ウォーク更家の散歩 (東海道、中山道、日光街道、奥州街道)

http://www7b.biglobe.ne.jp/~akamine/
中山道を歩く(完全踏破の一人旅)

東海道を歩く (19:府中宿)[静岡市街] 6km

2011-10-30 01:40:41 | Weblog

(写真は安倍川餅)

一夜が明け、前日に続いて、峠越えのコースです。

旧東海道は、私は、駿河湾の松林に沿った快適な
ウォーキングのイメージだったのですが、意外と峠越え
のコースが多く驚いています。

峠越えの途中で日没になると嫌なので、早朝に、駿府城
の大手門をスタートします。



お城周辺は、通勤・通学の若い人たちの自転車ラッシュ
です!
静岡市は、東京・横浜と違って全て平地なので、自転車が
走り易そうです。

”府中”宿は、駿河の国の国府が置かれた場所の意味だそう
です。
徳川家康が少年期に、今川家で人質生活を過ごした処です。

また、「東海道中膝栗毛」の作者の十返舎一九の生誕の地
でもあります。

しかし、府中宿は、静岡市の繁華街と重なるため、宿場町の
雰囲気は全く残っていません。

静岡の市街地を抜けると、府中宿と丸子宿の境の安倍川に
差し掛かります。
そう、安倍川餅で有名な安倍川です。

写真の安倍川餅の江戸時代からの老舗の”石部(せきべ)屋”
に立ち寄ります。


しかし・・・
早朝スタートが仇となり、開店の1時間前です。
残念!

つきたての安倍川餅を食べたかったのに~!
(仕方なく、帰りに、静岡駅で冒頭の写真の安倍川餅を
買いました。)

安倍川を渡ります。
安倍川は想像もしなかった程に、広い川幅と長い橋です!

多摩川よりも川幅が広く橋も長いです。
橋を歩いて渡るのに時間が掛かります。




「東海道中膝栗毛」では、弥次さん喜多さんは、安倍川を
人足の肩車で渡ります。

人足は、二人を肩車にして、流れの速い川を、肩まで水に
浸かりながらも無事に渡り終えます。

急流で危なかったので、二人は、人足への渡し賃をはずみ
ます。
これを受け取った人足達は、水かさが膝の半分もない川上
の浅いところをサブザブと歩いて向こう岸に戻ります。
これを見て、騙されたことに気付いた弥次さん喜多さんは
悔しがります。

安倍川を渡ると丸子宿です。


府中宿から丸子宿まで約6キロです。


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東海道を歩く (18:江尻宿)[清水港] 11km

2011-10-29 14:37:50 | Weblog

(写真は、森の石松を殺した都鳥の供養塔)

”江尻宿”といっても皆さんピンとこないと思いますので、
”清水港(しみずみなと)”と置き換えた方が良いと
思います。
そうです。
あの有名な東海道一の大親分の清水次郎長が住んでいた
のが、この”江尻宿(清水港)”なのです。

JR新清水駅前の綺麗な商店街の「清水銀座」辺りが宿場町
の中心だったらしいです。
江尻宿(清水港)の中心街を抜けて、稚児(ちご)橋を渡り、
旧東海道をしばらく進むと、追分道標の近くに、下の写真の
江戸時代の雰囲気を残す店構えの「追分羊羹(ようかん)」
がありました。




(上の写真は稚児橋です。)
その追分羊羹の店の近くに、冒頭の写真の”都鳥”の供養塔
がありました。
写真の説明板によると、清水次郎長は、遠州都田の吉兵衛
(通称”都鳥”)に殺された子分の森の石松の無念をはらす
ために、都鳥を、ここ(追分)で討った、とあります。
でも、先日のNHKテレビによると、清水次郎長は、明治時代
になってからは、江尻宿で英語塾を開いていたそうですから、
江戸時代って、つい最近なんですね!

更に進み、江尻宿から府中宿へ向かいます。
旧東海道を歩きますが、旧東海道といっても、もう完全に
静岡の市街地で、街中をただひたすら歩くという感じです。

左手に、静岡開催のプロ野球をやる時の草薙(くさなぎ)
競技場が見えます。



JR静岡駅(府中宿)に到着!

朝の9時に由比駅を出発して、夕方の6時にJR静岡駅に到着、
万歩計は4万5千歩を示しています。さすがに疲れました。

静岡駅周辺のホテルを探し始めます。
何軒も訪ねますが、明日、静岡市で催し物があるとかで、
全て満室です・・・ 参ったな!

