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新撰組

2017年01月09日 | 旅行
冬の京都 新撰組の巻
1.島原角屋
今で言う料亭にあたる揚屋。元々は、一階は台所や居住部分、二階がお座敷で、お客さんが二階に揚げたから揚屋というそうです。やがて一階の大座敷と庭を見ながら大宴会となったようで、このようなお庭が。

松の間は、昭和60年まで営業していたそうで、一見さんお断り、付けのみだったそうです。
二階の網代の間ですね

幕末には西郷隆盛や坂本龍馬などもこで会ったとか。
新撰組も。新撰組は付け払いだめという書面が残っていました。踏み倒してたのですね…
芹沢鴨は角屋での宴のあと八木邸に帰宅し暗殺されたそうです。

2.壬生寺

新撰組が、境内で武芸や大筒の訓練が行われたそうです。沖田総司はここで子どもと遊び、近藤勇は壬生狂言を楽しんだとか。
狂言堂が特別公開。狂言の舞台です。曲芸のような演目もあるとか。厄を落とす炮烙割。えっこんなに大きな!というものを落として割るらしいです。壬生狂言一度見てみたくなりました。

3.八木邸
新撰組の屯所。かつては洛中に隣接した農村で見通しがきく。二条城の天守閣が見える。祇園まで往復一時間半、市中見廻りによい。などがこの場所になった理由とか。

頓所餅頂きました!

芹沢鴨が躓いた(?)文机や刀傷が残っていました。手狭になり、防御の面も考えて西本願寺に移るまで縮所とした。
ガイドの方が言ってましたが、新撰組が屯所にするとなると、家主らは転居したそうなのですが、八木家は留まったので新撰組のあれこれが今日まで伝わったとのこと。負けた側の記録や記憶は消されたり、変えられたりしますものね。

4.光縁寺
隊士の墓所。木戸を開けて入ると、住職さんが出て来てお話してくれました。そして、お墓にお参りしました。
お庭にあったのが、これ。




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