ウォーク更家の散歩(東海道・中山道など五街道踏破、首都圏散策)

川越城 (日本100名城) 2019.3.17 


(写真は、本丸御殿の家老詰所)

川越城は、1457年に、太田道灌が築城しました。

やがて、小田原の北条氏が川越城を掌中に収め

ますが、1590年の豊臣秀吉の小田原攻めに際し、

川越城は前田利家に攻められて落城しました。

 

その後、徳川家康が江戸に移ると、川越城には

重臣の酒井重忠を配し「川越藩」としました。

1639年、川越藩主となった松平信綱は、 本丸、

二の丸、三の丸等の各曲輪、3つの櫓、12の門

の拡張・整備を行いました。

川越城は、天守閣を持たない平山城で、

日本100名城に選定されています。

横浜から、東横線のFライナーに乗って、

乗り換えなしで、東武東上線の川越駅に

着きました。

川越駅前から、東武バスの「小江戸名所めぐり」

(1日300円)に乗って、「札の辻」バス停で

下車します。
 
蔵造りの街並みと、川越市役所の前の道が交差

するのが「札の辻」です。

「札の辻」は城下町の中心で、「高札場」

(こうさつば)があった所です。

高札場には、幕府が決めた法律などが、人目を

引くように高く掲げられていました。


「札の辻」の交差点の角にある「川越観光協会」

で、川越の散策地図を貰い、更に、上の写真の

「元禄七年川越図」(300円)を買います。

 

次頁の古地図の青丸印がこの「札の辻」で、

古地図の赤い部分は、城内の人が歩く道を

表しています。


札の辻の交差点を、蔵の街並みとは反対の方向へ

向かうと、直ぐ左手に、川越市役所があります。

市役所の前には、前頁の写真の「川越城 大手門」

跡の石柱と、下の写真の「太田道灌」の銅像が

建っています。


ここが「大手門」跡ですから、昔は、この大手門

から先の道路は、もう城内だった訳です。

 

城内だった市役所前の大通りを少し歩くと、右手

に、次頁の写真の「川越城 中ノ門 堀跡」の

案内表示がありました。

案内板によると、ここが城内に残る唯一の

「お堀跡」だそうです。



上の写真の様に、攻めて来る大手門側(赤色矢印)

の傾斜は30度ですが、本丸側(黄色矢印)の

傾斜は60度と急傾斜なので、お城の内側へは

上れません。




そして、この市役所前の大通りの突き当たりが、

江戸時代に17万石を誇った写真の「川越城」の

「本丸御殿」です。


(月曜休館、入館料 100円)

 

現存する本丸御殿は、東日本ではここだけで、

全国的に見ても貴重な遺構です。

本丸御殿の建物は、1848年に建てられ、当時は、

建物の数は16棟もあり、1,025坪の広大な

建物面積を誇りました。

明治以降、建物の解体が行われ、現在では、玄関

部分、大広間、家老詰所を残すのみです。



玄関を入ってすぐの所に、上の写真の36畳の

「本丸御殿 大広間」があります。

城内の会議や来客の待機に使われていたようです。

武士の執務室らしく落ち着きと風格があります。







上の写真の「家老詰所」は、本丸御殿の家老が

常駐する場所でした。


上の写真は、家老詰所の縁側からの庭の眺めです。

次に、本丸御殿の脇にある、川越城の鎮守の

「三芳野(みよしの)神社」へ行きます。

 

「三芳野神社」は、童謡「とおりゃんせ」の

発祥の地だそうです?





上の写真は、「わらべ唄・とおりゃんせ」発祥の

地の石碑です。

三芳野神社が「とおりゃんせ」の舞台となった

理由は、その位置にありました?

上の古地図の青色の丸印が三芳野神社で、青色の

縦線の横には御本丸と書かれています。
この様に、三芳野神社は、本丸の真ん前に

位置していたのです!

通りゃんせ 通りゃんせ

ここはどこの 細通じゃ  

天神さまの 細道じゃ  

ちっと通して 下しゃんせ 

御用のないもの 通しゃせぬ  

この子の七つの お祝いに 

お札を納めに まいります  

行きはよいよい 帰りはこわい  

こわいながらも  通りゃんせ 通りゃんせ

「三芳野神社」は、川越城内の奥深くにあるため、

庶民は、普段はお参り出来ませんでした。

年一度の大祭か、七五三の祝いの時だけ、庶民も

城内に入り参拝出来ました。
そして、そのお参りの時も、城内の警備は厳しく、

挙動不審な者は取り締まられたそうです。


そんな庶民の思いが、この童謡になって広まり

ました。
七歳のお祝いで子供を連れて、三芳野神社を

訪れたものの、門をくぐる度に行き先を聞かれ、

帰り道は迷わない様に、ドキドキしながら

帰ったのでしょうね。



 
 
 
 


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コメント一覧

ウォーク更家
百名城の川越城
http://blog.goo.ne.jp/mrsaraie
ええ、横浜から遠かった川越も、相互乗り入れで、身近かに感じる様になりました。

江戸城だけでなく川越城も築城した太田道灌て、結構凄いですよね。

私も川越の蔵の街は何度か訪れていましたが、城は始めてでした。

そう、いつの間にか、百名城踏破が目標に加わってしまいました・・・

川越市役所前に勢ぞろいした川越の山車、なかなかの迫力で伝統を感じます。
もののはじめのiina
百名城 
https://blog.goo.ne.jp/iinna/e/593827ccd01c76b3a4b7c486007e6d24
東横線のまゝ乗り換えなしで、川越駅まで行けるのですね。

太田道灌は、江戸城だけでなく川越城も築城していたのでしたか。川越には祭で二度訪ねましたが、城には挨拶を忘れました。


次は川越市役所前に揃った山車です。その前に立つ太田道灌の銅像には気づかなかったです。
https://blog.goo.ne.jp/iinna/e/57034d2d8044ef9d65f9da8bd0b9455f

更家さんは、百名城にもこだわっていたのですね。^^



ウォーク更家
日本100名城踏破
http://blog.goo.ne.jp/mrsaraie
そうですね、当初は、特に日本100名城を目指して歩いている訳ではありませんでした。

でも、東海道、中山道、日光街道、奥州街道、薩摩街道と、街道沿いのお城に寄り道しているうちに、いつの間にか半数近くになりました。

こうなれば、残りも頑張って、日本100名城を踏破したいと思います。
hide-san
48番?
https://blog.goo.ne.jp/hidebach/
川越城は48番目ですか?

100名城のおよそ半分ですね。
楽しみです。
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