疲れてこれ以上歩けないし・・・
途方に暮れて、駅構内の静岡市の観光課に相談へ・・・
”駅から少し遠いですが、1軒だけ空いているかも”、
と・・・
iPad2に、そのホテル名を入力して、暗くなった静岡の
繁華街を、ナビに従い、速足でそのホテルに直行します。

”シングルは満室ですがダブルなら”、と・・・
とにかく、横になりたい・・・”何でもOKです”・・・

シャワーを浴びると、少し元気が出ました。
夕食は、近くの割烹に入り、焼酎を飲みながら、興津膳
という地元食材の料理を食べました。

旨い!

やはり、料理は新鮮な地元の食材に限ります!
静岡では、やはり駿河湾の食材を満喫しましょう!

江尻宿から府中宿まで約11キロです。
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東海道を歩く (17:興津宿) 4km

2011-10-28 13:37:59 | Weblog

(写真は、薩た峠から興津宿への下り坂)

薩た峠からは、写真の様なけもの道?を興津へ下って
行きます。

しかし、距離は意外と短く、箱根越えに比べれば楽勝の
ハイキングでした。

坂を下り切ると、海岸線近くで、清流の興津川を渡り、
興津宿の町に入っていきます。

興津駅の周辺で食堂を探しますが、1軒もありません!

え~っ! また~!
仕方なく、隣の農協の直売所でオニギリを買い、駅の狭い
待合室で、駅員さんと睨めっこしながら、オニギリを
頬張ります。
どうも、原駅といい、富士川駅といい、興津駅といい、
静岡県人は堅実な県民性で、外食しないのでしょうか?

かなりの大きさの町のJRの駅なのに、周辺に食堂が1軒も
ない、というのが、横浜で生活している私には、どうも
ピンときません?

興津宿は、残念ながら往時の面影はほとんど残っていません
でした。
下の写真の興津宿公園で一休みしながら、江尻宿への
旧東海道の道順を確認します。

右手の石段の上に、徳川家康ゆかりの清見寺を眺めながら
進みます。

暫くの間、旧国道1号を歩きます。
そして、国道と旧東海道の分岐の目印となる細井の松原
を過ぎると、やがて江尻宿に入ります。



興津宿から江尻宿まで約4キロです。
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東海道を歩く (16-2:由比宿・薩た峠) 9km

2011-10-27 11:23:24 | Weblog

(写真は、薩た峠からの絶景)
本日は快晴です!

前回の由比でのサイクルのおじさん達のアドバイスを
受けて、快晴の横浜駅を早朝6:38に出発、9:00に
由比駅に着いて、薩た(さった)峠を目指して歩き始め
ます。
JR由比駅を降りて、標識に従い右手の旧道に入ります。
少し歩くと、狭い道の両側に、江戸時代の旧家の面影を
残すくぐり戸・格子造りが並ぶ倉沢・寺尾宿に入ります。

写真は、倉沢本陣跡です。

倉沢・寺尾は「間宿(あいのしゅく)」といって、宿場間の
距離が長い所、峠等の難路の入口などに休憩を目的に
つくられた宿です。

写真は、小池邸です。


倉沢を歩いていると、地元のおじいさんが、
”どちらから来られました?”
と話しかけてきました。

”横浜から来ました。由比・倉沢はホントに
良いところですね。 是非、もう一度来ますよ。”
と言うと、嬉しそうな顔になって、
”ちょっと待って下さいね。パンフレット類を取って
来ますから。”
と言って、由緒ありげな古い建物の中へ駆け込んで
いきました。
暫くすると、手に沢山のパンフレットと説明書を持って
出て来ました。
それを手に、嬉しそうに色々と説明してくれ、
”古い説明書も混じってますが、今度来る時の為に
どうぞ!”と、
8種類ものパンフレットと資料を頂きました。
その親切心に感激!

倉沢を抜けると、いよいよ江戸時代の断崖絶壁の難所と
いわれる薩た峠への登りが始まります。



道は、緩やかな登り坂となり、周辺がミカン畑の坂を
登り切ると、間もなく駐車場の見晴らし台がありました。

見晴らし台からの眺めは、広重の「由比薩た峠」のそのまま
の絶景です!

