・最初から精神科で働かないほうがいい
・精神科で働きたいなら、他科で技術を磨いてからのほうがいい
これらの言葉を耳にしたことはないか。もしくは、あなた自身が口にしたことはないだろうか。
私はこの考えに異論を唱える。
“他科で経験を積んでから”と多くの人間が口にする理由は、非常に簡単。単科の精神科病院では、直接的な看護技術を活かす場面が少なく、急変時など十分な対応ができないという理由がほとんどだろう。
私は、その考えを否定しているわけではない。しかし、“それだけではない”言いたい。
一つに、最初から精神科で学ぶという方法がある。これは、私が以前から拙著:「精神科看護師、謀反」で主張していた道筋の一つだ。もう一つは、一度精神科で学び、数年して他科へそして、数年後に精神科に戻るという方法だ。
最初、他科で学び数年後精神科に意図的に戻ってきた人間を見たことがあるだろうか。単科の精神科では、それが非常に少ないように思う。仮に、最初に他科で学び、目標を持って精神科に来たものがいたとしても、思っていたような成果を果たせたものがどれだけいるのだろうか。精々、
「本当は、こういう治療でこうしてあげればいいのに」
「ここには、この器具がないから、こういう治療や看護ができない」
など、他科で学んできたことを還元するどころか、以前の施設との比較を披露するという短絡的な発想のみとなり、身につけた技術が“絵に描いた餅”になってしまうという悲しい結果も十分ありえる。それだけならまだいい、他科で働いて、そのまま精神科に戻ってこない看護師も沢山いるではないか。精神科とは何たるかを知る前に、他科の奥深さを知り、追求し続けるようになってしまう。決して悪いことではないが、これは、最初に精神科を志そうとしていた動機が他科によって完全にかき消されてしまった結果である。看護のことを真剣に考えているなら、他科にいけば他科の奥深さを知るのは当然のことだろう。他科で数年勤めれば、技術的に満足などという感覚にはまずならないだろう。そう考えると、他科から来た看護師は、他科で順応できなかった人間で、最終的に精神科に流れ着いているという現実も十分ありえるのだ。
今の外科で、こういう言葉を聞いたことがある
「精神科って、全てができる看護師がいくところだと思うんですよね」
確かに、精神科以外の人間からそういわれると嬉しくもあるが、よく考えると、これも矛盾が生じる考えなのである。他科でさえ、全てができる看護師であるにこしたことはないのに、なぜ精神科だけこのような特別視をされるのか。一つは、精神科が低く見られていた事実があるからであろう。実際、直接的な看護技術のみならず、専門である精神科看護や薬学知識・精神科疾患に対する知識も身につけているものが多いといえば嘘になる。これらの背景があるからだとは思うが、もう少し柔軟には考えられないものだろうか。例えば、
「脳外科で働きたいから、まず精神科で学んでから」
という逆の発想を持つ看護師はいないものだろうか。実際にそうさせるかどうかは別として、そういう考えを持つ看護師が出るように、精神科の専門性を高めていく必要が今後あるのだろう。




最近ますます面白くない記事になってきて重症ですが、一つずつクリック願いま~す。面倒くさいのはわかってます!!でもお願いします!!!
