ウォーク更家の散歩 (東海道、中山道、日光街道、奥州街道)

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中山道を歩く(完全踏破の一人旅)

雑司ヶ谷霊園  (池袋界隈散策)  2016.9.3

2016-09-04 11:54:24 | Weblog

(上の写真は、お参りが絶えない雑司ヶ谷霊園の「竹久夢二」の墓)

昨日(9/3)は、池袋まで出掛けたついでに、
池袋界隈の「雑司ヶ谷霊園」を散策して
来ました。

我が家のある横浜からだと、池袋駅は東急東横線
で1本ですが、「雑司ヶ谷霊園」は、その池袋駅
の一つ手前の雑司ヶ谷駅から歩いて直ぐです。


写真は、霊園のメインストリートのケヤキと
イチョウの並木です。


メインストリートの端に斎場があり、その脇に
公園管理事務所があります。

霊園を巡る前に、先ず、雑司ヶ谷霊園の散策方法
をご紹介します。


以前に、谷中霊園散策の際にご紹介した方法と
同様に、 先ず公園管理事務所へ行き、上の写真
の雑司ヶ谷霊園の地図(無料)を貰います。

(谷中霊園散策については、2015/4の「谷中霊園
散策」を見てね。)
この地図の裏面に、著名人のお墓の一覧表が
あります。



この著名人のお墓一覧表で、行ってみたい著名人
の番号を調べたうえで、表面の地図上のこの番号
の場所を目指します。

近代化を推し進める明治政府は、欧米並みの
清潔な墓地を整備するため、明治7年、徳川家
の御用地跡に雑司ヶ谷霊園を作りました。

メインストリートの並木の中程に、「御鷹
(おたか)部屋と松」の説明板があり、
その奥に写真の大きな松の木があります。

説明板によると、江戸時代には、この辺りには
幕府の御鷹部屋があり、鷹狩りの際には将軍が
休息する部屋があり、この松はその御鷹部屋の
敷地内にあったそうです。

・小泉八雲 (ラフカディオハーン)
 
        (霊園のパンフレットから)
  有名な「怪談」等の作家で、日本に帰化した
  「小泉八雲」の墓です。

  八雲に怪談などの話をしてあげたという八雲
  の妻のセツ子の墓が仲良く並んでいます。
  セツ子の墓は、武士の娘らしく、八雲の墓
  から半歩下がった位置に建てられています。
  八雲とセツ子は、生前、雑司ヶ谷霊園をよく
  散歩していたそうです。
・竹久夢二



 (霊園のパンフレットから)

  大正ロマンを代表する叙情派の大衆画家で
  詩人の「竹久夢二」の墓です。
  愁いを帯びた眼差しの「黒船屋」等の美人画
  や、「宵待ち草」等の詩で、若い女性達の心
  をとらえて一世を風靡しました。
  隣の墓との境界になる囲いの塀もなく、
  想像したよりも小さな黒御影石の墓には、
  ”竹久夢二を埋む”、と刻まれていました。
  台座は、夢二のアトリエにあった石を使って
  いるそうです。

  墓の裏に回ると、上の写真の様に、本名の
  「竹久茂次郎」が刻まれていました。

  ”茂次郎”じゃあねぇ~・・・、やはり
  ”夢二”でないと、美人画や抒情詩は
  売れないヨなあ~・・・
・夏目漱石



(霊園のパンフレットから)
  近代文学の礎を築いた明治の文豪・夏目漱石
  の前頁の写真の高さ3メートルの巨大な墓は
  安楽椅子の形を模したのだそうです。
・ジョン万次郎 (中濱万次郎)

(霊園のパンフレットから)
・永井荷風



(霊園のパンフレットから)

・小栗上野介


最後は、本日の私の墓参りの目的である「小栗
上野介忠順」(おぐり こうずけの すけ 
ただまさ)の墓です。

(霊園のパンフレットから)

私が尊敬する「小栗上野介」は、幕末の幕臣で、
勘定奉行、江戸町奉行、外国奉行などの幕府の
要職を歴任しました。
そして、小栗は、驚くことに、坂本龍馬の亀山
社中よりも先に、兵庫商社という日本初の株式
会社を作ったり、日本初の洋風ホテルを建設
したりしていました。

1860年、小栗は米艦ポーハタン号で渡米、日米
修好通商条約批准で米国とわたりあいました。
その後は、江戸幕府の財政再建や、洋式軍隊の
整備などに邁進します。

1868年、明治政府の時代になると、小栗は領地
だった上野国(群馬県)に隠遁しますが、
間もなく謀反の疑いで逮捕され、逮捕の翌日
には逆賊として斬首されました!