さすが、東海道一の富士の名所と言われるだけのことは
あります。
絶景に見とれていると、反対側の遊歩道から登ってきた
若いアベックが、”この下に、もっと良い展望台があります
よ。”と教えてくれました。

見晴らし台から、遊歩道を少し下ったところに、確かに、
更に良い展望台がありました!
ここで写真を撮ります。
冒頭の写真の様に、秋晴れの青空と、駿河湾の深い青と、
富士山の組み合わせの夢の様な絶景です。
富士山の山肌までも綺麗に見えます!

冒頭の写真の下の部分は、左からJR東海道線、国道1号、
東名高速です。
(水野晴郎の口調で)「いや~! 旧街道歩きって
本当にいいものですね!」

遊歩道の左端から下を覗くと、目も眩む様な断崖絶壁です!

怖~っ! 江戸時代の浮世絵にある様に、
当時は目も眩む難所だったんでしょうね。

興津宿を目指して、薩た峠の坂を下っていきます。
由比宿から興津宿まで約9キロです。
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東海道を歩く (16-1:由比宿・本陣) ---

2011-10-21 22:46:37 | Weblog

(写真は、再建された由比宿の本陣)

由比宿に入ると、まるでタイムスリップしたかの様に、
江戸の香りが漂う古い町並みが続きます。

宿場町の中心には、立派に復元された冒頭の写真の由比宿
の本陣があり、その正面には下の写真の右の「正雪紺屋」が
あります。

「正雪紺屋」は、倒幕を企てた由井正雪の生家で、今でも、
江戸時代の染物屋の風情そのもので営業を続けています。

由井正雪は、丸橋忠弥らと共に、江戸幕府の火薬庫を爆破
して江戸城を占拠、将軍を人質としようと反乱を起こし
ます。
しかし仲間の密告で、2,000人以上が逮捕され、由井正雪は
自害、その一族は処刑、そして丸橋忠弥は鈴ヶ森で処刑
されました。

由比の宿は、昔から桜エビ漁が盛んだったそうで、街道には、
桜エビを売る店が点在します。

江戸の宿場町そのままの雰囲気と、昭和の「三丁目の夕日」
を一緒にしたような、妙に懐かしさを感じる町並みで、
私は、すっかり由比宿が気に入ってしまいました!

遅めのお昼は、生ビールと天ぷらそばを食べました。
でも、由比で天ぷらそばといえば、エビではなく桜エビです。

う~ん! 桜エビの天ぷらも、なかなかいける!
旨い!

(水野晴郎の口調で) 「いや~!旧街道歩きって ホントに
素晴らしいですね!」

蒲原と由比は、とびきり風情のある宿場町なので、改めて
たっぷり時間をとって、もう一度、訪れたいです。

JR由比駅を過ぎた休憩所で、休んでいると、逆方向から
走ってきた本格的なロードハイクのおじさん二人と一緒に
なりました。
私が、”これから薩た(さった)峠を超えるか、
今日はここで終わりにするか、迷っている”
という話をしました。
すると、二人から、”今日は午後から曇ってきたので
富士山は見えないし、途中で日没の危険もあるので、
峠越えは、次回の楽しみに残した方が良い”と
言われました。

このアドバイスに従って、薩た峠の絶景は次回の
お楽しみにして、少し早いですが、JR由比駅から
横浜駅へ戻ることにしました。



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東海道を歩く (15:蒲原宿) 4km

2011-10-20 22:03:41 | Weblog

(写真は由比の弥次さん喜多さん)

蒲原(かんばら)は、富士川の河口から駿河湾にかけて
細長い宿場町です。

まだ、宿場町の雰囲気を残す町で、車もほとんど無く、
情緒ある宿場町の散策が楽しめます。

蒲原宿の入口に、下の写真の東木戸の跡がありました。

なまこ造りの家屋などの江戸時代の町家が残っており、
町中の案内板も非常に丁寧でわかりやすいです。

町中は、家々の花壇が綺麗で、湧水でしょうか、
清流の小川がながれており、心が洗われます。

広重が「蒲原夜の雪」を描いた場所には、清流の小川
沿いに、立派な記念碑が建っていました。

「東海道中膝栗毛」には、大名行列が、蒲原宿の本陣
に到着した時の話が出て来ます。

本陣の広間は、大名行列のお供の者達の夕食で大わらわです。
喜多さんは、勝手に、広間の片隅に座り、お膳を運んできた
女中に、”おい、ここにも一膳”と言って、お膳を据えさせ、
思う存分食事します。
広間は混雑していたので、誰も怪しまなかった、
とあります。

ふ~ん?
江戸時代に、そんな危ない事して大丈夫なんでしょう
かね? バレたら打ち首かも?