最後までご閲覧いただきありがとうございます。拙著本「精神科看護師、謀反」も看護の参考にしていただければ幸いです。
・精神科で働きたいなら、他科で技術を磨いてからのほうがいい
これらの言葉を耳にしたことはないか。もしくは、あなた自身が口にしたことはないだろうか。
私はこの考えに異論を唱える。
“他科で経験を積んでから”と多くの人間が口にする理由は、非常に簡単。単科の精神科病院では、直接的な看護技術を活かす場面が少なく、急変時など十分な対応ができないという理由がほとんどだろう。
私は、その考えを否定しているわけではない。しかし、“それだけではない”言いたい。
一つに、最初から精神科で学ぶという方法がある。これは、私が以前から拙著:「精神科看護師、謀反」で主張していた道筋の一つだ。もう一つは、一度精神科で学び、数年して他科へそして、数年後に精神科に戻るという方法だ。
最初、他科で学び数年後精神科に意図的に戻ってきた人間を見たことがあるだろうか。単科の精神科では、それが非常に少ないように思う。仮に、最初に他科で学び、目標を持って精神科に来たものがいたとしても、思っていたような成果を果たせたものがどれだけいるのだろうか。精々、
「本当は、こういう治療でこうしてあげればいいのに」
「ここには、この器具がないから、こういう治療や看護ができない」
など、他科で学んできたことを還元するどころか、以前の施設との比較を披露するという短絡的な発想のみとなり、身につけた技術が“絵に描いた餅”になってしまうという悲しい結果も十分ありえる。それだけならまだいい、他科で働いて、そのまま精神科に戻ってこない看護師も沢山いるではないか。精神科とは何たるかを知る前に、他科の奥深さを知り、追求し続けるようになってしまう。決して悪いことではないが、これは、最初に精神科を志そうとしていた動機が他科によって完全にかき消されてしまった結果である。看護のことを真剣に考えているなら、他科にいけば他科の奥深さを知るのは当然のことだろう。他科で数年勤めれば、技術的に満足などという感覚にはまずならないだろう。そう考えると、他科から来た看護師は、他科で順応できなかった人間で、最終的に精神科に流れ着いているという現実も十分ありえるのだ。
今の外科で、こういう言葉を聞いたことがある
「精神科って、全てができる看護師がいくところだと思うんですよね」
確かに、精神科以外の人間からそういわれると嬉しくもあるが、よく考えると、これも矛盾が生じる考えなのである。他科でさえ、全てができる看護師であるにこしたことはないのに、なぜ精神科だけこのような特別視をされるのか。一つは、精神科が低く見られていた事実があるからであろう。実際、直接的な看護技術のみならず、専門である精神科看護や薬学知識・精神科疾患に対する知識も身につけているものが多いといえば嘘になる。これらの背景があるからだとは思うが、もう少し柔軟には考えられないものだろうか。例えば、
「脳外科で働きたいから、まず精神科で学んでから」
という逆の発想を持つ看護師はいないものだろうか。実際にそうさせるかどうかは別として、そういう考えを持つ看護師が出るように、精神科の専門性を高めていく必要が今後あるのだろう。





最後までご閲覧いただきありがとうございます。拙著本「精神科看護師、謀反」も看護の参考にしていただければ幸いです。
さとまめといいます。
私は新卒で精神科勤務してから外来や病棟少し経験して
一般病棟では働けない(ドロップアウト)しちゃった経験者です。
今は結婚してクリニック勤務しています。
精神科勤務してよかったことは人間味を身近に感じて仕事が出来たこと。後悔したことは、患者さんの急変に対応できない自分がいて身体症状の観察も出来なかった。だけど、それは経験もあるけども勉強していなかった自分もいて怠け者だったから。
ドロップアウトした原因は精神科ではDrがやってた医療行為を看護師がやるのに負担や抵抗を感じたり、そこの病棟に自分が適応できなかったから。
そんなことに気づいたのは今の私になってから。
今の職場では周囲に助けてもらいながらぼちぼちやっています。
一時臨床も離れた時期もありましたが、患者さんのそばにいるのが一番だと気づいたのも今の私。
患者さんと職場のスタッフに今も助けられてる私がいます。
私のこの経験は財産です。
論理的でなく私の経験で書いてしまいました。
ダラダラ長文になってしまい失礼しました。
「精神科よりも、救急とかで命を助ける仕事の方がやりがいがあるんじゃない?」
と言われたことがあります。
タイトルのような意味合いで考えると、看護としては大きな違いはないと思ったのですが、理解してもらえそうに無い気がしたので「やりがいありますよ。」とだけ言ったと思います。
「肉体」の生と死については、その過程や結果を、当事者や看護者自身、第三者でも理解しやすいでしょう。
「精神」の生と死については、抽象的で客観的にあらわすことが出来ないため、当事者以外は理解が難しいと思います。精神科に働いていても難しいと感じるわけですから。
上記に挙げた「過程や結果」に対する達成感(ちょっと違うかな?満足感?自己および他者の評価?)の積み重ねによる「自信」が、間違って働いたとき、比較材料として使われてしまっているように思います。
「肉体」の生と死に関わることを主とした仕事の方々も、不安や絶望感など『日常』的な感情表現で了解可能なことに対しては、理解されていると思います。しかし、『非日常』的な感情表現に対しては、了解・理解ともに困難を感じているようです。了解の範囲を超えた時点で(かなりデジタル的に)「精神科領域」と思ってしまうように感じます。
ホスピスなど(難治性の病気など他にも沢山あるでしょうが。昔の結核サナトリウムとかもでしょう。)では、2つの「死」に関わることが多いだろうなと思いました。
まとまらないダラダラ長文失礼しました。
もちろんです!ガンガンリンクしてやってください!!!
