風がヴギウギ

自由気ままな風の様に毎日を切り取っていく

じじいの謎解き・・・ 篆刻壁掛け・・・1

2020年09月23日 | 曾良庵ヴギ

新しいじじいの暇つぶしが出来ました 時間のかかる謎解きの世界です

でも 頑張って調べていきます

真実は一つだ!って じじいもコナンになってみます

自由也爺さんは趣味が広く

焼き物から彫り物迄残っている・・・が

彫ってある文字が読めない これは篆刻文字であり

象形文字につながるところもあるが とにかく読めないが本音であった

数年前に 五體字艦を貰ったのだが仕舞いこんでしまい

2年ぶりに見つけ 調べだしています

この本は 楷書・行書・草書・篆書・隷書が載っています

一番上欄外が「篆書」次が「楷書」「隷書」「行書」その下2つが「草書」となります

篆書は 象形文字に近く とにかく探すのが大変

何処に当たりを付けるか・・・大問題

見た時 何となくわかったのは

 

後の文字は何回も本を探し必死でしたが 漢詩を探し当てました

彫られているのは

「牀前明月光 疑是地上霜 挙頭望山月 低頭思故郷」

静夜思  李白

牀前看月光➡牀前(しょうぜん「寝床の前」)で 月光を看る

疑是地上霜➡疑うらくは 是(こ)れ 地上の霜かと

挙頭望山月➡頭(こうべ)を挙げて 山月を望み

低頭思故郷➡頭を低れて(たれて) 故郷を思う

英語より難しいなあって・・・ 実感!実感!

「地」なんて 地中から出てくる虫みたいだし

「霜」なんて 難解中の難解でした

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衝立の修理・・・

2020年01月08日 | 曾良庵ヴギ

婆ちゃんの家にあった衝立

修理をするために持ち帰ってきました

よく見ると後ろの紙の下に 文字がうかんでいます

誰かの 短冊にかいた俳句じゃないかと思えます

   

実は真ん中から切れてしまっています

誰が作成したかは分かりませんが

二重三重に紙が貼られているものの

長い年月の開閉で弱くなてたのでしょう

明日はなきものと □ひとり 菖蒲太刀

「岩波基残」の俳句ではないかと思います

菖蒲太刀とあh 端午の節句に菖蒲の葉を刀にみたてて腰に差したもので

のちに 飾り物として飾った木太刀の事のようです

助成の意味がいまいちつかめません

 

折れ曲がり貼られている短冊も 基残の短冊

唯一 曾良庵とあるんで 曾爺さんだと思います

それはそれとして どうやって直そうか思案中です

全面張り替えると 深みが無くなりそうだし どうしようか?

張り直すときは 裏紙から色んなものが出てくることも想定してやらないとね

 

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曾良庵句帳 2

2019年09月16日 | 曾良庵ヴギ

下記の文章には

「田中内閣成る」と「大森閑居」の題字がついている

田中内閣は

 1927年4月20日に発足して 1929年7月2日まで続いた内閣であり

立憲政友会総裁・予備役陸軍大将の田中義一氏を首班とする内閣です

しかし 曾良庵句帳の中では

「田中内閣」の次に「射山先生の入閣なるに」と新しい句が差し込まれている

 射山とは 小川平吉氏である 

曽祖父は政治家を志していたが 小川氏に会い

氏の秘書になり 苦労を共にした

この 田中内閣が発足したとき

立憲政友会に属していた 小川平吉氏は 鉄道大臣として入閣を果たした

 田中内閣の発足と入閣に時間差があったのか

他にしたためていたのかは 定かではないが・・・

喜びの句には違いない

「苦節年あり 田鼠 鶉(うずら)となる日哉」

因みに 田鼠化して鶉と為るとは季語のようで 意味は

もぐらがうづらになるという実際にはありえないことだが

春になり地中のものが地上に出て活動すると考える事ができる

 

苦労した日々が報われ これから飛躍しようと言う

喜びの句のように感じます

 

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曾良庵句帳 1

2019年09月15日 | 曾良庵ヴギ

曾良庵句帳について 

どこから記載すれば この曾良庵句帳が解りやすいのか

 曽祖父の人生の一旦が見える句集でもあり まずは 何故「曾良庵」を名のったのかを記載しておきたい

曾良庵句帳の中の題字は 中村不折氏

珍しくい不折氏の絵も収められている

諏訪は芭蕉翁と奥の細道を旅した河合曾良の生まれた土地で、その為か昔から俳句が盛んであった。

系列も一つではないらしいが、江戸中期に【藤原文輔】という人がいた。

上諏訪の人で和泉屋喜右エ門といい、盛んに俳道の復古を説き、曾良の後継をもって自ら任じ、

蕉門四世曾良庵と名乗って天明の頃『穂屋野の春』という機関紙を発行した。

その弟子の中に【顕湖亭文嘯(ぶんしょう)】という人がおり、この人が曾良庵を継ぎ、

次に【茶山】という人を経て、【雪人】が受け継ぎさらに曽祖父【一太郎】にさづけられたらしい。

名跡を継いだ時に文台(文机)が渡っている筈だというのだが、現在存在はしていない。

現実にあるべきならば、仕事場でもあった東京にあったのかもしれない。

しかし、雪人師のお墨付きともいうべき一文が「曾良庵句集」の跋文に残っている。

                                                                〇〇唯一(ゆいつ)叟(そう)は鵞湖俳壇の耆宿(きしゃく)也。

小にして才を負て敏甚、其残(きざん)に滑稽を学びて、夙(つと)に其の名を馳(は)す。

芸を百家に遊ぶ。ひとり蕪村が正声を賞して神と共に遊ぶが如し。

余東都に在るの日叟亦上京して、塵事に奔走す。

然も尚箇事を忘れず実によく見性の域に入れり。余為に曾良庵の号を贈りて之を祝す

。此号は曾良翁の俳系文輔・文嘯・茶山を経て余の家に伝えしものなり。

今年叟余が湖畔の寓を訪れて、年来の吟詠を採輯せしを録して以て示される。

蓋しその還暦を記念せんとするなり。

閲して嘆じていわく是集や、叟が各時代の風調を網羅して綽として特見あり。

所謂自家の醜を自家の発するものなり。以て自伝に代ふべく以て児孫に胎(のこ)すべしと、

叟亦うなづく。仍(よっ)て顛末を記して序となす。

 昭和辛未年七月        諏訪     雪人 誌

 

上記の内容は 前文としてついている

また これに付け加えるのは 曽祖父の仕事が政界にあったことであり

俳句にも政界の動きなどが載っている

それでは 句帳を読んでいきたい

いつもとは違う感じの物語

急に 硬い歴史ものになっちゃいそうです

 

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水牛車・・・骨董なの・・・

2019年07月25日 | 曾良庵ヴギ

懐かしい 牛舎が帰ってきました

小さいのですが 重さがあります

体は細いですが 水牛じゃないかと思います

台湾当たりかな

台湾は鉄道を作りに 曾爺さんが関係していたので

その時でも買ったのか?

いまとなっては解りません

小さいころは これでよく遊んでいました

ミニカ-なんて持ってないしね

 

幌付きと荷台

のっているおじさんの 顔が何とも言えない

荷台に乗っている 荷物のそれっぽい感じがしまうよね

おばちゃんも 懐かしいんじゃないかな

 

 

 

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