蒲原宿から由比宿に向かいます。
蒲原宿と由比宿は近いです。

蒲原宿から由比宿まで約4キロです。
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東海道を歩く (14:吉原宿) 11km

2011-10-19 07:36:56 | Weblog

(写真は、左富士橋からの富士山)

JR東海道線・吉原→富士→富士川→新蒲原

有名な田子の浦は、JR吉原駅のすぐ南にありましたが、
製紙工場地帯の港湾という感じで、名勝の面影は全く
ありません。

また、吉原の町も、巨大な製紙工場地帯という感じで、
私の吉原宿のイメージは、ほとんどありません。

早朝に、JR吉原駅をスタートしますが、東海道の新道と
旧道の見分けがつかなくなってきました。
どうも、東海道の新道を歩いている感じです・・・

慌てて、iPadで検索して、広重の描いた有名な左富士へ
向かう分岐点まで戻ります。
(「左富士」の説明については「6:藤沢宿」の
「南湖の左富士」を見てね。)


冒頭の写真は、ようやくたどり着いた左富士橋からの
富士山の眺めです。


近くに左富士神社もありました。



富士市は、旧東海道の保存に不熱心なのでしょうか?
この辺りは、旧東海道の表示が全くありません!

再び歩き始めますが、また旧東海道から外れて
しまった感じで、目的の江戸時代の老舗旅館・鯛屋に
たどり着きません。
旧東海道の入口を探して、行きつ戻りつ・・・

そのうちに面倒になってきて、鯛屋をパスしてどの道でも
良いから、取り敢えず、富士川橋に向かうことにしました。

やっと、富士川の土手にたどり着き、富士川橋の長い歩道
を渡ります。



富士川は、東海道で最も急流で、江戸時代の旅人は、ここの
舟渡しが非常に怖かったそうです。
しかも、やっと橋が架かったのは大正時代で、明治時代迄、
この舟渡しが続いたそうです。

でも、富士川は、水がとても綺麗です。

川風を受けながら、富士川橋の長い歩道を渡るのは、爽やかで
非常にイイ気分です!

富士川を渡り、JR富士川駅まで来ると、お昼過ぎになり、
お腹が空いてきました・・・
駅の周りの食堂を探しますが、食堂はおろか、コンビニの
1軒もありません!
しまった!
吉原のコンビニでおにぎりを買っておけば良かった。
今日は昼飯抜きになるのでしょうか・・?
トホホ・・・

旧東海道は、一度、東名高速をくぐり、次に、東名高速の
上の橋を渡ると、正面に海が見える急な下り坂になり、
海に突き当たって、右に進むと間もなく蒲原宿の入口です。


吉原宿から蒲原宿まで約11キロです。
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東海道を歩く (13:原宿) 12km

2011-10-18 10:19:01 | Weblog

(写真は真近かに見えはじめた富士山)

「東海道中膝栗毛」を読みながら、江戸時代の旅人になった
気分で歩き続けます。

お昼過ぎに、JR原駅まで来たら、お腹が空いてきたので、
駅の周辺の食堂を探しますが、駅前にラーメン屋が1軒
あるのみです。
680円のボリューム満点のチャーシュー麺を食べます。

JR原駅の辺りから、旧東海道は、JR東海道線とほぼ並走
しています。

下の写真の愛鷹浅間(あしたかせんげん)神社を過ぎます。

原宿から先も、また気が遠くなる程に、真っ直ぐな道が延々と
続きます。

何が面白くて、私はこんな単調な一直線の道を、延々と
歩いているのだろう?、
と疑問に思い始めた、ちょうどその時でした!

冒頭の写真の様に、右手のすぐ真近に、富士山が見え始め
ました!

やった~! 嬉しい!!
これは、きっと単調なウォークングに耐えて、歩き続けた事
へのご褒美なのでしょう!!

単調なウォークングが、ワクワク気分に一変しました!

江戸時代の旅人も、きっと、この真近に見える富士山に
元気づけられて旅を続けたのでしょうね。

ここから先の旧東海道は、常に右手の真近に富士山が見え
つづけます!