つまりはそういうことだと私も思っております。まさに今回の記事で私が、「他科を学んでから」ということを否定しなかったことの主たるところです。ただ、そういう視点は愚か、「他科を学んでから」をそうあるべきと決め付けられたように多くの人間が口にしていることと、逆にゆる看さんのおっしゃるような意図で動いている人間がどれだけいるかというところが今の精神科と他科の関係を色々な意味で象徴しているのだと思います。
実際、私もそのような流れに乗っているわけですしね。
視点が変われば、判断基準や優先順位(物差し)が変わり、結論まで変わる場合があります。視点が同じでも物差しが違ったり、またその逆だったり。微細な違いも含めて。
これらの結論は、看護的な視点や物差しだけでなく、日々目にすることや感じたことなど、様々なことから影響を受けるように思います。
この視点や物差しに優劣をつけるのではなく、知ることで答えの幅を増やすためなら、どの科の人も他科を経験することはよいことだと思いました。
精神科って、色んな科から転職してくる人も多いので、『異文化(他科)』のことも学ぶチャンスが多いように感じます。
簡単に言うと、比重の問題ってことでしょ^^
まさにそういうことですよ。
↑この言葉、私も耳にしたことがあります。これって、いい断り文句っぽく聞こえてなりません。
精神科に限らず、どの科でも理想的には全てが出来る看護師がいいに決まってる。この手の言い訳の裏には、精神科のことは良くわからないから、まだ行けないって言うのが隠されていると思ってます。
精神科の看護師である私の立場から言わせてもらえば、
「精神科が出来なければ、どの科にもいけないと思う」
入院ってどの科でもある一定以上に具合の悪い状態になってるから入院するわけで、入院すること1つとっても相当な不安ってものがある。外科系の病棟では、それに加えて手術っていう更に強い不安があるわけですよね。
この辺の不安緩和ケアって精神科の専門性じゃないですか。病気や入院には、不安がつきもので、更に言わせてもらえば、精神科の患者様に身体的合併症があるのと同じく、身体科に入院する患者様にも精神的な合併症があるのですから精神科の知識と技術がどこの科でも必要となるのではないでしょうか。
長くなっちゃってスンマセン
確かにそうですよね。同時にどちらも習得できれば言うことはありませんよね。gontaさんへのコメントをみていただければわかるかと思いますが、やはり問題は、その知識を活かす事ができていない医療システム(医療構造と表現したほうがいいんでしょうが)にもいくらかの問題があるんですよね。
繰り返しますが、どの順序で学ばなければいけないということは私は断言していませんし、概念を固定化してしまえばなおのこと違った問題が出現するでしょう。ポイントは、その看護師自身がどうあるべきかをしっかりと論じることができるかどうかではないでしょうか。
最後に・・・・
「精神科の看護技術とは」ですが・・・・、その講師に対しての意地悪になるので辞めときましょう^^
でも、その質問って自分を振り返らされたよい質問だったんでしょうね。
コメントありがとうございます。論点は、どの順序で学ぶかというのは、発現している個々の精神論基盤があってこそ論じられるものだと思っております。ですから、表面上の、“精神科から”“他科から”というところの結論は求めていません。現に、私自身どの順序で学べという断定はしていませんし、他科から学ぶということに対しても全否定はしていません。
これは、決して医療的視野の狭い議論ではなく、gontaさんのおっしゃる「数年後には現状のシステムの陳腐化」、言い換えると現在(数年後には過去のシステムとなり、良い意味で陳腐化させられる)のシステムを大きく変革させる為の議論だといえるのではないでしょうか。
そう考えると、今のシステムの中で“どのように学んでいくか”ということももちろん大切ですが、この議論をきっかけに“どのうようなシステムにしていくべきか”ということも大切になってくると思います。
私の記事にもあるように、“他科を学んでから精神科に勤務する”ことになったとき、“実際に使える知識”が精神科に来るまでに養われてきたのか、活用できているのか、という問題点も、現在の精神科と他科のシステムの連携がなされていないことを証明する一つの現象ではないでしょうか。
お返事遅くなりました。何故か奈良へ家族旅行に行き、本日帰省したところです。雨のため、子どもに鹿とのふれあい時間はほとんど取れませんでしたが、それでも喜んでくれました・・・、と、まぁ、そういう話は聞きたくないですよね(笑)
