を犯そうと願っ       て、行動したの  ではないと断言します。」
      (1946年8月31日最終陳述)

      ホロコーストに関し、知らなかったと主張。
      「その数が余りに膨大なために信じなかった。また数百万のユダヤ人       虐殺は技術的に不可能だ」と主張。

      戦争に関する証言

     「……もちろん、国民は戦争を望みませんよ。運がよくてもせいぜい無      傷で帰って来る位しかない戦争に、貧しい農民が命を賭けようなんて      思うはずがありません。一般国民は戦争を望みません。ソ連でも、イ      ギリスでも、アメリカでも、そしてその点ではドイツでも同じ事で       す。政策を決めるのはその国の指導者です。そして国民は常に指導者      の言いなりになるように仕向けられます。
      ……反対の声があろうがなかろうが、人々を政治指導者の望むように      するのは簡単です。
      国民にむかって、われわれは攻撃されかかっているのだと煽り、平和      主義者に対しては、愛国心が欠けていると非難すればよいのです。そ      して国を更なる危険に曝す。このやり方はどんな国でも有効です        よ。」

      裁判中にゲーリングのモルヒネ中毒は治癒し、病的な肥満も解消さ       れ、戦時中の無気力ぶりから一転した自信満々の態度で、勝利者のよ      うに堂々と陳述している。しかし判決は絞首刑に決まり、執行の当日      1946年10月15日、青酸カリのカプセルを飲み込んで自殺。
ヒムラー :逃亡中につかまり、1945年5月23日、収容所の取調べで自ら「私はハ      インリヒ・ヒムラーだ」と名乗り、政治的交渉を行おうとしたが、認      められず、全裸にされ身体検査を行われた際に軍医が口の中を調べよ      うとしたところ、奥歯に隠し持っていたシアン化カリウムのカプセル      を噛み砕いて自殺。


『ゲノムひろば2009 in アキバ』 に立ち寄る

2009-08-05 | Weblog
2009年8月2日(日)文京区シビックセンターでの『文化財・・・』シンポを途中抜け出して、中央線で秋葉原に出て、『ゲノムひろば2009 in アキバ』の閉場1時間前に入場する。日本の最先端の若手ゲノム研究者と市民との交流することを趣旨としたもので、会場の各ブースでは、研究者が学生等に出来るだけわかりやすく説明しているようだが、やはり話は難しい。8月1日にTV『世界で一番受けたい授業』に出演されたひげの宮川先生の話には人だかりができていたので、その輪の中に入って話を聞いた。ゲノムを解析することでうつ等の治療に役立つという。また、ゲノムが人の相性を決めると説明されていたのが、印象深かった。出口でアンケートに答えてゲノムマップをゲットした。
遺伝子という考え方の確立 ・遺伝法則の発見(メンデル)
・DNAの発見(ミーシャー)
1900年代 ・染色体と遺伝法則の関連を説明(サットン)
・ゲノム概念の提唱(ヴィンクラー)
・DNAが遺伝物質であることの証明(エーヴリーら)
・1遺伝子1酵素仮説(ビートルとテータム)

遺伝子システムの理解 1950年代
・DNA二重らせん構造の解明(ワトソンとクリック)
・DNAの半保存的複製の証明(メセルソンとスタールら)

1960年代 ・遺伝暗号の解明(ニーレンバーグら)

1970年代 ・組み換えDNA技術の開発(バーグら)
・DNA塩基配列決定法の開発
・ΦX174ファージのゲノムDNA配列を決定(サンガーら)
“ウィルスゲノム初解読!”

遺伝子解析技術の発展 1980年代 ・PCR法の開発(マリスら)
・ヒトゲノム全塩基配列決定計画の提案(ダルベッコ)
・アメリカにヒトゲノム研究所設立
・HUGO(ヒトゲノム国際機構)設立

ヒトゲノム
プロジェクトの始動 1990年代 ・ヒトゲノム計画が公式にスタート
・新プログラム「ヒトゲノム解析研究」(~1995/日本文部省)
・東大医科学研究所ヒトゲノム解析センター設立
・イギリスにサンガーセンター設立

1995年 ・インフルエンザ菌のゲノム解読(フライシュマら)
“独立生活する生物のゲノム初解読!”