天気が良ければ、道は単調でも素晴らしいコースです!


富士山に見とれながら歩いているうちに、いつの間にか
吉原宿に到着していました。






原宿から吉原宿まで約12キロです。
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東海道を歩く (12:沼津宿) 6km

2011-10-17 09:26:07 | Weblog

(写真は沼津城跡の碑)

沼津~原
JR沼津駅をスタートします。
旧東海道(県道163号)は、沼津の市街地の中心を
抜けて行きます。
沼津の市街地の歩道は、広くて綺麗に整備されていて、
快適なウォーキングです。

ただ、市街地の道路が広く整備されている分、
旧東海道の名残りはほとんどありません。
(下の写真は、川廓通の説明板です。)


街の中心の沼津城の本丸跡も、冒頭の写真の様に、簡単な
石碑が公園に申し訳程度に設置されているだけです。

次の宿場町の原へ向かいますが、旧東海道は、気が遠く
なる程に、見える限り真っ直ぐな道が延々と続きます。

しかも、歩道は狭く非常に歩きにくいです。
山道を歩くのはもうイヤだけど、単調な一直線道を延々と
歩くのもイヤになってきます。
(下の写真は、沼津藩・領界石です。)

ようやくの思いで、JR東海道線の踏切を超えると、やっと
原の宿です。
沼津宿から原宿まで約6キロです。
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東海道を歩く (11:三島宿)6km

2011-10-14 22:07:33 | Weblog

(写真は三島大社)
三島~沼津
箱根関所を無事通過し、頑張って箱根の難所越えを
何とか歩き通した喜びと解放感で、女郎衆を呼んで
どんチャン騒ぎをしたのが三島宿だそうです。
♪三島女郎衆は の~え~

なるほど! 箱根越えで苦労した私には、何となく
分かる気がします。

三島からは、やっと平らな平地を歩ける有難さが・・!
楽しくはないけど、山道に比べると、とにかく
平地は歩くのが楽チンです!
そうだ!
三島に来たら、やはり三島大社に寄らないと!

でも、三島大社の近くで道に迷ってしまい、iPad2の
地図検索をしていると、おじいさんが近寄って来て、
”便利な世の中になったもんですな~”としきりに
感心して話しかけてきました。
写真の三島大社でお参りして三島宿をスタートします。





三島から沼津へは、ほぼ直線の一本道で、歩道が狭くて
歩きにくいところが多いです。



JR沼津駅に着くと、早速、寿司屋に飛び込んで、生ビール
と1500円の近海物の握り鮨を注文します。
ネタが大きくて、シャリが見えません!
この辺りの魚は、沼津港から直送だそうです。
新鮮で旨い~!

三島宿から沼津宿まで約6キロです。

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東海道を歩く (10-2:箱根宿西坂 )18km

2011-10-13 21:58:47 | Weblog

(写真は箱根西坂の石畳の道)

元箱根~三島

民宿のおばさんの”箱根からの登りに比べれば、
三島への下りは楽ですよ”という言葉に元気づけられて
元箱根の民宿をスタートします。

芦ノ湖湖畔の巨木の見事な杉並木を抜けると、
下の写真の箱根関所(再建)です。



そして、約2キロで坂を登りきると箱根峠です。

ここから三島まで延々と続く約15キロの緩やかな下り坂です。
接待茶屋の跡から、下りの旧街道の石畳道が始まります。


旧街道の石畳道は、スタート地点の接待茶屋跡辺りは、
上の写真の様な、けもの道?か、と思う様な石ころ道
でしたが、やがて、山中城跡の入口辺りから綺麗な石畳
の道になり、道を下るにつれて、段々と冒頭の写真の様な
立派な石畳の道になってきました。

石畳道の途中には、行き倒れになった旅人の供養塔・
念仏石がありました。

この厳しい箱根八里越えでは、途中で死んだりする人も
いたんだろうな~、と実感します。

芦ノ湖のコンビニで、おにぎりを買って
おいて良かった!
でなければ、私も今頃、飢餓で行き倒れに・・・

歩いても歩いても、あまりにも急な坂が、何時間も
延々と続くので、いい加減イヤになってきました!