ところで、本の宣伝・広告してくださっているということで大変感謝しております。
折角ですから、下さったコメントに対しても私の考えを述べさせていただきますね。
※「精神科に務める前に、一般科にいったほうがいい」
この言葉自体を否定すると議論が曖昧になるんですよ。要は、その言葉を発した人間がどういう解釈であなたにそれを口にしたかということなんです。
単に私の記事にあるような理由から言っているだけでしたら(というか、それがほとんどでしょうが、)、本当の意味で看護師になる前や資格取得直後の頃に思っていた信念は曲がってしまうと私は考えています。結果的に、看護師として進歩はするでしょうが、問題は、当初抱いていた精神科でのレベルの向上意識が何故か殺がれてしまうことです。これが精神科医療・看護の遅れをとっているひとつの理由ではないでしょうか。
精神科以外を一般科という。これも、言葉を発している人間がどう思って発しているかですよね。本書では、触れてませんが“精神科以外のその他一般の科”という解釈でしたら、何も問題なく使っていただいても良いのではないでしょうか。例えばギネで働いている人間が“ギネ以外のその他一般の科”という解釈でも一般科と言うのと同じことなんですよね。これも同じように、実際そう解釈して言っている人間が少ないので、できれば一般科という言い方をしないほうが良いのではないかという一つの提案なんですよ。
ところで、お体の調子はどうですか?ある程度コントロールできるようになれば、楽なのでしょうが、それはご本人が一番わかってますよね。お仕事でもご無理なさらないようにしてください。
確かに、今、うちの病棟で時々浮上してくる問題は、精神科しか経験ないスタッフは身体管理が不十分であること。
しかし、それはもう、何といっても精神科が内科や脳外科に変わるわけはないんですから、今置かれている状況の中で、気づいた時にその場で指導するしかないと思っています。
精神科勤務になってしばらくした頃、
『精神科の看護技術って何?』とある研修会で講師に問われたとき、答えられなかった私がいました。
手技的なものだけが看護技術なわけではない。
どこの科にも存在するその科特有の看護技術がある。
そう意識した時、経験する科それぞれによって習得する技術があるのだから、精神科と他科の経験、どちらが先でもいいのではないかと思うようになりました。
でも、同時にどちらも習得できたらいいなぁと思うのは欲張り過ぎですかね
ごめんなさい。
あんまり難しいことは書けないんですが…記事を読んでそう思いました。
福岡で精神科病院に勤務して3ヶ月の男性看護師です。
以前は重症心身病棟に勤務を4ヶ月していました。
昨年4月に国試に通ったばかりのど新人なんです。
僕自身精神科の患者になって現在に至ります。
欠格事由に該当はしてませんよ。精神症状の経験はかなりありますけど
「精神科は一般科にいってから言ったほうが良い」と僕もいわれました。
将来リエゾンナースになりたいと思っているんですが、精神科看護師が一般科看護師に助言・援助する…。やっぱり精神科は特別視されているんだなぁと思ってしまいます。
僕も一般科という表記は嫌いなんですが、何と言えばいいのかわからないので…。
また来させていただきます。では。
えっと、「現状」では「精神科で働くなら、他科を学んでから」という概念はほとんど役に立ちませんね。
なぜなら→精神科においてその観察力・知識・技術を活かせた人がどれだけいるかということです。見つけても、設備上の理由で対処ができない・薬剤がない・医師がその知識を持ち合わせていない。転院もスムーズにできない・・・問題は複合的です。→だからです。
それで→精神科のあり方を抜本的に見直す必要があります。教育システムをはじめとして、医療連携システムからなにから全てです。
で、何を見直したらいいのかなって考えた時に、「精神科と他科との接近」ということだったんです。
これは、医療従事者すべてへの教育においても医療連携システムにおいても何もかもにおける精神科と他科の「接近」「仲良し
今ある精神科で働くなら、他科での経験は必要ない。でも、今ある精神科のままではダメ。他科で精神科が軽く見られている現状もダメ。だから、「精神科で働くなら他科で働いてから。他科で働くなら精神科で働いてから。」それは医師も看護師も。薬剤師もワーカーも。ひとつの科の専門性を高めるためには、他の科の知識と経験が必要だと思うんです。
眠くて頭が回ってませんが、変な文章があったらごめんなさいませ
貴重な時間を使ってコメントありがとうございます!
