オレの本「110センチの視野」、の帯と前書きを書いて頂いた、オレの尊敬する岡田さんが、この度日本代表の監督に就任する運びとなった。まさに青天の霹靂とはこのことだ。岡田さんと言えば、日本を初のワールドカップ出場に導いた男だ。98年フランスワールドカップ直前に、その当時カリスマ的存在のカズこと三浦和良選手を、メンバーから外したことは、あまりにも有名だ。あの時も急きょ、成績不振の加茂監督の後任として、ワールドカップのアジア最終予選の途中で、当時コーチだった岡田さんが絶体絶命の日本代表の監督となった。そして今回も脳梗塞で倒れたオシム監督の代わりに、急きょ岡田さんに白羽の矢が立った。これが運命のいたずらというものだろうか。
イランとの運命の一戦、1997年11月16日、マレーシアのジョホールバルで、フランスワールドカップ、アジア第3代表決定戦は行われた。まさに負ければ地獄の極限状態の試合だった。この試合の前夜、岡田さんは奥さんに「負けたら日本に住めなくなるから海外に移住しよう」という電話をしたらしい。どれほどの重圧を岡田さんと家族の方々が背負っていたかは、オレら庶民にはとうてい計り知れない。
そんな異常とも言える状況を経験したにも関わらず、今回、代表監督を岡田さんは引き受けたのだ。どんな心境なのか、岡田さんから送られてきたメールに、全てが記されていた。
「人生は分からない物です。Jの監督も断り、落ち着いた生活をしようと、思っていたのですがまだまだ人間修養が足らないので、もう少し苦労しろとの事のようです。
考えれば考えるほど引き受けられなかったのですが、何故か「やらなければならない」と言う気持ちが湧き上がってきました。」
岡田という人物がただ者ではないことを物語っている。頭ではそんな事引き受けられないと分かっているのに、勝負師の血が黙ってはいないのだ。脳が、細胞が、「Yes」と指令を出してしまうのだ。そして何よりも「日本のピンチを救いたい」という強い意志が岡ちゃんを突き動かすのだ。
記)もとき
イランとの運命の一戦、1997年11月16日、マレーシアのジョホールバルで、フランスワールドカップ、アジア第3代表決定戦は行われた。まさに負ければ地獄の極限状態の試合だった。この試合の前夜、岡田さんは奥さんに「負けたら日本に住めなくなるから海外に移住しよう」という電話をしたらしい。どれほどの重圧を岡田さんと家族の方々が背負っていたかは、オレら庶民にはとうてい計り知れない。
そんな異常とも言える状況を経験したにも関わらず、今回、代表監督を岡田さんは引き受けたのだ。どんな心境なのか、岡田さんから送られてきたメールに、全てが記されていた。
「人生は分からない物です。Jの監督も断り、落ち着いた生活をしようと、思っていたのですがまだまだ人間修養が足らないので、もう少し苦労しろとの事のようです。
考えれば考えるほど引き受けられなかったのですが、何故か「やらなければならない」と言う気持ちが湧き上がってきました。」
岡田という人物がただ者ではないことを物語っている。頭ではそんな事引き受けられないと分かっているのに、勝負師の血が黙ってはいないのだ。脳が、細胞が、「Yes」と指令を出してしまうのだ。そして何よりも「日本のピンチを救いたい」という強い意志が岡ちゃんを突き動かすのだ。
記)もとき