1996年 ・特定領域研究「ゲノムサイエンス」(~2000/日本文部省)
・出芽酵母のゲノム解読(国際共同研究)
“真核生物のゲノム初解読!”

1997年 ・「ヒトゲノムと人権に関する世界宣言」採択(ユネスコ)
・枯草菌ゲノムの解読(国際共同研究)
“日本のグループが主導!”

加速するゲノム解読 1998年 ・セレラ社設立
・理研ゲノム科学総合研究センター設立
・線虫C.エレガンスゲノム解読(国際共同研究)
“多細胞生物ゲノム初解読!”

1999年 ・ヒト22番染色体の解読(国際共同研究)
“ヒト染色体初解読!”

2000年 ・ショウジョウバエゲノムの概要配列発表(セレラ社)
・特定領域研究「ゲノム」(~2004)(日本文部科学省)
・ヒト21番染色体の解読(国際共同研究)
“日本のグループが主導!”
・シロイヌナズナゲノムの解読(国際共同研究)
“植物ゲノム初解読!”

2001年 ・ヒトゲノムの概要配列発表(国際共同研究およびセレラ社)

2002年 ・マウスゲノム解読(国際共同研究)
・イネゲノム解読(国際共同研究)
“日本のグループが主導!”

2003年4月14日
・ヒトゲノム解読完了(国際共同研究)

2004年 “二重らせんの発見から50年目!”
・ヒトゲノムの完全解読論文の発表
・イネゲノム完全解読(国際共同研究)

2005年 ・チンパンジーゲノムの解読
・ヒトのハプロタイプマップの発表

『文化財がつなぐ地域と子ども』シンポに参加して

2009-08-05 | Weblog
2009年8月2日(日)文京区シビックセンターでの文化財がつなぐ地域と子ども』シンポに参加する。主催は文化財夢工房。各地での取り組みが紹介される。
アドバイザーの奥村さんは、5人の発表者の話を聞きながら、パソコンにポイントを簡略化し、『デザイン』の意義をパワーポイントでまとめてコメントするのに圧倒された。同時通訳に驚くように、人の話をパソコンに入力する理解力に感心した。内田先生の民族文化について『西欧米はキリスト教、ロシアは家族、日本は共同体が絆となっている。日本が危うくなるのは、共同体が崩壊するときである。』と紹介された。
思うに、日本の農山村の共同体が崩壊すると、日本の運命は尽きるのでは・・・。民主党が農山村に補助金を注入して、農山村の立て直しを図る施策も一理あると・・・。
開催趣旨
 第3回NPO法人文化財夢工房シンポジウムのテーマは「文化財がつなぐ地域と子ども」。各地で、文化財を活用した学校における授業のほか、NPO等が主宰する体験学習、民俗芸能の伝承などを通じて、地域の大人(おもにシルバー世代)が主体となって、子どもたちの地域の歴史や文化財に関する理解を促進し、文化財を大切にする心を養うための試みが数多く行われている。これらの実情を広く知らせることも、当法人の使命のひとつ。これらの試みは、文化財の保護に役立つことはもちろん地域の活性化という問題においても、大きな可能性を秘めていますが、さまざまな意義がある半面、課題も多い。そのため、これらの具体的事例を材料として、各地域、団体が抱いている夢や理想、その実現のための問題点などについて議論する。




アドバイザー 奥村 高明(文部科学省初等中等教育局教育課程課教科調査官)
内田 俊秀(京都造形芸術大学芸術学部教授)
発表及び討論 「学校の授業における文化財の利用」
渡邊 雄二(宮城県仙台市立富沢中学校教諭)
「GPSによる文化財の所在調査」
松下 正和(神戸大学大学院人文学研究科特命講師/歴史資料ネットワーク副代表)
「NPO法人楽古の歴史普及活動
―体験学習と指定管理の取り組み―」
渡邉 淳子(奈良文化財研究所特別研究員/NPO法人歴史体験サポートセンター楽古会員)
「古民家の保存と、そこにおける民俗芸能の伝承活動」
井上 明次(和光市古民家愛好会代表)
伝統の絆
江戸の民家を守ります(和光市)
埼玉県内で現存する最古の部類に入る300年前の民家を保存しながら、ふるさとの文化、伝統を学び伝えるために活用している。管理を請け負っているのは、会長の井上さん(前列中央)をはじめとした和光市古民家愛