今回の記事についてですが、問題は複雑なんですよね。
まず、精神科のみで経験していると、実際患者の状態の変化に気付かない。確かにそうです。ですから、その意見そのものには反対をしているわけではないんです。ですが、それが全てではない。それが大半の考えであってはいけないというのが私の考えなんです。
仮に、どのような順序であれ最終的に精神科に戻ってきた人を想定して考えて見ましょう。周囲にその観察力・知識・技術を活かせた人がどれだけいるかということです。見つけても、設備上の理由で対処ができない・薬剤がない・医師がその知識を持ち合わせていない。転院もスムーズにできない・・・問題は複合的です。
まずは、精神科のあり方を抜本的に見直す必要があります。教育システムをはじめとして、医療連携システムからなにから全てです。でなければ、現状で「精神科で働くなら、他科を学んでから」という概念はほとんど役に立たないものになります。会えて言うなら、医療連携・教育システム等々が確立されてからの概念かもしれません。
また医療・看護改革に立ちはだかっている精神科ならではの問題として、看護職員のインセンティブの低さというものがあります。これを解決しないと、りえママの言う
>精神科のみでしか働いたことのない看護師
>は、どう知識として他科の勉強をしていて
>も、「看護するものの勘」として、身体的疾>病によって現れている症状を見逃すコトが多>いです。精神症状ばかりに目がいき、気が付>いたら患者さんは身体的疾病が悪化していて>亡くなってしまった
ということの立証が難しくなります。
内科的な知識と技術があっても、精神科にいると視点がずれてしまうこともありません?りえママさんでさえ、そういう勘が狂うような体験ありません?そこなんですよね。私が言いたいのは。
これらのことを総合すると、今回のようなきじになっちゃうんですよねーーー。
積極的な意見、そしてこの記事に関して議論を深めてくださったりえママに感謝
あ・・思わずコメント長くなりました
ブックマークと記事でも紹介してみますので、しばらくお待ちくださいな
おっしゃること、よくわかります。精神科に勤めていると他科の技術が不足すると感じるときもありますが、実は他科に勤めていると、精神科での技術が大きく抜け落ちているんですよね。それは、外科で働いてよくわかりました。
今後は、精神科での教育システムを画期的なものにしていかなければならないのではと、自分のビジョンの中になんとなくではありますが徐々に明確になりつつあります。
精神科スタッフで「精神科はコミュニケーションのプロ」と言う人がいます。確かに患者さんの思いを性格に知ることが難しく、より充実したコミュニケーション能力が必要だと思いますが。最初から精神科で働かないほうがいいと言う人ほど、コミュニケーションができていないように感じます。「精神科患者さんにも通用するコミュニケーション」ではなく「精神科患者さんにだから通用してしまうコミュニケーション」も多いのではないでしょうか?
積極的なご意見ありがとうございます。
では、私の考えを伝えるべく、わかりやすく説明させていただきますね。まず最初に、決して特別視しているのではないということを前提にして話を進めてゆきます。
例えば、精神科とそれ以外の科として物事を論じるとき、他科と表現する。これは、私が本書でも述べていることですよね。他にも整形外科とそれ以外の科を論じるときも他科と論じる。つまり、整形外科以外の他科を論じるときには、他科に精神かも含まれるわけなんですよ。
わかっていただけますか?