取り調べも行わず斬首したのが後ろめたかった
のか、明治政府は、後に逮捕の理由として、
勘定奉行時代の徳川家の大金隠蔽(徳川埋蔵金説)
の首謀者だったとの噂を流したりします。

そして、明治政府は、意図的に、小栗上野介の
名前と功績を歴史から消し去ります。

総理大臣・大隈重信は、後にこう語ったそうです。
”小栗は謀殺される運命にあった。
何故なら、明治政府の近代化政策は、小栗の
それをそっくり模倣しただけだったからだ。”

同情した地元の農民達が建てたという慰霊碑
には、”罪なくして 此処に斬らる”と
刻まれています。

小栗の功績のひとつに、幕末の横須賀造船所
の建設があります。
これらの小栗の功績を、司馬遼太郎は、
”明治の父”と褒め称えたました。

日本が日露戦争でバルチック艦隊を破ることが
出来たのは、この横須賀造船所があったお蔭だ
と言われています。
元帥・東郷平八郎は、後に小栗上野介の子孫を
自宅に招き、こうお礼を言ったそうです。
”日本海海戦の勝利は、小栗さんが横須賀造船所
を作っておいてくれたお蔭です。”

小栗が横須賀造船所を建設する際、財政難のうえ
に、官軍に対し劣勢の幕府内部で、これから軍艦
を建造しても戦いに間に合わないと猛反対を受け
ます。
そのときの幕臣とは思えない小栗の次の驚くべき
反論に、私は感銘を受けました。
”幕府の運命に限りがあっても、日本の運命には
限りがない。”

雑司ヶ谷霊園から坂を下り、荒川線の線路に
出ます。




荒川線の線路沿いに雑司ヶ谷駅まで歩いて、駅の
脇からケヤキ並木の「雑司ヶ谷 鬼子母神
(きしもじん)」の参道へ入って行きます。


雑司ヶ谷鬼子母神の本堂は、1664年の創建で
都文化財です。

樹齢600年の大イチョウがありますが、江戸時代
から境内で売られていたという「すすきミミズク」
が有名です。



 




(昔から境内でやっている有名な駄菓子屋さん)
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嬬恋村 (群馬県) 2016.8.16

2016-09-03 22:05:41 | Weblog

(写真は、キャベツ畑の中の「愛妻の丘」)

先月のお盆休みに、万座温泉に1泊した翌日の
話しです。

翌朝は昨日の逆のコースで、万座亭を出てから、
西武高原バスで万座ハイウェーを経て、J万座
鹿沢口駅へ向かいます。

J万座鹿沢口駅からは車で、「嬬恋パノラマ
ライン」を北ルートから出発し一周しました。


暫く山の中を走り、その山道を抜けると、道路の
周りはキャベツ畑が続きます。



間もなく、写真の「愛妻の丘」に到着しました。






ここは、毎年行われる「キャベツ畑の中心で愛を
叫ぶ」の舞台らしいです。



上の写真のポストは、ラブレター専用らしいです・・・

愛妻の丘を出ると、見渡す限りキャベツ畑が
延々と続きます。




圧巻のキャベツ畑は、一見の価値がありました。


所々で収穫風景も見られます。

群馬県は、夏秋キャベツの全国収穫量の53%の
シェアを誇る日本一のキャベツ生産地です。

中でも、嬬恋村はキャベツの生産が盛んで、
群馬県内の生産の約9割を占めています。

嬬恋村では、4月から標高の低い畑から順に定植
していきます。

そして、夏秋(6月~10月)の約5ヶ月間、標高
の低い畑から順にキャベツを出荷します。





パノラマラインを北ルートから南ルートへ向って、
パノラマラインをほぼ一周してから、次に、
「鎌原(かんばら)観音堂」へ向かいます。

天明三年(1783年)、浅間山は大噴火しました。
何と!、噴火の音は京都まで聞こえたそうで、
噴煙は成層圏まで上ったと推定されています。

浅間山の噴火により土石流が発生、ここ人口
570人の鎌原村は一瞬で埋没しました。
鎌原村の570人の村民のうち、土石流の発生を
予感して、村の「鎌原観音堂」の石段を駆け
上がって助かったのは93人でした。


