親に認め褒めてもらえたK君は その後 全く乱暴者の面影は消えて
明るい学級の一員として存在感を見せてくれました
運命の分岐点をうまく捉えられた教え子の一人です
現在では 家業のうどん屋さんを受け継いで 人懐っこい笑顔で
商売繁盛のオヤジさんに なっています
慣れ親しんだ生徒とは1年間が終わると ばらばらに組替えが行われ
また新しい出会いが始まります
3年の担任時は36歳になっていました
シンナーやトルエンなど若者の神経をボロボロに蝕み
廃人にしてしまう薬物が転校生の土産物として
大阪から入ってきた年でした
今までの指導法が根底から崩れた恐ろしい時代の幕開けでした
以後6年間 暗黒の時代が続きます
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激動の時代の追想
不思議と10年に一度は 大きな学校の荒れ・揺れの波が
押し寄せてきます。
しかし、今度はシンナーや喫煙などと、仲間を集める形態の非行ですから、
陰にこもり人目を避けて夜の暗闇を好む陰湿な
気味の悪い集団へと変化していったのです。
一対一の根性比べのような そんな生易しいものではありません。
仲間に入ってしまうと抜けられなくなってしまうのです。
気の弱い、それでいて適当に威張りたい小者が二人、
大阪からの転校生の使い走りで学級から浮き上がってしまいました。
一人はWで もう一人はYです。
出来るだけの手を尽くして クラスから浮かび上がらぬように守ってやろうと
しますが、魅力と引力に引きずられていくのでした。
今までの神通力が効かなくなって、どうすることもできません。
教室に入ってないと聞くと、すぐに探し回り連れ戻す毎日で
空しい努力を繰り返しているだけでした。
「Yのおかちゃんがきたぞ~」と囃し立てたり、蜘蛛の子を散らすように
八方に逃げていき、つかまえるのも一人がやっとで、体力のいる毎日でした。
でも担任が心配して探しに来てくれていることは
心に響いているようでした。
授業を抜けては体育館の裏に集まり
喫煙やシンナーの回し飲みをします。
2年のときのKは一切そこには顔を出していませんでした。
無邪気な笑顔を浮かべすっかり乱暴者の面影は落としていました
かなり目立つ体格ですから誘いは度々あったようでしたが、
親に認め褒めてもらえたことがいつまでも持続し安定できているのでした。
集団化して何人か集まったら暴徒化し、他校まで乗り込んでいって
ヤクザの騒動を模倣するように激しさを増していくのです。
いったん上下関係で結ばれてしまうと立ち直ろうとしても、
そこは足を抜くのに命がけの覚悟が必要になってきます。
養護施設での経験があるものですから、肉親が誰か一人でも応援して
見守っている子どもには、非行はないと当時まで信じきっていました。
肉親の力を過信していたと気づいた時でもありました。
YもWも両親は健在でした。
大工の父親で旧い大きな構えの家の次男がWでした。
Yは年のはなれた弟と両親の4人家族で
アパートの2階の二部屋が住まいでした。
狭い間取りで居場所がないと言う感じでした。
どちらも自己表現の場所は家庭では見出せなかったのかもしれません。
転校生の荒れ荒んだ姿に救いを求め
癒しを求めていたと思っていました。
Wはグループから抜けたいと2学期に思うようになります。
その思いが相手に分かるらしく、校門のところで
帰りに待ち伏せされるようになったようです。
「先生、もうアホな事は止めて進学したいし、
仲間から離れたいのだけど、どうしたらいいですか~」
と 放課後相談されるようになりました。
どうやら気配を察して仲間の手下を連れて裏門のところで
下校するのを待っているらしいのです。
自転車通学でしたから、自転車置き場は裏門にありました。
そこを避けては帰れないのです。
日を追うごとに怖くて帰れない~と震えてきます。
「Wくん、本当に仲間から抜けたいと願うなら
とことんボコボコにされてもかまわないと覚悟を決めてBに話をしなさい!
強い意思を見たときにBは分かってくれるよ
こそこそと良い時だけ仲間の仮面をかぶり、必要なくなったら
捨ててしまうから怒っているんだよ~
真正面からW君自身が当たるより他に道はないよ」と話して聞かせました。
真顔で真剣に聞いていましたが、「わかりました!」
と 決意の眼差しになり帰って行きました。
Wを送り出した後、心配で心配で30分くらい後に見回りをしましたが、
静かな秋の夕暮れはいつもどおりに裏門を包んでいました。
翌朝、Wに昨日のことを真っ先に尋ねました。
「分かった~と言ってくれて、なにもされへんかった」と言う返事でした。
「もう大丈夫だよ
悪い夢から覚めた気分でしょう!
クラスに戻れてよかったね~」と握手してやりました。
それからのWは人が変わったように受験勉強に打ち込み、
商業高校に無事合格できました。
高卒の時に美容の勉強をしたいからといって
ドイツに留学したと言う噂を聞いていました。
それから10年後くらい経っていたかしら?
Wがカリスマ美容師になり、大型スーパー店の2階に
2号店を出したそうだと同僚の教師に聞いた事がありました。
私にも来て貰って下さいと伝言がありましたが、
一度も行ってません。
編みこみのヘアースタイルは自分で出来るし、軽い曲毛なので
パーマは不要でしたからね。
美容院とは縁がなかったのです。
現在はヘアマニのお世話になって
毎月予約が必要になっています・・・
奈良に帰ったら一度覗いてみましょうかしら?
次回はY君の話を聞いていただきますね
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前庭の住人たちです
五色八重散です
マーガレットデービスです
白羽衣です
沖の石です
石楠花です
山芍薬です
久留米ツツジです
シャガです
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