今回コメントしたのは、精神科と他科という表現になんとなく心にひっかかるものを感じたからです。
精神科と他の科という書き方をしている時点で、完全に違うもの(記事から表現を引用するなら「特別視」)としているように感じます。それぞれの科にはそれぞれの特徴がありますから、専門性を見るとすべてがすべて違うものですし、また、根本は同じもののような気がします。
何がいいたいかこの文章では伝わりにくいかもしれませんが、つまり、私から見ると「精神科と他科」という表現に「他とは全くちがうのよ」というニュアンスが含まれている気がしたのです。
もちろん、私自身の心の中にそのような印象を持っているから、そう感じるということもあると思います。
不愉快な文章になっているかもしれません。しかし、私としましては、そういうつもりは全くありません。初学者の素朴な疑問として捉えていただけると嬉しいです。
ありがとうございます。この本も、わかりやすく且つ専門的にできればと贅沢にした結果、わけのわからない仕上がりになってしまいました^^。
当初から、精神科看護に興味を持っていただきたく、多くの人に手にとっていただけることが目標でしたから、カーとさんのような方に読んでいただけたことはとても嬉しい限りです。
相変わらず読ませる文にはフムフム頷いております。
ところどころ難しいですが、精神科看護って大変でしょうね。
精神科に対する見方は、沢山あると思いますが、まさにそういう部分もあると思います。まず、どうにか精神科を大きく変えなければ成らない。そう思いひび動いておりますが、まず一年、できれば二年、私が他科で学びそれをどう還元するか、することができるかというところから始まると思います。次の就職先、精神科病院につきましては、唾をつけておりますのでビジョンは明確になりつつあります。着実に計画を進めております。
他科を学んでから精神科へ、という考えは正しくもあり間違ってもいる。
もちろん活かせる技術を学んだ上で、精神科で働くことは間違ってはいませんし、その技術が本当に活かせるならばそれは素晴らしいことでしょう。
しかし、もっさんが仰るとおり、還元するどころか比較してしまうという現状があったりするわけで・・・
この記事を読んで天の邪鬼な私は逆に考えてみました。
「なぜ他科を経験しなくてはいけないのか?」
私が思うに、多くの看護師が精神科は他科に比べると大変な科であるとの認識が、根底にあるのではないか?
あんな患者たちを扱う(語弊がありますが)のは、他科の患者をきちんと診られるようになってからでなくてはダメなのではないか?という考えも含まれているように感じます。
以前もコメントに書かせていただきましたが、他科の看護師が、精神科の待合いの前を通るとき、ある種の特別な視線を投げかけてくるんです。
もちろん被害妄想も含まれるでしょうが、この科ではなくて良かったというような視線なのです。
そう思っているのがありありと分かりますからね。
記事の中にあるように精神科を低く見ているのでしょう。
もしくは精神疾患の患者を。
患者を扱うという考えを無くさなくては、精神科に対する考え方も変わらないでしょうし、他科を学ぶ意味もないと思うのですが、如何でしょう?
そうですねぇ。本来の精神科看護は、“精神”看護学が基礎であって、それは、精神科以外でも共通のもののはずなんですよね。ところが、精神科以外で勤めている看護師の多くは、それを必要としない・求めないんですよね。また逆に、精神科に勤務しておりながらその知識を十分に持ち合わせているものも多くなく、それだけならまだしも学ぼうとする意欲すらない現状があります。
本来はカマーチョさんのおっしゃることは、間違っていないと思いますし私もそう思うのですが、精神科に勤めて教わるだけでは「柔軟性・視野の拡大・忍耐力」を得ることなく間違った方向に行く可能性が大きいですね。ですから、他科で学ぶ以上に、精神科では見つける・発見するという要素をもって学ぶことも大事になってくるのだと思います。
精神科では、いい加減な看護に“流される”ことは頻繁ですからね。
もしそうなら、「看護師」を続けていくうえで必要なモノ(単に看護技術・知識でなく)が養われるような気がしますので、「まずは精神科」論、賛成です。