「鎌原観音堂」には、現在は、写真の様に15段の
石段がありますが、1979年の発掘調査で、大噴火
時は、その下に更に35段の石段があった事が
確認されました。

(この35段の石段は、現在は、噴火時の膨大な
 土石流によって、下の写真の赤い橋の下に
 埋もれています。)


そして、この35段の石段の発掘調査では、
更なる衝撃的な事実が発見されました!

現在は埋まっている35段の石段の下から一段目
から七段目にかけて、折り重なるようにして
倒れている二体の遺骨がありました。

この二体の遺骨は、二人とも女性で、若い人が
年老いた人を背負っている状態で発見されました。

家から走って逃げて来たのでしょうから、仮に
背負っていなければ、35段は登りきれた
でしょう。

”運命の石段”に足を掛けながら、あと少しで、
・・・なんとも痛ましい情景です・・・

後ろに迫ってくる土石流の音を聞きながら、最後
まで必死に背負ったまま、投げ出さなかった
のです。


(鎌原観音堂)


観音堂の横の上の写真の民家は「おこもり堂」と
いい、地元の人が毎日詰めて供養をしている
そうです。


鎌原観音堂の下には、上の写真の「三十三回忌
供養碑」が建っていました。

この碑は、生き残った93人の人達が、三十三回忌
の際に建立したそうで、碑の4面には、477人の
犠牲者の名前が彫られているそうです。

観音堂の脇の石段を上ると直ぐに下の写真の
「嬬恋郷土資料館」がありました。



浅間山噴火の資料や埋没した鎌原村から発掘した
出土品などを展示しています。

(入館料300円、水曜休館)

この資料館の展示資料の説明の中で、私が驚いた
のは、「村の復興策」に関する下記の部分です。

「生存者93人の中で、夫を亡くした妻と、妻を
亡くした夫を再婚させました。

また、子を亡くした老人に、親を亡くした子を
養子として養わせました。」

え、えッ~?、嘘っ~!、復興のためとはいえ、
江戸時代には、そんな結婚までさせるの?


当時の百姓は、結婚や養子縁組の際は、家筋とか
素性に非常に拘っていたそうです。

このため、生存者93人による復興に向けて、
これまでの身分や血筋を取り払い、生き残った者
同士で強引に祝言をあげさせた、とあります。

凄い話だなあ~・・・

嬬恋郷土資料館から万座鹿沢口に戻ります。



万座鹿沢口の町中で唯1軒だけ営業していた
ソバ屋で遅い昼食を食べてから、万座鹿沢口15:25
発の我妻線に乗り帰宅しました。

万座鹿沢口(15:25)→(15:39)長野原草津口(15:43)→JR高崎・我妻線[草津4号]
→上野(18:09)→JR京浜東北線→横浜
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世界鉄道博 (パシフィコ横浜) 2016.8.18

2016-09-03 20:12:50 | Weblog


(写真は、世界鉄道博のポスター)
鉄道ファンの私は、パシフィコ横浜で開催中の
「世界鉄道博2016」に行って来ました。
(9月11日(日)まで、入場料 1,500円)


場所は、地下鉄・みなとみらい駅の2階から直接
行ける「パシフィコ横浜」の展示ホールAです。




この鉄道博は、原鉄道模型博物館(横浜)の
4周年記念の一環です。

「原鉄道模型博物館」では展示されていない収蔵
模型を展示するとの事だったので行ってみたく
なりました。

夏休み中ということもあり、かなりの混雑を覚悟
して行ったのですが、会場が広いせいもあり、
拍子抜けするくらいに空いていました。

入館すると、壁沿いのショーケースに、原信太郎
氏が収集した約1,000両の鉄道模型コレクション
が、国別に並んでます。







展示エリアは、ヨーロッパ、北米、日本の3つの
ジオラマ・コーナーに分かれていて、「Oゲージ」
(オーゲージ=レール幅32ミリ)の鉄道模型が
走っています。

(普通よく見るのは、レール幅9ミリの
「Nゲージ」です。)