朝からずっと、食堂はおろか、人家もほとんど
ありません・・・

急な坂を想像させる「臼転ばす坂」や「こわめし坂」
等の地名が続きます。

「こわめし坂」は、急な坂があまりにも長いので、背負って
いたお米が、汗と熱でこわめしになったそうです。

昨日の東坂コースは、ハイキングの人と時々出会った
のですが、今日の西坂コースは、一日中歩いても、
一人も出会いません

西坂は、何故、東坂に比べて、人がいない
のでしょうか?
①知名度が低い
②寄木細工の里や甘酒茶屋の様な観光スポットが無い
③バスの便が1時間に1本と不便 
④一日中下り坂を歩き続けるような暇な人はいない
さて、正解は①~④のどれでしょうか?

下り坂は、足と腰の筋肉の使う場所が違うのでしょう。
下り坂を延々と一日中歩いていたら、足と腰の変な部分が
筋肉痛になってきました・・・

足を引きずりながら三島へ向かいます。

綺麗に整備された初音ケ原の松並木の遊歩道をビッコを
引きながら、下り続けます。

元箱根から歩き続けること約8時間、やっとの思いで
三島宿に入ります。

箱根宿から三島宿まで約18キロです。
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東海道を歩く (10-1:箱根宿東坂)10km

2011-10-12 05:57:37 | Weblog

(写真は江戸時代の石畳)

箱根湯本~元箱根
箱根湯本の手前の三枚橋を左折して旧東海道に入ると、
箱根東坂が始まります。

箱根湯本から芦ノ湖湖畔の箱根宿(元箱根)を経て、
箱根峠までの登り坂を箱根東坂、箱根峠から三島宿
までの下り坂を箱根西坂と呼んだそうです。

上の写真の北条早雲の菩提寺の早雲寺を右手に見て、
暫く歩くと、写真の箱根最初の旧街道の石畳道の入口
があります。

♪箱根の山は~♪天下の険
登っても登っても急な坂道です。
石畳というより、大きな石がゴロゴロしている坂道
という感じです。

次から次へと、四か所もの急な坂をやっと抜けると、
寄木細工の里で有名な畑宿に出ました。
下の写真は、本陣跡です。

ここで一休みして、箱根最大の難所である七曲の急坂
(ヘアピンカーブ)に挑みます。

この車のヘアピンカーブを串刺しするかの様に、旧街道
は、最短の直線距離で急な石段を一気に登ります!!

石段の途中に、江戸時代の人が詠んだ歌が・・・

「かしの木の 坂を越ゆれば  苦しくて、
どんぐり程の 涙こぼる」
ホント!
余りにも急できつい階段の坂に、私も、思わず、
どんぐり程の涙がこぼれてしまいました?! 


この急坂を登りきったところに、江戸時代から続く甘酒茶屋
がありました。  三枚橋から約4時間の長丁場です。
力餅と甘酒で、気力を回復します。
気力を振り絞って、更に石畳の旧道を元箱根まで歩きます。



1時間余り歩いて、ようやく元箱根の芦ノ湖の湖畔に
着きました。

疲れて、横浜まで戻る気力もなく、湖畔の温泉民宿に
一泊します。
湖畔の夕焼けを眺めながら、天ぷらそばを食べ、温泉に
入り、石畳道での足の疲れを癒します。
小田原宿から箱根宿まで約17キロです。
(小田原から箱根湯本までが7キロ、
箱根湯本から元箱根までが10キロ)
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東海道を歩く(9:小田原宿)7km

2011-10-06 09:21:06 | Weblog

(写真は小田原宿の町標)
小田急線・小田原→箱根湯本

酒匂川を渡ると小田原宿の表示があり、暫く歩くと
江戸口見附跡がありました。

小田原は大都会です!
そして小田原は、城下町の雰囲気を残す街です。
旧東海道沿いの街の至る所に、写真の様な小田原宿の
町標の石碑があり、江戸時代からの町名の由来が良く
分かり親切です。
旧東海道を、下の写真の小田原城を右手に見ながら
歩きます。

下の写真は、江戸口見附一里塚跡です。

暫く歩いていると、やがて、左手に綺麗な早川、右手が
1号線と小田急で、ロマンスカーが近くを走ります。

清流沿いの快適なハイキングコースです。
快適な気分で歩いていると、いつの間にか歩道の無い
箱根新道に合流してしまいました?!
慌てて戻ります! 非常に分かりにくいです!
小田原から箱根湯本までは、上り坂ではありますが
意外と短い距離でした。
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