上記の3つのジオラマ・コーナーの奥は、色々な
国の列車が入り乱れて走る「シャングリラ鉄道」
の巨大ジオラマで、こちらも「Oゲージ」 の
鉄道模型が走っています。


他にも、機関車トーマスのコーナーや、乗車
出来るミニトレイン等もありました。




また、出口近くには、土産品コーナーがあり、
鉄道博オリジナル品や、各種鉄道グッズ、鉄道
部品等も売っており、ついつい買いそうになり
ました・・・





私見ですが、未だ「原鉄道模型博物館」へ行って
いない方は、この世界博よりも原博物館の方が
お薦めです。
原博物館のジオラマは、レトロな昭和の町並みが
再現されており、また、動力は、本物同様に架線
からパンタグラフで電気をとる仕組みです。

更に、原博物館の方は、鉄のレールと鉄の車輪で
本物と同じに作られているので、本物ソックリの
走行音が楽しめます。

(原鉄道模型博物館については、2012/7の「原
鉄道模型博物館」を見てね。)

これから、両方に行こうという方へは、両方の
セット券1,900円がお得です。


世界鉄道博を出ると、隣の展示ホールで、
「トミカ博2016 横浜」をやっていました。

こちらは、トミカの販売元「タカラトミー」主催
のミニカーの展示会で、毎年開催されています。

(今年の横浜トミカ博は、21日(日)迄で、現在
は既に終了しています。)

こちらは、世界鉄道博と違い、入場券売り場の前
は長蛇の列です。

迷いましたが、有名なトミカ博に一度も行った事
がないこともあり列に並びました・・・

入場料は1,000円ですが、この中には、入場の
ときに渡される下の写真の入場記念トミカ
「TDM スイマックス」の料金も含まれています。

入場記念トミカが3種類あり、ダイハツミゼット
もあったので、おじさんにとっては訳の分から
ないスイマックスよりも、ダイハツミゼットを
選べばよかったなあ~、とあとで後悔しました。


走り回る子供達の叫び声、ベビーカーを押して
走り回るお母さん達の群れ、赤ん坊の泣き声と、
会場内はほぼカオス状態です・・・

一番人気は、オリジナルのトミカが作れる
「トミカ組立工場」らしくて長蛇の列です。
これは、色違いのパーツから好きなパーツを選ぶ
と、組立のスタッフが目の前で組み立ててくれる、
という他愛のないものです。
また、運転席に座って写真を撮る「ドライバ
ー工房」など、何れも我々から見ると
他愛のないものばかりです・・・

他にも、人気のコーナーがあるみたいなのですが、
凄い混雑で、人の後頭部しか見えないので、何の
コーナーか分からず、ご紹介出来ません。
(ゴメンなさい。)
カオス状態の会場から一刻も早く逃れたく、
早々に出口へ向かいました・・・

本日、印象に残ったのは、世界鉄道博の閑散
とした風景と、異様に過熱したトミカ博の
風景でした。

鉄道ファンには、乗り鉄、撮り鉄、スジ鉄、
駅弁鉄、音鉄、収集鉄、模型鉄と色々とあります。
その中で、海外タイプの模型鉄は、一定のファン
層の間では人気を保ってはいるのでしょうが、
全体の比率からするとそれほど多くない
ということなのでしょうかね。
一方、大宮鉄道博物館、京都鉄道博物館、名古屋
リニア鉄道館の大人気からは、模型よりも実物に
人気があり、乗り鉄や撮り鉄ファンが多いことが
窺えます。
(大宮鉄道博物館については、2014/5の「鉄道
博物館(大宮)」を見てね。)
また、小さな子供達の間でのトミカのミニカー熱
が全く衰えていないことを感じました。

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